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番外編 猫の見た夢

カタンと言う音に、ぼくは目を覚ました。 眠い目を擦って周りの様子を確認すると、何時もと様子が違うように感じる。 『あれぇ?パパァ?』 まだ眠くて横に居る筈の博光さんに抱きつこうとしたのだが、いつもぼくより起きるのが遅い博光さんが隣に居ない。 ついつい寝起きは長年の癖で“パパ”と呼んでしまうのだが、横には大きな壁がそびえ立っている。 『なにこれぇ?』 目の前の壁に手を伸ばし、手に触れるとさらりとしていた。 改めて周りを見回してみると、周りの物がいつもよりかなり大きい。 まるでぼくが小さくなったみたいだ。 とりあえず博光さんを探さなきゃと思って起き上がったのに、全然視界の高さが変わらない。 『あれ?ぼくぐあいでもわるいのかな』 ベットから降りようとベッドの端まで行こうと進んでいくのはいいが、いくらベッドがクイーンサイズといってもなかなかベッドの際までたどり着かない。 頑張って移動していく。 むしろ走っていると言っても過言では無いくらいの速度でベッドの際まで向かう。 『やっとついたぁ』 やっとベッドの端まで来ると、リビングに続く扉がうっすらと開いているのが見えた。 きっと博光さんは先に起きてコーヒーでも飲んでいるのだろう。 ぼくもリビングに向かおうとベッドから降りるためにふと足元を確認した。 『うそ…』 ベッドの外は、まるでぼくの部屋の外の風景みたいに絶壁になっていてかなりの高さがあった。 ここから落ちたら確実に死んでしまうだろう。 でも、周りは確実にぼくと博光さんが住んでいる部屋のベッドルームだ。 なぜこうなっているのか分からない。 ぼくはあまりの高さに後退りするが、足が滑って体勢を崩す。 そのままの勢いでベッドから放り出され、一瞬の浮遊感の後にすぐに落下している時特有のお腹がきゅうっとなる感覚を覚えてぼくは死を覚悟した。 トンッ 恐怖に目を瞑っていたら、軽い音の後に足の裏に固いものが当たった。 ぼくはいつの間にか下に到着していた様で、どこも痛いところが無いことに安堵する。 後ろを振り返ると、びっくりするほど高い壁がそびえ立っていた。 ぼくは首を傾げつつ、とりあえず博光さんを探すことにする。 『ひろみつさん!ひろみつさーん?どこにいるのぉ?』 ベッドルームから出て大きな声で叫ぶ。 おかしな事にぼくが叫ぶと何処からか猫の声が聞こえる。 不思議に思って辺りを見回すが当然猫なんて居るわけがない。 『命くーん!』 『えっ!』 玄関の方からチャカチャカと不規則にフローリングに固い物が当たる音と共に何かがやって来た。 遠くから黒い物が来るのが見えていたかと思うと、お尻がふわっと浮き上がる。 何事かと振り替えると、大きな犬が後ろに居た。 『やめて!やめてよ!』 『命くんこんにちは!今日も元気そうだね』 『だ、だれ?たすけてー!!』 『あれ?俺の事忘れちゃった?』 犬が喋っている事に驚かねばならないのだろうが、ぼくはそれどころではなく大きな犬に食べられてしまうかもしれないという恐怖に叫ぶ。 またしても猫の声が聞こえている。 「本当に翔は小さい仔が好きだな」 今度こそ体全体がふわっと浮きか上がり、驚いて足をばたつかせると背後から聞き慣れた声が聞こえる。 下を見ると、黒と茶色の胴体が長い犬が尻尾を振っているのが見えた。 博光さんが犬を家に入れているなんて珍しいなと、視界が高くなったことで家の様子を改めて探ってみる。 すると、昨日まで無かった物が所々に点在していた。 