26 / 46
奏人 6
初めて快人に比べられて勝った。
あの日の経験は、俺に自信と余裕をもたらして、心に開いていた穴さえ塞がった気がして、「快人」になってようやく心からこの生活を楽しめる様になった。
でも…自分自身が満たされれば満たされる程、なぜか快人に会いに行く足が遠退いて、もう2週間も快人に会っていない。
「快人、何考えてる?」
「……正一の事」
「お前上手い事言って。心ここにあらずな目ェしてたぜ?」
「じゃあ、もっと夢中にさせてよ」
「言ったな。今日は容赦しねえぞ」
「っあ…すごい…」
激しく揺さぶられて、次第に快人の事は頭から消えて、目の前の男が与えてくれる快楽に溺れる。
楢橋の事は今では下の名前で呼んでいる。快人は「さん」付けで呼んでいた様だが、どうしても慣れなかったからだ。
「快人、今日も可愛かったよ。愛してるぜ」
所謂ピロートークまで甘いのは、本気で相手を愛しているからなのか、それともそういうのが苦痛じゃない人間だからなのだろうか。
「正一は、誰にでもそう言うの?」
「快人、いい加減俺の事信じろよ。お前には本気なんだから」
「俺に惚れてる事くらい知ってるよ。ただ、そういうのは、本気で好きじゃない相手にも言うのかなと思って」
「んー、まぁムード壊しちゃ悪いしな」
「じゃあ誰にでも言ってるって事か。モテ男は違うね」
「そ、そんなんじゃなくて…!」
慌てる正一にキスをしたら、モテ男台無しな惚け顔で固まった。
「俺、正一のそういう所好きだよ」
「そういう所って?」
「意外と素直で純情な所」
正一の顔は真っ赤だ。
「こんなん…お前の前だけなんだからな。いい加減落ちろよ…」
「なあ正一」
「なんだよ」
「俺って、変わった?」
「……変わったって言えば、変わったな。タメ口聞く様になったし…」
「どっちがいい?前と、今と」
「どっちって…どっちも快人なんだから、そんなん選べねえよ」
「選んでよ」
正一の、アーモンド形の堀の深い目を見つめる。快人じゃなく、俺を選んで欲しい。正一には、特に。
「確かにお前は変わったな。でも、人間そういうもんだ。変わらないヤツなんかいない。どっちか選ぶとしたら、俺は過去よりも今のお前を選ぶぜ」
正一が微笑んだから、俺も笑った。快人じゃなくて俺を選んでくれて、心から嬉しい。正一の言っている事は、そういう意味じゃないのだろうけど、それでも正一は俺を快人だと少しも疑っていなくて、今の俺を認めてくれている。
「落ちてあげようか?」
「快人、それって…」
「他の二人は切るよ」
「本当か!?それって、俺と…」
「まだ俺は正一の事愛してないから、付き合えない。今まで通りでいいなら、正一を選んであげるよ」
「相変わらず小悪魔だな。でも、いいぜそれで。惚れさせる自信はある」
正一は不敵に笑った。さすが、伊達に大学1モテてた訳ではないらしい。そういう台詞が板についているし、あり得ないけれど、そうなる様な気持ちにさえさせられる。
初めの頃、セックスさえしていれば誤魔化せると思っていた3人だったけど、何度も会う度にそういう訳にも行かない事が分かった。
川中はお喋りで甘えたがりな所があるらしいが、俺はそれを上手くあしらえなかった。その為か、「快人どうしたの?」とか、「ノリが悪い」とかよく言われる。セックスに持ち込めばそれでもまだ誤魔化せたが、こいつの絶倫ぶりも、性格も俺には合わない。求愛されるのは心地いいが、正直一緒に過ごす時間が苦痛だ。
守山は川中と違ってお喋りではないが、その分心の中では何を考えているのか分からない奴だ。
恐らく3人の中で一番「快人」が変りすぎた事を敏感に察知して、それでも気づかないフリをして俺に接して探りを入れている気がする。人を操りたいと思っている様なタイプで、俺と似すぎている。セックスは悪くないが、最中の仕草までもチェックされている気がして心が安まらない。
