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4LDK南向きオートロック公園隣接駅至近商店街まで徒歩8分(1)
優ちゃんとオレが住んでいるのは東京。山手線の外側で、オフィス街と商店街の間の高級でもなく下町でもない中途半端に静かな住宅地。南側は大きな公園に面していて、私鉄の駅まで徒歩1分。踏切を越えて真っ直ぐ行けば、商店街まで徒歩8分。
8階建ての801号室で、間取りは4LDK。インテリアはコンクリート打ちっぱなしのモノトーンを基調に、最近はややブルックリンスタイル風。
グランドピアノを置いたスタジオと、オレも兼用の書斎、天井に向けて投影できるホームシアターを備えた寝室、実質物置になっている和室。
暖房効率が悪く半分は優ちゃんのヨガスペースになっているリビングと、ガラス天板のテーブルがたまに来る女性客に不人気なダイニングはつながっている。
キッチンは独立型で、扉を開けるとランドリースペースとバスルーム、さらに寝室まで一直線につながる。
ゾンビみたいな顔をした優ちゃんの両脇の下から腕を回し、ダイニングテーブルの下からキッチンを経てバスルームの前まで引きずっていく。
「楽譜はピアノの上に置いてくるからね」
優ちゃんが笠のように被っていた楽譜は真っ赤な表紙が目に刺さるウィーン原典版だったけれど、ピアノの譜面台には凶器になりそうなハードカバーの春秋社版と老舗かつ王道のヘンレ版もあって、音楽事典やモーツァルトについて書かれた新書もある。
ついでに譜面台にわざとらしく単行本が置いてある。
『ピアノだってスポーツだ!〈3〉 ピアニスト・青木優一郎 × 整形外科医・渡辺稜而、解剖学の世界を珍道中』
おかげさまで好評連載中。単行本第3巻まで出ております。ありがとうございます。
今回の表紙はタイトルの両脇にタキシード姿の優ちゃんとスーツにドクターコート姿の稜而先生が、それぞれレオナルド・ダ・ヴィンチの人体図に重なって両手を広げて写っています。お近くの書店、またはネットでぜひ。優ちゃんのサインがご希望でしたら、いつでも書かせますので、お気軽にお申しつけください。
宣伝を終えたところでバスルームへ引き返すと、優ちゃんは自分でバスタブに湯を溜めて、鼻の下ギリギリまで沈んでいた。
スマホからは結局、『ピアノソナタ第14番 ハ短調 K. 457』が流れている。正確なテクニックに裏づけされた美しい音色。
「アシュケナージ?」
服を脱ぎながら当てずっぽうでピアニストの名前を挙げてみたら、水面にすうっと口が出て
「俺」
と言い、また鼻の下までお湯に沈んだ。
あ、地雷を踏んじゃった。
優ちゃんはアシュケナージも尊敬しているけれど、自分の演奏が似ていると言われるのは好きじゃない。そのもっと上を行きたいんだと本気で言うんだから恐れ入る。でも「青木さんの演奏ってアシュケナージっぽいですよね」っていうのはすごくよく言われるし、オレもそう思っている。気にしてるのは本人だけなんで、気にしないでください。
オレが身体を洗って湯船に沈むと、優ちゃんはオレの背後にすうっと移動してきて、腹に手を回して抱きつき、オレの肩に顎を載せた。
「何が足りない?」
「もー。そういう難しいことは素人に訊かないでよ」
「素人じゃない。慈雨に訊いてる」
オレはぷっと頬を膨らませ、優ちゃんの人差し指でツンと空気を抜かれて、仕方なく曲の頭から再生して耳を傾けた。
「一音目が強い。もっと生のバラの花みたいな膨らみと柔らかさ、華やかな香りが欲しい。全体的に硬い。同じガラスなら、シャンデリアがいい」
質問しておきながら、指摘事項が増えてくるとだんだん優ちゃんの頬の筋肉は引き攣ってくる。ああ本当に面倒くさい。
「うーんとね。でもとっても素敵! これはまだ優ちゃんのものになってないだけじゃない? 慣れればすぐだよ」
ニッコリ笑うと優ちゃんも笑って肩の力を抜く。
「そうか、そうだよな。弾きこみが足りないだけだよな」
面倒くさい。本当に面倒くさい。ちなみにオレの返答は全部いい加減の当てずっぽうだ。でも優ちゃんはそれでいいと思ってオレに訊いてるから、それでいい。楽曲の研究や分析、繰り返す練習が孤独で、誰かと話したいだけなのだ。
っていうか、優ちゃんは褒めて欲しいだけなのだ! 甘い言葉、美味しい言葉が欲しいだけっ!
「優ちゃんは世界一のピアニストだよ。難しいことばっかりじゃなく、気分転換とリラックスも大事だと思うな」
「ああ、まずは気分転換とリラックスが必要だな」
優ちゃんはオレの首筋に噛みつく真似をして、そのままキツく吸い上げた。
ぶるっとオレの身体は震え、失血するような浮遊感に包まれた。
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