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快人 1

重厚な門を抜けると、これ個人の家?と疑いたくなるような洋風の庭園が広がっていて、石畳が重そうな木の扉まで続いている。 お手伝いさんがドアを開けて俺を迎えてくれて、何度来てもこの雰囲気には慣れないなぁと思う。 「奏人さんが、部屋で待ってますよ」 「ん。お邪魔しまーす」 忙しくてここにくるのは約2ヶ月ぶりになってしまったけど、小さい頃から長期休暇になる度に遊びに来ていたし、最近では足しげく通っていたので、お手伝いの吉田さんとは顔馴染みだ。 50才くらいのこの女性は、俺が小さい頃からここに来てくれてて、家事の全く出来ない母親の代わりに掃除、洗濯、食事作り等をしてくれている。 誰が母親かわかったもんじゃない。 お城みたいに大きな階段を上ってすぐの部屋をノックすると、どうぞとすぐ返事が帰ってきたから、安心してドアを開けた。 「兄ちゃん久しぶり」 「おはよう快人。早かったね。昨日から快人が来てくれるのを心待ちにしてたよ」 「今日日曜だから。兄ちゃん前会った時よりも調子よさそうだね?」 「快人が来てくれたからね。もう来てくれないかと思ってた」 「遅くなってごめん」 兄ちゃんの奏人(かなと)がこうして寝巻きのまま自分の部屋にいて、しかもベッドの上で気だるそうにしているのは、何も今日が日曜日だからじゃない。 心の傷が、そうさせている。 兄ちゃんは、1年前まで俺が今通う大学に通っていた。成績も優秀で、サッカーサークルに所属していて、友達も沢山いたのに、突然大学はおろか、家から出られなくなってしまった。 それに俺が気付いたのが去年の夏休みに遊びに来た時だ。 あの頃は今以上に気怠げで、様子もおかしかった。訳のわからない事を口走ったりしていて、兄ちゃんのあまりの変貌ぶりに俺は少しだけ兄ちゃんが怖いと思ってしまった。 でもそれ以上に心配で、夏休みは受験勉強の傍ら電車で1時間ほどの距離にあるここに毎日の様に通った。 夏休みの最後の日、兄ちゃんはこうなった原因を語ってくれた。 大学の飲みサークルに無理矢理参加させられて、大勢で輪姦されたと。 あまりのショックに、兄ちゃんにはその時の記憶があんまりなくて、首謀者が誰だったかも、輪姦に参加したのが誰だったのかもわからない。ただ、首謀者であろう男の「M」のイニシャルのネックレスが記憶の中でちらつくと。 そして兄ちゃんはとても悔しそうにこう言った。 「俺を輪姦した奴等全員を手玉に取って、夢中にさせた後にどん底に突き落として復讐してやりたい。でも、身体が震えて言うことを聞かないんだ」 その話を聞いた俺は怒りに震えた。 俺は兄ちゃんをこんなにした奴を絶対に許さない。 兄ちゃんがそうしたくてもできないのなら、俺が代わりにやってやる。 兄ちゃんの仇は俺が取ってやる。 そう心に誓ったのだ。 「今日は兄ちゃんにいい報告があるぜ!俺、あのサークルのM全員手玉にとってやったんだ!」 兄ちゃんの喜ぶ顔が見たいと思って、俺は結構自信満々に言ったけど、兄ちゃんはあっけに取られていた。 「え…?それ、もしかして俺がそうしたいって言ったから…?」 「うん!兄ちゃんがやりたくても果たせない事は、俺が果すことにしたから!」 「快人、駄目だ。危ない事はするんじゃない。快人まで酷い目を見るぞ」 「大丈夫。俺、上手くやるよ」 予想外に兄ちゃんは喜んでくれなくて、俺の心配をしてくれた。でもたぶん俺は大丈夫。あいつらしつこいけど、俺を他の男に抱かせたくないみたいだから。 「快人…駄目だ。それに、手玉に取ったって、お前、何をしたんだ…?」 「男ってチョロいぜ。俺も同じ男なのにちょっとエサちらつかせたら勝手に食いついてくんの。男の身体なんてどこがいいんだか……って、ごめん!」 兄ちゃんが辛そうに俯いたから慌ててその肩に手を置いた。 俺、なんて無神経なんだろう。 兄ちゃんの肩がぷるぷる震えている。 変なこと言ったから、輪姦された時の事を思い出させてしまっただろうか…。 「快人……俺を抱き締めてくれ。嫌な感触が…するんだ…」 すぐにベッドに乗り上げて兄ちゃんの細い身体を抱くと、よっぽど怖いのか、兄ちゃんは俺にしがみつくみたいに密着した。 兄ちゃんがこんな風になってから、俺は幾度となく震える兄ちゃんを抱き締めて慰めている。 今回のフラッシュバックは、確実に俺の言動のせいだから、責任を感じて俺もいつも以上に優しく背中を撫でた。 「快人…キスさせてくれないか?」 「え?」 突然腕の中の兄ちゃんにそう言われてびっくりして腕の力を緩めた途端身体が反転して、唇が押し付けられた。 俺、兄ちゃんとキスしてる…? どういうことだと考える間もなくぬるっとした物が口の中に入ってきて、舌だと気づいてから少し身じろぎしたけど、上に乗っている兄ちゃんが結構な力で押さえつけているから、本気を出さないと逃れられそうになかった。 結構長くて、しかも濃厚なキスがようやく終わって10センチくらいの距離で見つめ合う。 俺は結構頭の中真っ白だ。 「快人ごめん。