2 / 4

中編

 ライは希望の迎えのために事務所を訪れていた。希望の所属する事務所と歌の収録のスタジオは隣接している。いつもの待合室に行くと既に先客がいた。男はその綺麗な顔に似つかわしくない、にんまりとした品のない笑顔を見せる。希望がソロになる前に所属していたバンドBlackStrawberry、通称ブラストのボーカル、唯である。 「お前またお迎えきてやってんの? 良い彼氏っぽいんだけど! やばーい!」  唯は明るい緑色の目を輝かせて、にまにま楽しそうにしている。ライは言葉ではなく舌打ちを返して、唯の向かい側のソファに座る。部外者であるライが希望を待つ部屋はここぐらいしかないので、見た目といい声といい、その存在感が喧しい唯が居ても仕方ない。唯の存在は無視してタバコに火をつけた。 「ずいぶん甲斐甲斐しく送り迎えしてんじゃん」  ライの態度を気にした様子もなく、唯は偉そうにふんぞり返って、笑っている。 「結構はまってんの? あいつってそんなにイイ?」 「唯」 「あ、やっべ」  開いていた扉の外にアキがいて、眉を寄せて唯を睨む。いつもは女のように柔らかな表情の美しいアキの顔が、むぅ、と不快を露にしていた。 「そういうの、やめなって言ってんの。……佐久間さん呼んでるよ」 「はぁーい」  佐久間は、ブラストと希望の共通のプロデューサーだった。唯は怠そうにしながらも立ち上がってアキに従う。  アキもブラストのメンバーで、ギターを担当している。その二人のやり取りを見て、希望が「唯さんとアキさんは幼馴染なんですよ」と言っていたことをライは思い出した。覚える必要のない情報だったが、その後で「ライさんとユキさんと同じですね!」と続けて、無邪気に笑った希望があまりに腹立たしかったので、記憶に残っていたようだ。  唯が部屋を出ると、アキとライの目があった。ライがにやっと笑って、アキは気まずそうに眉を寄せる。部屋には二人だけで、少し妙な沈黙が流れた。  笑みを浮かべているライの視線に耐えられずに、先にアキが目を逸らして、部屋を出ようとする、と。 「イイよあいつ」  ライの言葉にアキは立ち止まって、振り向いた。先程の唯の質問の答えであるような言い方だが、唯はもういない。明らかにアキに向けられていた。何のことかわかってしまって、アキは非難するように睨んだが、その反応すら楽しむように、ライは笑っている。  ライがまだつけて間もない煙草の火を消した。煙草よりも良い暇潰しを見つけた、という目をしていることは、アキにもわかる。ライも隠す気はないようだった。 「身体も顔も声も好みだし、エロいし、何でも言うこと聞くし。すげぇ便利」  ライが挑発的に笑うと、アキがキッ、と強くライを睨んだ。 「……何怒ってんの? そんなに大事なら首輪でも付けて飼ってやればあいつも喜んで尻尾振ってただろうに」   「何で手放しちゃったの?」    アキはぎゅっと唇を噛んだ。  嫌みや皮肉が通じず、飄々としている唯よりも、こうしてライが望むような反応をするアキの方が好ましい。綺麗な顔が後悔と悲しみに染まるのが、ライには楽しかった。    アキは、希望を見つけてこの世界に連れてきた張本人だ。  ボーカルの唯が失踪して、アキは日本中を探し回った。だが、いくら探しても見つからず、代わりを求めても足りなくて、アキは憔悴していた。  希望を見つけたのはそんな時だった。路上で独り歌う、希望の歌声にアキはどうしようもなく惹かれた。唯の代わり、というつもりなど毛頭なかった。優しく深く心を揺さぶる、その声が欲しかった。アキは、丁重に断る希望を、半ば強引にバンドの新たなボーカルとしてデビューさせるに至った。それでも希望はそんなアキを心の底から慕って、大切にしている。新しい世界を教えてくれた、と感謝している。  だが、唯が帰ってきて、様々な事情や思惑が絡んで拗れた結果、希望は脱退することになってしまった。アキは納得できなかったが、希望はブラストを離れていった。笑顔で去っていく希望に、アキは何も言えなくなかった。希望が『唯さんのこと、ずっと待ってたでしょう? よかったね』とあまりに優しく、祝福するように笑っていたから。  希望が脱退した後も、メンバー間の関係は拗れたままだったが、それもすべて希望のお陰で修復された。