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快人 16
兄ちゃんの邸に来るのは、久しぶりだ。電話は頻繁にしていたけれど、もうすぐ卒業という3人にねだられて、ここ1か月くらいはほぼ休みなく3人の誰かと過ごしていたから。
卒業式を終えてすぐに来たので、まだ昼間だからか、2階の廊下で寝起きのネグリジェ姿の母親とばったり会った。
「あら奏人」
「奏人?」
「聡司さん知らなぁい?」
「は?何言ってんの?」
俺と兄ちゃんを間違えるなんて、昼間から酔ってるのか?
「…あ、もしかしてあなた快人?やぁーだ!全然気付かなかったわ。あなた逹、性格は全然違うけど、やっぱり瓜二つよね」
「かーちゃん、大丈夫か?」
「何よぉ。母親失格って言いたいの?でも、本当ソックリなんだから。私だから、すぐに快人だって気づけたのよ?」
何をバカな事を言っているんだろうとは思ったけど、もう面倒くさいから適当にあしらって、兄ちゃんの部屋に向かった。
そして、ノックをして開けたそこにいた兄ちゃんを見て、俺は言葉を失った。
「やぁ快人。卒業おめでとう!」
兄ちゃんの見た目に驚きすぎて、言われた内容に疑問を持つ余地はなかった。
兄ちゃんのふわふわだった色の薄い髪の毛は、縮毛矯正か何かで真っ直ぐにされて、色も真っ黒に染められていた。
「驚いた?なかなか似合うだろ?」
「う、うん。でも兄ちゃん、なんでわざわざ黒くしちゃったの?前のふわふわ、俺好きだったのに…」
「快人が黒くてストレートだからだよ」
「え…?」
「来いよ。こっち」
兄ちゃんに手招きされた先には、大きな姿見があって、その前に二人で並んだ。
「俺と快人、どっちがどっちか分からないくらい似てると思わないか?」
兄ちゃんが上機嫌で言う。確かに驚く程に俺たちはソックリだった。兄ちゃんと違うと思ってた目の形も、こうして髪型も髪の色も同じにしたら同じに見える。
「快人の背が伸びて安心したよ。今ちょうど快人と俺は同じ身長だ」
鏡に並ぶ俺と兄ちゃんは、身長も体格もほぼ同じだった。
でも、それが何だって言うのだろう。兄ちゃんはなんで俺みたいな髪にしたんだ?
兄ちゃんが何を考えているのか分からなくて、兄ちゃんの表情を探ってみたけど、兄ちゃんはニコニコするばかりだ。
兄ちゃんの謎な言動は一先ず置いておいて、俺は今日兄ちゃんに聞きたい事があって来た。
兄ちゃんが入っていたと言ってたサッカーサークルのメンバー同士の繋がりが深いのは学内でも有名だった。それなのに、誰も兄ちゃんを気にかける人がいないのはおかしいとずっと思っていたけど、今日ようやく確信が持てた。
兄ちゃんは俺に嘘をついていたのだと。
「なぁ兄ちゃん…」
「なんだ?」
「兄ちゃんは、サッカーサークルには入っていなかったんだろ?何で俺にそんな嘘ついたの?」
俺がそう聞いた途端、兄ちゃんが俯いて肩を震わした。
とっさにまた俺が無神経な事を言って兄ちゃんを泣かせてしまったと思って、慌てていつもみたいに兄ちゃんの肩に手を置いた。
「兄ちゃん、ごめ…」
「ふ…くくく…」
顔を上げた兄ちゃんの顔は泣いてなんかいなくて、物凄くおかしそうに笑っていた。
「兄ちゃん…?」
「はは…バレちゃった?でも快人、絶妙のタイミングで気付いたね」
兄ちゃんはそう言って姿見から離れた。俺に背中を向けて、テーブルの所で何かして、すぐに振り返ってまた俺の目の前まで来た。
「なぁ兄ちゃん、どういう意味?」
俺には何がなんだかわからない。兄ちゃんが分からなすぎて少し怖い。
目の前に立った兄ちゃんはニコニコ笑ったまま、俺の質問には答えずに突然俺の口に指を突っ込んだ。
何の前触れもない兄ちゃんの奇行に驚きの余り声も出なかった。
兄ちゃんの指は舌の裏に何か薄っぺらい物を残して出ていって、俺は反射的にすぐそれを吐き出した。
「っ…何だよこれ!」
「あーあ。出しちゃったの?でも、たぶん大丈夫かな」
「兄ちゃん!」
「まぁそう怒るなよ快人。ちゃんと話してあげるから」
兄ちゃんは俺の手を取ってソファに誘導した。
俺を腰かけさせると、その隣に兄ちゃんも座る。
「快人、俺はね、快人を愛してるんだよ」
「なんだよ、そんなことわざわざ…」
「快人の思ってるのと、違うから」
え?と兄ちゃんを見た俺の唇を兄ちゃんのそれが掠めた。
「こういうことも、それ以上もしたい」
「な…なに言ってんの…?」
キスのそれ以上って、まさかそんな…。
「…ところで快人、この映像に覚えはない?」
兄ちゃんは俺の驚きも疑問も全部無視してノートパソコンを操作し始めた。
ほら見てと向けられたそこには、忘れられない出来事……俺がホテルでおっさんに縛られてヤられてる映像だった。
音量は絞られているけれど、俺の表情までわかる。間違いない。
「な…なんだよこれ!なんでこんなのがここに…」
「まだ分からない?」
兄ちゃんの口元はずっと上がったままだ。それなのに、目はちっとも笑ってない。悪夢みたいだ。こんなの兄ちゃんじゃない。
「分からねえよ!何なんだよ!」
「じゃあ教えてあげる。快人に付きまとってたストーカーは俺なんだよ」