正一は、俺にとって一番居心地がよかった。
その理由は「快人」が変わった事をそんなに違和感なく自然と受け止めてくれた事が一番だ。
もしかしたら、快人は正一を一番黒に近いと睨んで、無意識に警戒していたのかもしれない。無邪気で人懐っこい内面を隠して、別の快人を演じていたのかも知れない。
そうだとしても、俺は正一に選ばれた。一番そう言って欲しかった相手に、選ばれたのだ。
正一の事は、嫌いじゃない。寧ろ好きな方だ。
でも、俺が愛しているのは快人だけだから、正一を愛することはきっとないだろう。
桐谷とは、あの日から進展はない。
俺はあのアパートに帰っていないし、桐谷も必要最低限しか話しかけてこない。
守山と川中も、俺の物になったとは到底言えないが、簡単に切り捨てる気になった。それなのに、桐谷の事は今も尚気になってしまう。
あんな奴の事こそ切り捨てたいのに、桐谷が快人の事を一番理解していて、とても大事に扱っていた事に嫉妬してしまう。桐谷に対しても、快人にもだ。
快人は完全に俺の手中にあるというのに、どうしてこの醜い感情はなくならないのだろうか。
*
*
*
また今日も眠ってる…。
守山と川中に会わない事を告げた後、快人のいる部屋を訪れるのはもう3度目だが、こうして寝顔を見るばかりだ。
眠り姫の様な快人は美しくていつまでも眺めていたいけど、哀れで見ていられなくなる。
最低な俺にも良心があったらしい。いや、甦ったのかもしれない。
聡司さんは、本当に快人に飽きたのか、ゴミ箱の中身も、シーツも、臭いも、情交の跡は見当たらなくなって、快人はいつも本当に眠らされている。
ドラッグを使って求められるのが面倒になったからなのだろうか。
快人をこうして閉じ込めてもう3ヶ月が経過している。こんなに長い間クスリ漬けにされているのだから、もしかしたらもう快人は元に戻れないのかもしれない。
例えこの目が開いたとしても、完全に白痴と化して、快人自身は永遠に眠りから醒めないかもしれない。
俺は快人を殺してしまったのだろうか。
それでも、俺はこれをやめようとは思わない。
今やめれば間に合って、快人は生き返るかもしれないけど、俺はまた全てを失ってしまう。目覚めた快人は、俺を赦しはしないだろうから。
一度堕ちてしまった者は、もう戻れない。いくら良心が甦ろうと、所詮俺は悪魔だ。愛しい者を救えるかもしれないのに、その手を差し伸べようとしないのだから……。
帰り際、玄関で聡司さんと鉢合わせた。
「快人くん、来てたのか」
「…どこかお出掛けでしたか?」
「ちょっと仕事でね」
「少しお話があるんですけど」
もろもろは、吉田さんに聞かれるかもしれないので、その対策だ。
聡司さんは部屋に入るなり、表情を変えて俺に手を伸ばした。
「聡司さん、あの黒服は何?」
俺は聡司さんの好色な笑みも肩に触れる手も無視して他人行儀な顔のまま聞いた。
いい加減つけ回されるのはうんざりだったが、近頃聡司さんは外出がちでずっと会えずにいたのだ。
「黒服って?」
「とぼけるなよ。俺の事ずっとつけさせてるだろ?」
「そんなの知らない。僕じゃないよ」
「嘘つき。聡司さんじゃなきゃ誰があんなことするんだよ」
「僕じゃないって。奏人綺麗だから、ストーカーされてるんじゃない?」
そんな風じゃない気がするが、そうなのだろうか。快人をつけ回していた罰が当たったのかな…。
考え込んでいる内に聡司さんの唇が首筋にキスを落とし始めた。
快人がいつもあんなに無褒美に傍にいるのに、聡司さんは快人じゃなくて俺に欲情してる。
服に手をかけられても、抵抗はしない。快人よりも魅力的だと言われている様で、凄く気分がいいから。
ともだちにシェアしよう!