だから、アキは今も唯と音楽を続けられている。  希望は他人を自由にしてくれる。羽ばたく力をくれる。天使なのかもしれない、とアキは本気で考えた。それくらい、希望のことを大事にしている。    しかし、アキの前にいる『希望の想いの人』は、愛や優しさ、幸福とは無縁そうな男だ。希望の選んだことに口を出す権利など持っていないのは重々承知であるが、アキは深く重いため息をついた。 「……希望くんには幸せになってほしいのに、なんで君なんだろう」  普段温厚で心優しいアキにしては珍しく、精一杯の皮肉と非難を込めた言葉だったが、ライは、はっ、とバカにしたように笑い捨てた。アキがじっと睨む。 「なに?」 「別に。わかってねぇなって思って」  ライが暗い目で笑っている。その目に気味の悪さを感じるが、アキも退けない。希望のことで退きたくなかった。  アキがライの座るソファまで近づくと、ライが薄ら笑いを浮かべて見上げた。 「皆そう思ってる。あの子には幸せになってほしいって」 「皆、ねぇ」  ライが喉の奥でくっと笑った。何故こんなに楽しそうなんだろう、とアキは少しゾッとする。ライはアキをじっと見つめて捉える。 「だけど誰もあいつを唯一にはしてやらなかっただろ? あいつはそれを望んでたのに。ずぅっと誰かのものになりたがってたのに」  ライの目は暗く、アキの反応を心から楽しんでいた。  ああ、遊ばれているんだ、とアキは気づくが、それでも受け流すことなどできない言葉だった。 「皆あの子を愛してるし大事に思ってる! 僕だって」 「でも結局テメェだって、他の誰かを選んで、あいつのこと放り出しただろ?」  ギクリ、とアキの身体が震えた。全身を冷たいものが駆け巡る。脱退を決めた希望が『こうなることはわかってた。だから、大丈夫』と笑った、あの時と似ていた。胸が締め付けられて、アキは動けなくなる。  そんなアキを見つめながら、ライが続けた。 「そういうことだよ。だーれもあいつを選らばなかった。あいつは愛されてるかもしれないけど、一番でも特別でも唯一でもない。寂しい時や辛い時にいつでも寄り添うし受け入れる、優しくして傷を癒して立ち直らせる。そういう都合のいい存在だろ? でも結局はみんな自分の大事な誰かのもとに帰るんだよ。あいつを残して。聞き分けいいし、諦めんのも早いもんな。それなのに幸せになってほしいって? 笑える」  ライは心底楽しそうに、暗い目を細めてアキを見ている。 「『幸せになってほしい』って願うだけで、誰もあいつをモノにしておかないから、俺みたいなのに掻っ攫われんだよ。残念だったな」  アキがぎゅっと唇を噛む。  アキは希望を手放したことに後悔はない。希望を自由にしなければ、と必死の想いでその手を離した。  再び独りで歌う希望を見て、これでよかったんだ、心の底から思っている。希望の歌は、ひとりで歌うからこそ真価を発揮する声だった。だから、これ以上縛り付けてはおけないと、そうやって手放した。  それでもライの言葉で心が掻き乱される。さみしがり屋でいつも他人のことばかり考えている希望を放り出すようなことをしてしまったのは事実だった。だから、心は揺れ動く。 「……君があの子を大事にしてくれるならそれで、僕は……」 「どうかなぁ? 顔と身体と声はいいけどさー。俺にとっても都合いいんだよなぁ、あいつ」  アキの目が潤んで怒りで目元が赤く染まる。その表情が、ライのかつての恋人であるユキを彷彿とさせた。  アキとユキは顔の造形が似ている。しなやかで中性的な肢体も、女に見紛う綺麗な顔も、色は違うが細く長く艶やかな髪も、白い肌も。ユキと比べると、アキは心優しく清廉だ。それでも、怒りで瞳を潤ませて目元を赤く染める、その様がよく似ていて、ライの中で、愛しさと憎しみが混ざり合う。その混沌が、ライには心地いい。 「……あの子は、本当に君のことが好きなのに……! それを、弄ぶようなこと……っ!」 「それがどうしたよ。あいつが本気かどうかなんて俺には関係ない。あいつだって分かってるよ。分かってて抱かれてんの。可愛いだろ?」 「……っ!! バカにして……!!」 「だってバカだろ。最初っからずっと。周りに手を出すなって体差し出すのも、そんな相手に本気になるのも、バカすぎ」 「……本当にそう思ってるの……?」  