まるで何か動物を飼っているような様子にぼくは首をかしげる。 首を傾げたところで頭に大きな物が覆い被さり左右に揺れた。 温もりがあることから博光さんの手だと気が付いてぼくは抵抗するのをやめる。 『パパさん!パパさん!命くんを見せてください!』 「はいはい。また命に怒られるからやめなさい」 前足を博光さんの足に掛けて犬がワンワンと吠えているが、当の博光さんは軽く体を屈めると犬の頭を撫でた。 垂れ下がった耳が博光さんの手の動きで左右にプルプルと揺れている。 『みことちゃーん!おっきしたのぉ?』 『げっ!玲…』 またチャカチャカと音が玄関から聞こえて、今度は茶色のふわふわした毛並みの犬が博光さんの方へ駆けてくる。 音の正体に気が付いた胴長の犬が博光さんの足の後ろに隠れるが、胴体が長いせいで全く隠れられて居ない。 うっすらと、もしやこの犬達はぼくの知っているあの2人ではないかと思い始めていた。 言動が人間の頃と変わりないのだ。 『パパさーん!こんにちは!』 「お、玲ちゃんカットが終わったのか?相変わらずかわいいね」 『パパさんおじょうずネ!』 博光さんは茶色のふわふわした毛並みの犬を誉めると、その犬の小さな尻尾がプルプルと揺れる。 ぼくには、犬の言葉と鳴き声とがサラウンドで聞こえているので変な感じだ。 博光さんは犬の言っていることが分かっているのか、ちゃんと会話が成立しているように感じる。 ふわふわした毛並みの犬はトイプードルだろうか。 そして博光さんの後ろに隠れた胴長の犬はダックスフントだろう。 ぼくは興味深く下を覗きこむ。 「こら命。落ちるぞ」 あまりにも身を乗り出しすぎたのか、犬を撫でていた手が添えられる。 博光さんの温もりに、安堵するものの何故だか無性に自分以外の匂いがついた手が気に入らない。 そもそも幼少期の生活のせいで鼻はとうに麻痺していて、あまり正確性に欠ける筈なのだが今日は妙に香りを強く感じる。 ぼくは顔を動かしてなんとか掌についた匂いを消そうと博光さんの手に頭を擦り付けた。 「若旦那お邪魔します」 「もう玲ちゃんの用事は終わったのか?」 「はい。診察のご褒美にカットに行ったので玲はご機嫌みたいです」 『けいちゃんごほうび?ごほうびくれるの?』 『ずるいぞ!俺にもおやつくれよ!』 玄関から遅れてやって来た圭ちゃんが博光さんと言葉を交わす。 “ご褒美”という言葉に犬達が圭ちゃんの元へ駆け寄る。 玲ちゃんと翔ちゃんが並ぶと犬種の差なのか足の長さが明らかに違う。 そんなこと二人は気にしていないのかワンワンと圭ちゃんに向かって吠える。 「あちゃー」 「これは圭介が迂闊だったな」 珍しく博光さんが笑う。 吠えている犬をそのままに博光さんがキッチンへ向かう。 ぼくをシンクにおろして、博光さんが戸棚を開ける。 ガサガサと言う音に気が付いたのか、犬達がこっちにやってきた。 『パパさんおにく!おにくのやつチョーダイ!』 『パパさん!俺は何でもいいけど、玲より大きいのください』 『ナニヨしょーちゃん!れいの方がかわいいからパパさんもれいにたくさんくれるはずヨ』 『パパさんは俺の方が可愛いと思ってるぞ!』 ガウガウと言い争いをはじめた二人を上から眺めいるが、やはり床までの距離がある。 うちのシンクは人造の大理石なので足元が冷えてきたので、気休め程度に体を交互に傾けて寒さを逃がす。 いつもより冷たいなと思って何気なく自分の手を見る。 『え…』 そこには見慣れた掌はなく、ピンク色の肉球があった。 しかも、よく見ると自分の手はこんなに毛むくじゃらではなかったはずだ。 