9 / 46
快人 5
セックスの後シャワーを浴びていつのまにか眠っていたみたいだ。
磨りガラスの向こうのリビングは電気がついていて、テレビの音もする。
仕切りを開けると空気が白く煙っていて、思わず咳払いをしてしまう。
「あ、快人」
楢橋さんが慌てて窓を開けてくれて、空気が流れた。
そのまま近づいてきた楢橋さんにキスされる。煙草の匂いのキスはあんまり好きじゃない。
「俺もう帰りますね」
「なんだよ、泊まってけよ」
「今日は帰ります」
「他に約束あんのか?」
「ないですけど、眠いんで」
楢橋さんは苦笑して手を離してくれたので、玄関に向かった。
「また電話する」
「はい。待ってます」
挨拶で軽く唇を掠めるくらいのキスをしたら、フッと楢橋さんが笑った。
マンションを出てからは早足で歩いた。楢橋さん家のリビングで見た時計は22時を指していた。
誠は今日バイトが休みだと言っていたし、まだ寝ていないだろう。
誠の事を考えた途端、腹がグーと鳴った。
そういや昼も何も食べてねえや…。
15分程で誠のアパートに着いて、借りている合鍵でドアを開ける。
「あれ?快人?お帰り」
「まことー!腹へった!」
誠のアパートは古いワンルームでドアを開けたらもうすぐ部屋だ。
「約束キャンセルしてくれたのか?」
「あ?」
「俺に返事するまで他の男と寝るなって言っただろ?」
「あ…」
そう言えばそんな会話をした。
すっかり忘れてしまっていたし、もう既に寝てしまった。
俺、なんで誠にすぐ返事をしなかったんだろう…。
「どーせ忘れてたんだろ?」
「ごめん誠」
「そうだろうと思ってたよ。期待はしてなかったけどさ…」
誠は少し寂しそうに笑ってて、すごい罪悪感だ。
俺は兄ちゃんの為に、楢橋さんを始め、沢山の相手を傷つけているけど、兄ちゃんの為なら悪魔にもなろうと決めた。
でも、誠はきっと何も関係ない。
「そんな顔すんなよ快人。正直快人と付き合えるなんて思ってねえから、けっこー諦めてたし」
RRRR…
何か言わなきゃと思った時に、携帯の着信音に邪魔される。
見るとまた非通知で、チッと舌打ちして通話を押した。
「なんだよ、もう!」
『ご機嫌斜め?』
「うるせー!切るぞ」
『駄目だよ切っちゃ。切ったら今一緒にいる桐谷誠くんに危害加えちゃおうかな』
「てめ!ふざけんな!」
『その男、快人の何?』
「ただの友達だよ!何も関係ねえんだからな!」
『快人は俺だけを愛するべきなんだ。他の誰も愛しちゃいけないよ。快人は俺の…』
「あぁ、もう!だったら姿見せろよ!」
「快人、大丈夫か?」
誠に肩を揺さぶられて振り返る。
耳に当てたままの携帯から音がしなくなった。
不思議に思って携帯を見たら、待受画面になっていた。
「どうした?」
「切れた。向こうから切るなんて初めてだ…」
「俺の声にびびったんじゃねえか?」
「そうかな…?」
なんとなく、そうじゃないような気がしてちょっと引っ掛かったけど、じゃあ何と言われても分からなかったから、誠にありがとなと言った。
「快人腹減ったって?とりあえず何か作ろうか?」
「いいのか?」
「おう。……卵とご飯あるから…オムライスでいい?」
「まじ?オムライス好きだぜー!」
誠がニコニコしながら冷蔵庫から玉ねぎとウインナーを取り出した。一昨日コンビニで買ってきた食材だ。
トントンと玉ねぎを刻む誠の後ろ姿はなんか和む。
「ご飯の味付け、バターとケチャップどっちにする?」
「ケチャップ!」
「おっけー」
なんかいいなぁ、こういうの。新婚みたいだな。誠が奥さんだったら、毎日癒される気がする。
……って、こんなに和んでいる場合じゃなかった!