怒りを露にしていたアキが、急に愕然とした様子でライを見つめる。 「……ユキさんや唯が……、君にとって希望くんは……特別に見えるって……」  アキの震える声で紡がれた言葉に、ライは一瞬表情を消した。けれど、そこからゆっくりとライが笑みの形を作る。心を見せない暗い瞳だった。希望が「あの人の目怖い」と言っていたことをアキは思い出す。その目のまま、ライが笑う。 「本当にそう見える?」  ライは笑っているけれど、目の奥は笑っていない。底の見えない真っ黒な穴を覗き込んでいるような不安がアキを襲う。  愛や優しさとは無縁の男でも、唯やユキが言うように、希望のことは特別に扱っているように見えた。だからアキは、今まで何も言わずに見守っていたというのに。 「……本当に…愛してないの……?」 「さあ、どっちがいい?」  呆然と立ち尽くしているアキに合わせて、ライもソファから立ち上がった。アキの目の前に立って、自分より低い位置にあるアキの瞳を覗き込むように屈み、目線を合わせる。アキの瞳は揺れて、口元を歪めて笑うライを映し出していた。   「お前が考える最悪を選んでみたらいい」    アキは、ぶわりと暗闇に飲み込まれたような気がした。  いつも、希望はこんな恐ろしい眼差しに晒されているのだろうか。  この暗い目で笑ってる男を見ていたら、本当に、希望のことを愛していないのかもしれないと思ってしまう。  そんなの、酷すぎる。    アキは希望に、誰よりも幸せになってほしかった。自分が彼をどうにかするようなことはしたくないけど、ただ幸せであってほしいと願う。他力本願と言われても構わない。降りかかる災難があれば全力で振り払うし、代わりに引き受けたって構わない。  あの子を選ばなかった、だなんて、当たり前だ。  もしアキが望めば、希望はアキのものになっただろう。恋をして、優しくしてくれて、守ってくれて、愛の美しい部分すべてを捧げてくれただろう。幸せにしてくれただろう。  だけど、そんなこと、耐えられない。  あの子の愛に相応しい人はもっと他にいるはずだ。あの子自身が望んで手に入れる、運命のたった一人がどこかにいる。今まであの子と出会ってきたみんなも同じこと思うんだろう。希望を自分一人のものにしておいたらいけないって。与えられるばかりの自分でいたくない。自由にしてあげたい、と。  人と愛するのと同じくらい自由でなきゃ息ができなくなってしまう君を、解放しなきゃ。本当はずっとそばにいてほしい。暖めて、癒して、守ってほしい、と願ってしまうけど、そんなのあまりにも身勝手で酷すぎる。優しい君は自分から離れたりしないから、みんな必死の思いで手を離すんだ。それなのに。  可愛い君が、愛する人に愛されていないなら。  僕らはいったい何のために手を離したんだろう。    涙が溢れるアキをライが暗い目で、笑って見ていた。  普段は温厚でか弱いアキの怒りを滲ませた声が、その表情が、堪えきれずに零れた涙が。  彼から希望を奪ったことを実感させる。ライはそのことに、抑えがたい悦びを感じていた。   『皆あの子を愛してるし大事に思ってる』    それがどうした。  そんなことに何の意味も価値も無い。  希望にとってもそうであるようにしてやる。    ライは希望を想う全ての者から、希望を奪い尽くしたかった。       「アキー? 佐久間がお前も来いって……」  唯が出ていった時と同じように、気だるげな声と表情で入ってきたが、泣いているアキを見て一瞬目を見開く。しかし、すぐにアキの目の前にいるライを睨んだ。 「お前何してんの」  普段の軽い口調をがらりと変えて、可愛らしい顔には不釣り合いな低めの声に怒りが滲む。威嚇するような強い眼差しに、ライは口元を歪めて、笑みで返した。唯はアキの背に隠すようにライの前に立って、睨み上げる。 「アキいじめんなよ。希望に言いつけんぞ」 「それがどうしたよ」 「泣いちゃうぞあいつ、二つの意味で」 「はっ、そりゃいいな」  暗い目を細めて、ライはまたアキを見た。 「あいつ何しても泣かなくてさぁ。レイプしても殴っても平気な顔してるし……、次は人呼んでみよっかなって。……お前も来る?」  その言葉に、アキはカッ、となって思わずライに手を振り上げた。