手は明るい茶色の毛で覆われている。 反対の手も当然、毛に覆われているし座って体を見るとお腹の毛は他の箇所より薄いがピンク色のぽっこりとしたお腹が見えた。 あまりにもびっくりし過ぎて、ぼくは後ろ向きに倒れる。 「はいはい。分かったから飛びかかるな」 「すみません若旦那!こら玲も、翔も命くんを見習いなさい!」 「あー。命は見習わない方がいいぞ…」 「命くんは確かに大人しいし、猫らしくないですよね」 「しかもそういう種類なのか、足が短いせいでどんくさいんだよな」 圭ちゃんがキッチンの方へ犬を止めにやって来て、犬を両腕に抱き上げる。 皆の視線がシンクの上で仰向けに倒れているぼくに集中するが、ぼくは何でこんな状況になっているのか分からなくて呆然としてしまっていた。 パパと圭ちゃんの言葉に、猫のぼくはどんくさいらしいことを知る。 「どうした命?」 「お腹すいたんじゃないですか?」 「確かに寝起きだしな…」 パパは少し考えると、お皿を3つ出した。 それを目にした犬達は尻尾をブンブンと降り始める。 お皿2つにはシリアルの様な固いものを入れて、何かパウチからパテの様な物を乗せた。 残りの皿には同じ様にシリアルとパテを乗せたが、猫用なのかパッケージには猫の写真が写っている。 博光さんはぼくをシンクに置いたまま、皿をダイニングの方へ持っていく。 「翔も、玲ちゃんも“待て”だぞ?」 ダイニングの方でそんな声が聞こえてくると、すぐに博光さんが戻ってきてぼくを持ち上げる。 皿の前に降ろされると、博光さんの“よし!”と言う声が聞こえた。 すぐに側で翔ちゃんと玲ちゃんがお皿に頭を突っ込むのが見えたが、ぼくは食べる気にはならなかった。 「またかー。本当にごはんに興味ない猫だなぁ」 仕方ないと言いながら博光さんがキッチンに消えていく。 その間に、早々にご飯を食べ終わった翔ちゃんと玲ちゃんに取り囲まれクンクンと匂いを嗅がれる。 翔ちゃんはぼくの頭や首の匂いを嗅ぎながら尻尾を振っていたが、玲ちゃんがぼくの顔をペロペロと舐めた事で妨害された。 『おい!玲!』 『なに?ちっちゃいこすきなのに、きらわれちゃうしょうちゃん』 『なんだとー!』 犬の翔ちゃんは短気なのか玲ちゃんと喧嘩をはじめる。 いつもの事なのか圭ちゃんは止める気配がないない。 ワンワンと騒がしくなってきたところで、博光さんが戻ってくる。 さっと抱き上げられ仰向けにされ、口元に何かが差し込まれ強制的に飲まされた。 それはほんのり甘くてとってもおいしかったので、ぼくは差し込まれた器具に手を添えてごくごくと喉を鳴らす。 「まだまだミルクだな」 「哺乳瓶じゃ無いんですね」 「飲んだ量が分かるからシリンジの方が楽なんだよ」 博光さんの言うシリンジから口を離すと、自然と手で口元を拭って肉球を舐めてしまっている。 このまま猫だったらどうしようと思いつつ、お腹がふくれたからか急に瞼が重くなり意識が遠退く。 「はっ!」 ぼくは勢いよく首を上げると、いつもの見慣れたリビングに居た。 家具などの大きさも見慣れた物に戻っているし、急いで手を確認するとちゃんと人間の物だった。 つけっぱなしのテレビからは動物番組が流れていて、これのせいであんな夢を見たのかと合点がいく。 テレビでは足の短い猫が高いところに上がろうとして、足の長さのせいでぴょんぴょんと跳ねているだけの映像が映っている。 猫でもこんなどんくさい子が居るんだなぁとぼくはまた目を閉じた。

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