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奏人 3
敷地の外に出るのは久しぶりだった。
邸を出る時吉田さんと顔を合わせたが、快人の着てきた服を着て出たので、少しも疑われる事なく出られた。
快人は今桐谷誠という男と同居しているんだったな。
快人の行動は、ストーカーしてた頃も、やむを得ずやめた後も、聡司さんとこの下っ端を雇って全て監視していたので、大体は把握している。
だが、大学の講義のスケジュールなど細かくは分からないので、快人の家を漁って探るしかない。
電車に乗って30分程で大学傍の桐谷誠が住んでいると思われるアパートに着いた。
立地は最高だか、オンボロすぎる。
快人はよくこんな所に住んでいたな。
桐谷誠と快人がデキている様子はなかったが、もしかしたら…。
快人のズボンに入っていた鍵で玄関のドアを開けると、すぐに冷蔵庫の前に立っている男と目が合った。
「快人!お帰り!心配したぞ」
すぐに駆け寄ってきたこの男が、桐谷誠だろう。短めの髪がよく似合うスポーツマン風の爽やかな、なかなかの男前だ。
「電話もしたけど、電源落ちてるし」
「あぁ、ごめん」
携帯は弄っていないので、快人がうちに来る前に電源を落としたのだろう。
そう言えば家で快人の携帯が鳴ったことはなかったな。輪姦相手の可能性のある人物から電話がかかってこない様、快人なりの気遣いだったのかもしれないと思うと少しだけ胸がチクリとした。
「快人…?」
目の前の声に顔を上げると、桐谷が心配そうな顔でこちらを見ていた。
「快人、昨日なんかあった?」
「…いや別に。入るよ」
室内は狭く、リビングもダイニングもない。まるで台所にベッドとテレビとテーブルがあるみたいだ。
こんな部屋に二人も人が住めるものなのか?
プライバシーも何もあったものじゃない。俺は絶対にごめんだ。
「快人、飯食う?」
その声に振り返ると桐谷の手には大きな皿が2つ乗っていた。
「朝からそんなに作ったの?」
「あーいや、違うよ。これは昨日快人が帰ってくるって言ってたから…」
「作って待ってたとか?」
まさかと思って聞いたのに、桐谷は少し恥ずかしそうに頷いた。
こいつは快人が好きなんだ。
普通男が男に食事を作って待たないし、それに、普通約束を破られたら腹が立つものだ。
桐谷は全く機嫌を損ねている様子はなく、寧ろ快人を心配していた。
「快人の好物の麻婆豆腐だぜ」
考えている間に温められたそれがテーブルに置かれた。これは食べざるをえない状況だ。
朝ご飯なんて殆ど食べないし、腹も減っていないのに。
仕方なくテーブルにつくと、結構な量の白米も出てきて、桐谷も斜め向かいに座った。
気は進まないけど箸を握って、一口食べた。
なんの変哲もない普通の麻婆豆腐だ。
不味くはないし普通に食べられるけど、半分も食べない内に箸を置いた。
「もう食わないの?」
「悪いな」
「……快人、やっぱなんかいつもと違う。昨日どこ行ってた?」
まずい。快人ならこういう時なんと言うんだろう。そもそも俺は快人がこいつの事を何と呼んでいたのかさえ知らない。
「まさか…またあの変態ストーカーに何かされたのか…!?」
桐谷の声は真剣だ。
こいつ…どこまで快人の事を知ってるんだ。快人は俺にはストーカーの話も何もしなかったのに、こいつには相談でもしていたのか?
気にくわないな…。
「お前には関係ないだろ」
「関係なくなんかない!俺は快人が好きだから、快人に何かあったんなら力になりてえよ!」
やっぱりそうだ。
あの快人とひとつ屋根の下で暮らして、快人を好きにならない筈がない。
兄の俺さえ虜にしたのだから、あいつは天性の男たらしだ。
でも、こうして真剣に心配され、好きだと叫ばれるのはなんて心地いいのだろう。
「…誠」
「うん、何でも話せよ」
快人なら、きっと名前で呼んでいただろうと思ったら、やはり正解だったらしい。
あまり弱音を吐かない快人が、こいつの前でそれを曝していたとしたら、快人はこいつを気に入っていたんだろう。もしかしたら、好きだったかもしれない。
そう思うと目の前の男が憎らしく思える。だが、それと同時に快人の物を奪える喜びも感じた。快人は俺の物で、快人の物も俺の物だ。まずはこの男を貰ってやろう。
「誠…」
「か…快人…!?」
桐谷の身体にしなだれ掛かると、桐谷は目に見えて動揺を示した。
もしかして、快人とこいつは寝ていなかったのか?