しかし、あっさりと手首を掴まれる。ギリギリと、痛みを感じるほど強く掴まれてアキは顔を顰めた。けれど、笑うライを見て、眉を吊り上げて、キッと睨み付ける。 「希望くん泣かしたら絶対に許さないから!」 「許さないからどうなんだよ。奪い返せば? お前が抱かれんの? 抱くの? 抱いてもいけるよあいつ、俺が仕込んだから」 「っ!!」  挑発的なライの言葉に、アキはショックのあまり言葉も出ない。震えて涙を溢すアキを見て、唯はライを強引に引き剥がした。 「……アキをいじめんなっつーの」 「最初に手出したのそっちだろ」 「殴れてないだろ。それと、希望を泣かしても殺す」 「やれるもんならやってみろよ」  唯が睨むと、ライも口元には笑みを浮かべたまま唯を睨み返す。お互いに譲らない、怒気を含んだ空気が張り詰めていた。唯は怯えてもないし、気迫でこそライに負けてなかったが、体格は明らかに差があった。筋肉質とはいえ、小柄で華奢な唯に比べて、ライは身長も高く、腕や太股は太く、胸板も逞しくて、いかにも屈強な体つきをしている。それでも殴り合いも辞さないとでも言うような唯の態度に、ライは呆れたように笑った。 「大体、甘いんだよお前ら。未練がましく構ってきやがって。もう俺のもんなんだから諦めたら?」 「やだね、一生構うわ」 「放り出したくせに」  はっ、と鼻で笑うとライに、唯はなぜかきょとんと目を丸くした。ライのその言葉に、苛立ちが込められている。  何に苛立っているんだ、こいつは。  唯はそれがわからない。ライはいつも、それこそアキを傷つけている今だって楽しそうにしている男だ。自分達から希望を連れ去って、笑っているような男だ。 「……」  じっと唯がライを見てた。  そういえば、アキに必要以上に言葉の攻撃を続けるのも、楽しげな表情の中に、苛立ちと憎しみを感じなかっただろうか。  放り出したくせにと、吐き捨てるような言葉。  何を。誰を。 「……お前、そのことで俺らに怒ってんの?」 「あ?」  ライは唯の質問の意図が読めなくて、眉を寄せた。 「いつも俺たちと希望が絡むといい顔しないよな? それって、俺たちが希望傷つけたから? それなのに、のうのうと大切だとか愛してるとか言ってるから?」  ライが更に眉を寄せる。その反応に、ライの逆鱗、もしくは地雷に掠めたことを唯は悟る。それで十分だった。  唯は、いつものように、によによと笑った。 「大事な大事な希望ちゃんを今まで誰も大事にしてこなかったって怒ってんの? なにお前、結構可愛いじゃん」 「……んなわけねぇだろ死ね」  ゆっくりと地を這うような声には、隠す気のない不機嫌さが表れていた。ライの全身から放つ怒気が、不愉快きわまりない、と物語る。それでも唯は、いつもの調子を取り戻して飄々とした態度で笑った。 「あっそう? でもそういうことなら正直俺何も言えないわ。放り出したのも独りにさせたのも事実だし。希望は傷ついてない平気だったって言うけど、でも」 「平気なわけねぇだろ」  ライが呆れたように笑う。どかっと乱暴に座ると、年期の入ったソファが僅かに悲鳴をあげた。 「平気だったら俺みたいなのに引っ掛かってない」 「……それはどうかなー」  にやにやと唯が笑うと、ライが再び顔を顰めた。 「あ?」 「あいつって、強くてかっこよくて逞しい男大好きじゃん。父親がああだからかもしんないけど」    希望の父親は、かつて『地上最強生物』と謳われた格闘家であった。二mは越える身長と日本人離れした頑丈な骨格、人類よりゴリラに近いというような逞しすぎる体格の男であり、引退までの三〇年以上、無敗を誇るという生きた伝説。寡黙で真面目で正義感があり、運悪く彼が居合わせた場所で強盗を働こうとした数名はなすすべなく制圧されたとか、熊を素手で倒したとか、そんな噂が数知れず。  その上、今や愛妻家で子煩悩、スイーツ作りが趣味(にしてはあまりにも本格的な腕前らしい)という、希望がこの世で一番尊敬する男。  それが希望の父である。   「希望も強くて逞しい方だからそれ以上の男探してもあんまりいないだろ。その点、お前はちゃんと好みだと思う」 「どうだか」  はっ、とライが笑う。 