口を犯されたのを思い出して、気持ち悪くてどうしようもなかったんだ…」 そうか、そういうことか。それなら仕方ないよな。 でも、まだどかないのかな? 「兄ちゃん…?」 コンコン… 極近距離で固まって動かない兄ちゃんを心配して声をかけたのと、ドアをノックする音が同時だった。 兄ちゃんがちょっと慌てて身体をどかしたから、俺も急いでベッドから下りた。 「紅茶とクッキーお持ちしましたよ」 吉田さんの声だ。 「俺、貰ってくる」 ドアを開けて紅茶のポットとティーカップ、お皿にクッキーが盛ってあるお盆を受け取る。 テーブルにお盆を置いて、紅茶をついでいると、背後で物音がして、兄ちゃんの手が肩から前に伸びてきて、俺の背中にピッタリとくっついた。 「に、兄ちゃん。どうしたの今日?」 「ごめん快人。ごめんな…」 兄ちゃんの声が苦しそうで、戸惑う。 「俺の為に、男と寝たんだろ?辛かっただろうに…」 確かに男と寝るなんて、これまでは考えられなかったし、兄ちゃんの為じゃなかったらそんなこと絶対しなかった。 初めては、楢橋さんだった。 びっくりするくらい痛かったけど、それだけだった。 その後、回を重ねる毎に快楽も感じるようになって、今ではこんなもんか…という感想だ。 嫌悪感も、相手が男で自分が女にされているということに対する抵抗も、あまりなかった。 俺の頭の中は、こいつらを手玉に取ってやるとそればかりで、使命感に追われていたから、それがよかったのかもしれない。 でも、どの「M」が首謀者なのかわからないままでは誰の事も強く憎む事はできなくて、少なからず皆に情が移ってしまったのは失敗だった。今寝ている相手の中には輪姦に参加していない奴だって、きっといる。そう思うと誰に対しても酷い態度は取れない。 それに…本当にこいつらの中に首謀者が?と思ってしまう程に皆優しいのだ。 「兄ちゃん、俺の事は心配いらないぜ。俺、案外平気みたいだから」 「強がるなよ快人。あんなの平気な奴なんかいない。俺が癒してやろうか?」 兄ちゃんの吐息が耳にかかって、すごく…。 「くすぐってえよ!紅茶溢れる!」 耳は弱いんだよ、耳は。 頭を背けると、兄ちゃんの手が俺の手に重なって、紅茶のポットをお盆に置かされた。 違う違う。紅茶を注ぐのをやめたいんじゃなくて、兄ちゃんに離れて欲しいんだけど…。 くるっと身体が回転させられて、兄ちゃんと向かい合う。 兄ちゃんの顔が真剣だ。 「兄ちゃん、でもさ、俺もう奴等と寝るのはやめようかと思ってる」 安心させたくて言うと、兄ちゃんは予想外に驚いたみたいな顔になった。 どうも意志疎通が上手くいっていない。 「…それがいい。俺の為に快人が身体を犠牲にすることないんだから」 「違うよ、兄ちゃんの復讐はやめるつもりない。でも、殆どヤってないのに俺の事好きって言う奴がいてさ。寝なくてもよかったのかもなーって…」 「快人、男を身体なしで繋ぎ止めるなんて無理だよ」 「そうかな…」 誠は、普段の俺が好きだって言ってた。 俺みたいな男が同性の男を手玉に取るには身体を使うしかないって思ってた俺にとってはかなり衝撃的な告白で、この2ヶ月毎日の様にターゲットの「M」と寝てたのは何だったのかと結構ショックだった。 「今でも夢に見るんだ…あのMのネックレスとか、笑い声とか…」 「兄ちゃん……」 だめだ。やっぱりこれまで通りに身体を使おう。 誠は、たぶん特別だ。兄ちゃんの言う通りだ。男に身体なしなんてあり得ない。 折角この2ヶ月で築いた布石が、俺がセックス拒むことで台無しになったら意味がない。 兄ちゃんが相手をちゃんと思い出したら、その時からそいつ一人に絞って、もっともっと惚れさせてやるんだ。そして、俺なしじゃいられないくらい夢中にさせて、どん底に突き落としてやる。それが兄ちゃんの復讐で、俺の使命なんだから。 「兄ちゃん、俺ちゃんと繋ぎ止めるから安心して。相手がわかったら、兄ちゃんの味わった以上の苦しみを与えてやるから」 「快人…。俺は快人に辛い事させたくない。でも……Mに復讐できると思うと気持ちがすっと晴れる様なんだ…。俺は最低な兄貴だよ…」 兄ちゃんが顔を俯けて、また辛そうに肩を揺らした。 「兄ちゃんは最低なんかじゃねえよ!ずっと俺の自慢の兄ちゃんなんだから!それに俺、兄ちゃんの気持ちが晴れるならそれだけでいいんだ。俺、ちゃんとやり遂げるぜ!だから兄ちゃん、その時は元気になってくれな!」 俺は、兄ちゃんが元気になればそれでいい。 「快人…」 兄ちゃんが抱きついてきたから、抱き締め返したかったけど、俺の腕ごと抱き締められているので身動きが取れなかった。 兄ちゃんは体力が著しく落ちていて、すぐ疲労する。 顔を上げた兄ちゃんが疲れた顔をしていたのでベッドに寝かせたらすぐに眠ってしまった。 今日は夕飯まで一緒にいる約束だから、そっと部屋を出て、螺旋階段を下りた。 この家には吉田さんと兄ちゃんしかいない事が多いから、兄ちゃんが寝た後は、リビングでテレビを見ながら兄ちゃんが起きるのを待つ事にしている。 側にいたら兄ちゃんだってゆっくり寝られないだろうし。

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