あの変態に誠の事まで知られてしまったんだった!
「誠!」
「ちょっと待ってな。あと卵焼けば出来上がるから」
「違う!そうじゃなくて、俺、もうここにいられない!」
卵を割っていた誠が振り返った。
「何?突然。俺が告白したから?それは気にすんなって。まだ変態に狙われてんだろ?快人ダメって言ってんのに普通に会話しちゃうし、危なっかしくて帰せないよ」
「そうそう、そうなんだ、あいつ危ねえんだ。ほらこれ見ろよ。昨日ここのポストに入ってた。それに、今日あの変態、誠のフルネーム知ってたんだ!俺のせいで誠まで危険な目に遭わせられねえ」
誠は封筒の中身を確認して、「殺」の脅迫文を見て固まった。
「快人、これヤバいよ。俺はこう見えても腕には自信あるから心配すんな。それより、俺は快人が心配だ。こんなんで一人暮らし再開したら、本当に危険だよ」
「や、でも、もうここにいるのもバレてるし…」
「でも、男が傍にいると思えば牽制になるだろ?さっきも、俺の声にびびってたし。だからさ、帰るなよ快人。ここにいてくれ」
そうかな…。
ここにいてもいいのかな?
誠の傍は居心地がいいし、ここだとなぜかぐっすり眠れる。それに、誠と一緒に誠の作った飯を食うのが好きだ。
「本当に大丈夫か…?」
「大丈夫だって。俺隠れマッチョだって、快人知ってるだろ?」
1ヶ月前誠に抱かれた事が思い出されて、顔が熱くなった。
楢橋さんがしたがる「トコロテン」を、実は誠とのセックスで経験していた。
誠は俺が慣れてるからいつもの事と思ったのか、喜んだけどさして驚きはしなかった。対する俺は心の中ではすげー驚いていて、相性がいいってこういう事なのかななんて考えていた。
「おいおい、そんな可愛く頬染めたりするなよな」
「べっ…別に染めてねえよ!早く卵焼けよ!」
はーいと誠が卵を割るのを再開させたから、隠れて深呼吸をして心臓がドキドキしているのを誤魔化した。
「はい、出来た」
コトンと目の前に皿が置かれて、じわっと涎が口の中で溢れた。
これは、俺の好きなトロふわタイプのオムライスだ。
少し不恰好だけど、すげえ旨そう。
「食わないの?」
「食う!いただきます!」
一口入れると、素朴なケチャップの酸味と玉ねぎの甘味が最高で、そしてトロふわ卵はもっと最高で、スプーンが止まらない。
「誠料理上手すぎ!すげえ旨いよ!」
「快人はほんと旨そうに食うよな。作りがいがあるぜ」
「誠、お前いい奥さんになれるよ!」
「はは…。俺は奥さんより旦那さんになりてえよ」
あっという間に食べ終えて、少し食べ足りないなーと思ってた所に誠がリンゴを剥いて出してくれた。
誠は絶対に奥さんタイプだ。しかもかなり優秀な。
「快人、ここにいてくれるだろ?」
斜め横に座ってリンゴを齧りながら誠が言った。
「いていいなら、居たいな」
同じくリンゴをモグモグしてから答えた。
俺の胃袋は完全に誠に掴まれている。
「とーぜんだろ。あ、あとこれバイト休みの日な」
誠が差し出した紙にはいくつか日付が書かれている。
週休2日ぐらいか?誠、働きすぎだ。
俺も、本当はバイトをするつもりだったけど、復讐の為にはバイトに時間を割けなかった。
だから、月10万の奨学金を借りて、それと仕送りで生活費を賄っている。
でも、家賃は父ちゃんが持ってくれているし、楢橋さん達と食事に行くといつも奢ってくれるから、奨学金には殆ど手をつけなくてもやっていけていた。
誠の休みの日を忘れない様に携帯のスケジュールに登録する。俺も週に2日くらい休んでもいいよな…?
ともだちにシェアしよう!