「無理矢理犯されてたから、愛してるとでも思い込まなきゃ耐えられなかっただけだろ」  ライにとっては希望の好みがどうであろうが、誰を愛そうが、誰を想おうが、関係ないことだった。  無理矢理犯して処女を奪い、その後も幾度となく弄んで汚した。他に犠牲を出さないために自ら差し出してきたとはいえ、希望は本来、愛のない性行為なんて受け入れない清廉な男だ。  ライが笑いながら、吐き捨てる。希望がライのもとにいるのは、正気じゃないからだ、と。  けれど、アキがライをじっとりと訝しげに見つめて、むぅ、と表情を曇らせる。 「……君って希望くんが君のこと好きって本当にわかってる?」 「あ?」  希望のことを想って、悲しくて悔しくて流れた涙は、止まった。ライの態度と言葉に対しての疑問で、アキは眉を寄せて考え込んでいる。 「君は分かってて希望くんの純情弄んでるのかと思ってたけど……なんか不安になってきた……。君って、愛されてる自覚なさそう……」 「なに気色悪いこと言ってんだテメェ」 「それな」 「それなじゃねぇよ死ね」 「愛されてるっていうのは、相手に逆らえない状態とか何されても大人しくしてることじゃないよ……? そういうのもあるかもしれないけど、それだけじゃないよ……? わかる……?」 「なんなのお前ら」  心底理解できない、といったライの表情に唯とアキが顔を見合わせる。    この男、わかってないかもしれない。  愛するとは何か、愛されているというのはどういうことか。  あんなに愛に溢れた希望を前にして、愛を理解できない、受け入れないというその精神力にはいっそ感心する。けれど、唯とアキの知る限り、希望の大きな愛に屈しなかった人間は今のところいない。どんな状況でもどんな荒んだ心の持ち主も、希望はすべて攻略してきた。唯自身も希望の全身全霊懸けた愛し方には気色悪さを感じるけれど、結局のところ絆されてしまっているのに。  なんて可哀想なんだろう。ユキから愛アレルギーとは聞いていたけどこれほどとは。重症だ。ユキが「無理でしょ、お手上げ」と嘆いていた理由がよくわかる。  つーか愛アレルギーってそもそもなに?    微妙な空気に包まれるが、それを打ち破る素晴らしいタイミングで扉が開いた。  入ってきた途端、希望がきょとん、と首を傾げている。 「? 何してたんですか?」  希望は珍しい組合せと、微妙な居心地の悪さに三人を順番に見つめた。 「こいつ泣かしてた」 「は?」  アキを指して笑うライを、希望が睨む。 「なんでそんなことすんの! アキさん大丈夫?」  希望はすぐにアキに駆け寄って、心配そうに覗き込んだ。アキは希望に、にこりと笑って返す。 「大丈夫だよ。それより、この人が可哀想で」 「あ?」 「? ライさんが? ええ??」  希望はますます首を傾げ、ライはアキを睨み付けた。ライの視線を無視して、アキは希望に優しく笑いかける。 「君みたいな魅力的な恋人がいたら、毎日心配だろうなって」 「あ、なんだ。いつものアキさんだー。ありがとアキさん」  希望はアキの言葉をあっさり受け入れて、にこっと頬笑む。そんな希望を苛立たしげに睨むライが、そのままアキも睨んだ。しかし、アキはふんっ、とライから顔を背ける。  アキなりの小さな仕返しだ。ライのえげつない言葉の暴力に比べれば、ささやかなものだが、ライをさらに苛立たせるには十分だった。  ライが立ち上がって、希望の荷物を掴んで腕を引く。 「帰るぞ」 「ほんとにアキさん泣かしたの?」 「そうだよ」 「なんで? アキさん可愛いから気になるの? それは絶対許さないからな!」 「うるせえ、黙れお前」 「あっ、アキさん、ばいばーい」  ライの苛立ちを露にした低い声を気にもせず、希望はにこにこと笑顔でアキに手を振っている。その後ろでライが希望の腕を掴んで、希望を睨んでいた。「いっそのこと、ここで殺した方が楽かもしれない」とでもいうような顔をしている。  アキは希望に笑顔で返した。 「また明日ね」 「俺はー?」 「唯さんはみんなに迷惑かけないように生きたら?」 「ハハハ、お前次会う時は泣かす」  引きずられるようにして連れ去られながら、最後まで笑顔を振り撒く希望を見送った。 「……やっぱりどうにかしてあの人仕留めるしかないのかな……」 「アキやべぇな。マジ過激派」

ともだちにシェアしよう!