だとしたら面白い。快人が手に入れられなかった物を、俺が手に入れるんだから。
「誠…俺昨日、酷い目に遭ったんだ…」
「快人…!まさか!?」
「前と同じ事された」
「また知らないオヤジに!?」
やっぱり快人は桐谷に話していたんだ。あぁ、イライラする。早くこいつを奪ってしまいたい。
「そう、すごくキモいオヤジ。だからさ、誠に浄めて欲しいんだ…」
桐谷が息を呑んだのがわかった。早くその気にさせたくて桐谷の足を撫でると、面白いくらい下半身が反応した。今にも押し倒されるだろうと思っていたが、桐谷は一向に動かなかった。
「誠…俺を抱いてよ」
今度はもう少し中心に近く際どい太股辺りを撫でながらそう言ったのに、期待していた動きはない。
結構モテそうなのに、こいつ童貞なのか?
もっとリードしてやった方がいいのかもと考えていると、桐谷の両腕が背中に回って、確りと抱き締められた。
「快人、辛かったな。無理しなくていいから…」
「無理…?無理なんてしてない。誠が欲しいんだ」
「それが無理してるんだよ。快人は、好きで男と寝てる訳じゃないだろ。見てれば分かるよ。自暴自棄になっちゃ駄目だ。俺だけは、快人の気持ちを大事にしてやりたいんだ」
「―――っ」
「もうストーカーはいなくなったって言ってたけど、まだ諦めてなかったんだ。すぐに気づいてあげられなくてごめんな。もう絶対快人に手出しはさせないから…」
「そんなこともうどうでもいいから、早く誠を頂戴。俺の事抱きたいだろ?」
桐谷の身体をやんわり押し返して、キスをねだるように見つめた。
桐谷のさっきの言葉に、なぜか俺は動揺していて、だから言い聞かせる。慰めの言葉が欲しいんじゃない。俺が欲しいのは既成事実だ。快人に対する優越感だ。
「快人…?」
桐谷は頬を染めていたけど、少し訝しんでいる様な声を出した。
こいつまた疑ってる…?
大好きな快人が迫っているのだから、つべこべ考えずに早く押し倒せよ。
「早く…」
焦れったくて、唇を寄せると…
「っだ…駄目だ!!」
桐谷は慌てたみたい俺から離れた。
「誠、俺の事好きじゃないの?」
「好きだよ!すごく好きだ!でも、好きだから今まで我慢してたのに、こんな、快人が傷ついてる時に手出すなんてできねえよ!」
桐谷は顔を真っ赤に染めて言った。
「我慢しなくていいよ」
一歩前に踏み出すと、桐谷はまるで俺から逃げるみたいに後退した。
「駄目なんだよ!俺は…快人の特別になりたいんだ!だから、付き合えるまで手は出さない!そう決めたから!」
狭いワンルームだ。桐谷の身体はもう壁際まで後退していた。
この状況はなんだ?俺が桐谷に襲いかかろうとしてるみたいじゃないか。
俺にガタイのいい男を抱く趣味はないのに。
つまらない。なんてつまらない男だ。快人に1年手を出さなかっただけある。
諦めて桐谷から視線を背けてテレビの前に座ると、あからさまにほっとした様子の桐谷が戻ってきた。
「快人、その…抱く、とか以外に俺に出来ることある?…飯は…食ったし、あ、風呂だな!シャワー浴びたいよな?今お湯溜めてくるからな!」
座ったばっかりなのにまた立ち上がって、慌ただしくシャワー室があると思われる所に消えた。
すぐにジャーとお湯を張っている音がし出した。
快人の言っていた、「寝ていないのに自分の事を好きになった男」というのは、こいつの事だろう。
今更こんな生温いままごとみたいな優しさ求めてないのに、なぜか心が乱された。
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