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快人 5

セックスの後シャワーを浴びていつのまにか眠っていたみたいだ。 磨りガラスの向こうのリビングは電気がついていて、テレビの音もする。 仕切りを開けると空気が白く煙っていて、思わず咳払いをしてしまう。 「あ、快人」 楢橋さんが慌てて窓を開けてくれて、空気が流れた。 そのまま近づいてきた楢橋さんにキスされる。煙草の匂いのキスはあんまり好きじゃない。 「俺もう帰りますね」 「なんだよ、泊まってけよ」 「今日は帰ります」 「他に約束あんのか?」 「ないですけど、眠いんで」 楢橋さんは苦笑して手を離してくれたので、玄関に向かった。 「また電話する」 「はい。待ってます」 挨拶で軽く唇を掠めるくらいのキスをしたら、フッと楢橋さんが笑った。 マンションを出てからは早足で歩いた。楢橋さん家のリビングで見た時計は22時を指していた。 誠は今日バイトが休みだと言っていたし、まだ寝ていないだろう。 誠の事を考えた途端、腹がグーと鳴った。 そういや昼も何も食べてねえや…。 15分程で誠のアパートに着いて、借りている合鍵でドアを開ける。 「あれ?快人?お帰り」 「まことー!腹へった!」 誠のアパートは古いワンルームでドアを開けたらもうすぐ部屋だ。 「約束キャンセルしてくれたのか?」 「あ?」 「俺に返事するまで他の男と寝るなって言っただろ?」 「あ…」 そう言えばそんな会話をした。 すっかり忘れてしまっていたし、もう既に寝てしまった。 俺、なんで誠にすぐ返事をしなかったんだろう…。 「どーせ忘れてたんだろ?」 「ごめん誠」 「そうだろうと思ってたよ。期待はしてなかったけどさ…」 誠は少し寂しそうに笑ってて、すごい罪悪感だ。 俺は兄ちゃんの為に、楢橋さんを始め、沢山の相手を傷つけているけど、兄ちゃんの為なら悪魔にもなろうと決めた。 でも、誠はきっと何も関係ない。 「そんな顔すんなよ快人。正直快人と付き合えるなんて思ってねえから、けっこー諦めてたし」 RRRR… 何か言わなきゃと思った時に、携帯の着信音に邪魔される。 見るとまた非通知で、チッと舌打ちして通話を押した。 「なんだよ、もう!」 『ご機嫌斜め?』 「うるせー!切るぞ」 『駄目だよ切っちゃ。切ったら今一緒にいる桐谷誠くんに危害加えちゃおうかな』 「てめ!ふざけんな!」 『その男、快人の何?』 「ただの友達だよ!何も関係ねえんだからな!」 『快人は俺だけを愛するべきなんだ。他の誰も愛しちゃいけないよ。快人は俺の…』 「あぁ、もう!だったら姿見せろよ!」 「快人、大丈夫か?」 誠に肩を揺さぶられて振り返る。 耳に当てたままの携帯から音がしなくなった。 不思議に思って携帯を見たら、待受画面になっていた。 「どうした?」 「切れた。向こうから切るなんて初めてだ…」 「俺の声にびびったんじゃねえか?」 「そうかな…?」 なんとなく、そうじゃないような気がしてちょっと引っ掛かったけど、じゃあ何と言われても分からなかったから、誠にありがとなと言った。 「快人腹減ったって?とりあえず何か作ろうか?」 「いいのか?」 「おう。……卵とご飯あるから…オムライスでいい?」 「まじ?オムライス好きだぜー!」 誠がニコニコしながら冷蔵庫から玉ねぎとウインナーを取り出した。一昨日コンビニで買ってきた食材だ。 トントンと玉ねぎを刻む誠の後ろ姿はなんか和む。 「ご飯の味付け、バターとケチャップどっちにする?」 「ケチャップ!」 「おっけー」 なんかいいなぁ、こういうの。新婚みたいだな。誠が奥さんだったら、毎日癒される気がする。 ……って、こんなに和んでいる場合じゃなかった! あの変態に誠の事まで知られてしまったんだった! 「誠!」 「ちょっと待ってな。あと卵焼けば出来上がるから」 「違う!そうじゃなくて、俺、もうここにいられない!」 卵を割っていた誠が振り返った。 「何?突然。俺が告白したから?それは気にすんなって。まだ変態に狙われてんだろ?快人ダメって言ってんのに普通に会話しちゃうし、危なっかしくて帰せないよ」 「そうそう、そうなんだ、あいつ危ねえんだ。ほらこれ見ろよ。昨日ここのポストに入ってた。それに、今日あの変態、誠のフルネーム知ってたんだ!俺のせいで誠まで危険な目に遭わせられねえ」 誠は封筒の中身を確認して、「殺」の脅迫文を見て固まった。 「快人、これヤバいよ。俺はこう見えても腕には自信あるから心配すんな。それより、俺は快人が心配だ。こんなんで一人暮らし再開したら、本当に危険だよ」 「や、でも、もうここにいるのもバレてるし…」 「でも、男が傍にいると思えば牽制になるだろ?さっきも、俺の声にびびってたし。だからさ、帰るなよ快人。ここにいてくれ」 そうかな…。 ここにいてもいいのかな? 誠の傍は居心地がいいし、ここだとなぜかぐっすり眠れる。それに、誠と一緒に誠の作った飯を食うのが好きだ。 「本当に大丈夫か…?」 「大丈夫だって。俺隠れマッチョだって、快人知ってるだろ?」 1ヶ月前誠に抱かれた事が思い出されて、顔が熱くなった。 楢橋さんがしたがる「トコロテン」を、実は誠とのセックスで経験していた。 誠は俺が慣れてるからいつもの事と思ったのか、喜んだけどさして驚きはしなかった。対する俺は心の中ではすげー驚いていて、相性がいいってこういう事なのかななんて考えていた。 「おいおい、そんな可愛く頬染めたりするなよな」 「べっ…別に染めてねえよ!早く卵焼けよ!」 はーいと誠が卵を割るのを再開させたから、隠れて深呼吸をして心臓がドキドキしているのを誤魔化した。 「はい、出来た」 コトンと目の前に皿が置かれて、じわっと涎が口の中で溢れた。 これは、俺の好きなトロふわタイプのオムライスだ。 少し不恰好だけど、すげえ旨そう。 「食わないの?」 「食う!いただきます!」 一口入れると、素朴なケチャップの酸味と玉ねぎの甘味が最高で、そしてトロふわ卵はもっと最高で、スプーンが止まらない。 「誠料理上手すぎ!すげえ旨いよ!」 「快人はほんと旨そうに食うよな。作りがいがあるぜ」 「誠、お前いい奥さんになれるよ!」 「はは…。俺は奥さんより旦那さんになりてえよ」 あっという間に食べ終えて、少し食べ足りないなーと思ってた所に誠がリンゴを剥いて出してくれた。 誠は絶対に奥さんタイプだ。しかもかなり優秀な。 「快人、ここにいてくれるだろ?」 斜め横に座ってリンゴを齧りながら誠が言った。 「いていいなら、居たいな」 同じくリンゴをモグモグしてから答えた。 俺の胃袋は完全に誠に掴まれている。 「とーぜんだろ。あ、あとこれバイト休みの日な」 誠が差し出した紙にはいくつか日付が書かれている。 週休2日ぐらいか?誠、働きすぎだ。 俺も、本当はバイトをするつもりだったけど、復讐の為にはバイトに時間を割けなかった。 だから、月10万の奨学金を借りて、それと仕送りで生活費を賄っている。 でも、家賃は父ちゃんが持ってくれているし、楢橋さん達と食事に行くといつも奢ってくれるから、奨学金には殆ど手をつけなくてもやっていけていた。 誠の休みの日を忘れない様に携帯のスケジュールに登録する。俺も週に2日くらい休んでもいいよな…?

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