「え……」
「いつバレるかってスリルあったなぁ。ストーカーの時は『僕』で通してたのに、一回素が出ちゃって。あの時は焦ったけど、快人俺のこと全然疑ってないんだから。電話で俺に話してくれたことも結構言ってみたりしてたのに、俺の事完璧に信用しちゃって。それにしても、このキモいオヤジに犯される快人は最高によかったよ。電話で快人の声を聞きながらヌくのもよかったけど、これは最高のオカズだった…」
「やめろ!もうやめてくれ!」
嘘だ。そんなの嘘だ………。
兄ちゃんの言葉を聞きたくなくて、耳を覆った。
兄ちゃんがあの変態だったなんて。
おっさんとヤるのを仕組んだのが兄ちゃんだったなんて。
兄ちゃんがそんなこと考えてたなんて。
そんなの信じたくない。
「なあ快人。月の女神のセレネって知ってるかい?」
「セレネ…」
兄ちゃんが突然調子を変えて言った。
その響きは忘れられない。あのおっさんがそう名乗っていたから。
「内気なセレネはね、一目惚れした美青年を眺めていたくて、彼を永遠の眠りにつかせたんだ。しかも、夢の中で交合って50人も子供を作ったんだって」
兄ちゃんは凄いよねと愉快そうに大きな声で笑っているけど、俺は全然笑えない。
「だからね、快人も俺のために眠って。俺に快人の全てを頂戴」
兄ちゃんが俺のシャツのボタンに手をかけた。振り払おうと思ってるのに、身体が金縛りにあったみたいに動けない。
「そうだ快人。眠りにつく前に教えてあげようか。俺の言っていた事はぜーんぶ嘘だよ。サッカーなんか小学校でやめたし、それに…輪姦なんてされてないよ。快人がそうされて、ボロボロに傷つけばいいと思ってたけど、さすが快人。本当にあの派手な連中皆を虜にしちゃうんだから。お前の天然たらしっぷりには本当に感心するよ」
兄ちゃんが、これまで聞いたことないくらい冷たい口調で言い放った。
全部……嘘?
そんな……。
じゃあ俺は、この1年何のためにあんなこと…。
兄ちゃんどうして―――。
「あぁ、快人泣かないで。お前は本当に美しいね。美しくて皆に愛されているお前が……」
「いっ…」
俺の涙を拭っていた兄ちゃんの優しい手が、突然頬に爪を立てた。
「俺は憎くて憎くて堪らない」
兄ちゃんの顔から笑顔が消えて、氷の様に冷たい言葉が胸に突き刺さった。
兄ちゃんの手が無情に動いて、どんどん服がはだけていく。でも、俺は滲んだ視界でその光景をどこか非現実的な物みたいに眺めていた。
俺は兄ちゃんにそこまで恨まれる様な事をしてしまったのか。それは一体何なのか、分からない。というか、あまりのショックに頭が全然働かない。
兄ちゃんは、あんなことをするぐらい、あんな嘘をつくぐらい、俺の事を―――。
「うっ…」
唐突に強い吐き気がしてきて口元を覆った。心臓も急に全力疾走した直後みたいに早くなって、汗も吹き出してきた。息も苦しい。
「あぁ快人。ようやく効いてきたみたいだね」
兄ちゃんの言葉が、耳に凄く響いて来るのに、その意味が理解できない。
兄ちゃんのシンプルだった部屋の中が突然鮮やかになって、赤や緑の色がたくさん目に飛び込んでくる。兄ちゃんの顔色もいつになく赤くて、凄く生き生きとしている。
「初めてのトリップはどう?気持ちいいかい?」
俺はなんか変だ。変にさせられている。
そう思う冷静な自分がいる一方で、目の前の光景はどんどん鮮やかさを増して、俺の目の中に飛び込んできて、脳をダイレクトに刺激する。
「快人、兄ちゃんともっと気持ちよくなろうな」
兄ちゃんが何を言っているのか分からないのに、その言葉が、歌うような、美しくてとても魅力的な響きに聞こえて、俺は何度も頷いた。
俺の裸の上半身を兄ちゃんが撫でる度に、俺の身体はビクビクと打ち上げられた魚みたいに跳ねた。
目の前の兄ちゃんの鮮やかな身体が、肌が凄く恋しくて、腕を伸ばしてそれを抱いた。
気持ちいい。
触れ合う肌が、体温が気持ちいい。
与えられる唇と舌が凄く熱くて、口の中が気持ちいい。
兄ちゃんが身体を撫でる手も凄く気持ちよくて、自然と腰が揺れる。
「快人…愛してるよ」
兄ちゃんの手が、俺の全身を撫で擦って、何とも言えない甘美な快感が突き抜ける。
暫くその快美感に浸っていたら、身体の奥に強い衝撃があった。でも痛みを感じたのはほんの一瞬で、さっきよりも強い快感に身体が溶けてしまいそうな気がした。
俺の上で上下に動く兄ちゃんは、天使の様に綺麗で、そう思っていたら、兄ちゃんの背中に羽が見えた。
そっか。兄ちゃんは天使だったんだ。
兄ちゃんのはぁはぁという呼吸と、俺の口から断続的に漏れるあああ…っていう呻きが、これまで聞いたことないくらい美しい旋律になって降り注いできて、目の前は天上の楽園みたいに明るくて、見たことない程ビビッドな色に彩られた。
ここは天国なのかもしれない。
俺は死んだのかな。
でもこんな綺麗な所にいられるのならいい。
こんな、これまで味わったことない程の快楽を与えられるなら―――。
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