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快人 6
あれから1週間後の今日は、待ちに待ったデートの日だった。
ディナーを…というのが紺野さんの希望だったから、ホテルの前で18時に待ち合わせた。
長い間俺にとってこの時間は睡眠の時間だったから結構眠いけど、今日は泊まり込みで紺野さんが俺の時間を買ってくれているので、たぶん夜は寝かしてくれるだろう。
聡司さんの車でホテルまで送って貰うと、既に紺野さんが待っていた。
「行ってくる」
「明日朝8時にここに迎えに来るから」
「ん」
車を降りてホテルの方に向かうと、紺野さんはすぐ俺に気付いて手を挙げた。
「月人」
紺野さんが笑うと、目の回りの皺が深くなって、元から優しそうな表情が更に優しく見えて好きだ。
「お待たせ」
「全然。ちょっと時間早いけど、お腹減ってる?」
「うん。期待して昼飯抜いたから、ペコペコ」
「はは…じゃあ期待に応えないとな。行こうか」
紺野さんについて入ったホテルは重厚感があって、紺野さんには似合うけど、俺みたいな若造にとっては少し場違いだなぁと思う。
でも、聡司さんの監視も付き添いもなく自由に歩けるのは本当に久しぶりで、それだけで清々しい。眠気なんて一気に吹き飛んだ。
紺野さんと入ったのはフレンチの店で、食べ慣れない物が少しずつ沢山出てきて面白い。
「月人は凄く美味しそうに食べてくれるね」
「うん、すげーうまいもん!こんな高そうな店に連れてきてくれてありがと!」
笑って言うと、紺野さんもクスクス笑った。
「ベッドの上の月人もいいけど、今日の月人は凄く魅力的だよ」
「そう?」
俺ただ好き勝手に食べてるだけなのに?
「うん。いつもより生き生きしてて表情がいいね」
「だって楽しいから。紺野さんも、楽しんでる?」
俺は本当に海外旅行に来たみたいにテンション高いし、凄く楽しいけど、そう言えば俺が楽しむだけじゃ駄目だった。これはあくまで仕事なんだから。
「俺も凄く楽しいよ。何より、月人が楽しんでくれてるのが一番嬉しい」
紺野さんは本当に優しい。
普段食べている吉田さんの作ってくれる食事も美味しいけど、一人でか、得体の知れない聡司さんと顔を付き合わせて食べるより、紺野さんの優しい微笑みを見ながら食べた方が何倍も美味しい。
「ご馳走さま!こんなに楽しい食事は久しぶりだったよ。カタツムリって、本当に食えるんだね」
店を出たロビーでお礼を言うと、紺野さんも目の皺を深くして笑った。
「お店が許可してくれたら、またいつでも連れてきてあげる」
「嬉しいな」
こうしてたまにだとしても外に連れ出して貰えたらいいな。絶対許可して貰おう。
「今日は花火が上がるらしいんだ。夜景も花火も見える所があるから、次はそこに行こうか」
「うん!」
紺野さんの運転する高級そうなセダンの助手席に乗って、普段通らない通りを眺めた。
毎日他の車の助手席には乗ってるけど、これから向かう先が花火に夜景と思うと気分が全然違う。
「月人は…どうしてこの仕事をしてるの?」
それまで当たり障りのない会話をしていた紺野さんが少し口を噤んで、唐突に聞いてきた。
「えっと……」
なんと言えばいいかな。
「ごめんね、いきなり。答えたくなかったらいいけど、もし理由があるなら知りたくて」
もういいか。別に内緒にしなきゃいけない内容でもないし、紺野さんだし。
「俺、ちょっとお金が必要で」
「借金か何かあるの?」
「そう…だね。そんな感じ」
「そっか……」
紺野さんはそう言ったきり黙りこくった。
正直に言ったのはまずったかな。いやいやしてるって思われるより、好きでこの仕事してるって思って貰った方がいいに決まってるよな。
「でも俺、紺野さんが来てくれるの、いつも楽しみにしてるよ。今日だって本当に感謝してるし…」
「ありがとう月人」
紺野さんがニッコリ笑いかけてくれた。俺は嘘はついてないけど、取り繕ってるだけに聞こえてしまったかな。
紺野さんは不機嫌そうでは全然ないけど、でもまだなんとなく下らない話に戻す空気じゃなくて、スピーカーから流れる洋楽がやけに大きく感じられた。
紺野さんの車は知らなかった通りから、俺のよく知っている通りに入った。大学近くの通りだ。
懐かしいなぁ。疲れて甘い物が無性に食べたくなる時、あのパン屋で時々甘い菓子パン買って食べたっけ。
知ってる景色を探すのに夢中になって、いつしか紺野さんとの間に会話がないことも特に気にならなくなった。
「着いたよ」
紺野さんが車を停めたそこは、大学の傍の高台で、結構広い駐車場には既に沢山の車が停まっている。
ちょっとした公園の奥が展望スペースみたくなっていて、カップルがちらほらいて柵に凭れかかって空を見上げていた。
車に乗ってる時から花火の上がる音は聞こえていたから、もう始まっているのは知ってたけど、到着したと同時に花火の光は消えて、打上音だけが遅れて耳に届いた。
「あそこ行こ。空いてる」
紺野さんが見つけたスペースに二人で肩を並べて立った。男同士でデートスポット的な所でこんな風にしてるのはたぶんちょっと異様だけど、これくらいの事は今更だ。大学の時から楢橋さんや光希さんに慣らされている。
あんまり予算がないのか、次の花火はなかなか上がらなくて、二人で何もない暗い空を見上げた。
「月人、借金っていくらあるの?」
「紺野さん、その話は…」
「知りたいんだ」
困惑して紺野さんを見たけど、紺野さんは真剣な顔付きでじっとこっちを見ていて、誤魔化せないと思った。
「……あと2000万ちょっと」
「2000万か。思ってたよりあるね。でも、それ俺が払う」
「え…?何言って…」
「……ボーイに本気になるなんてバカげてるよな。でも、今日で確信したよ。俺は月人が好きだ。月人の笑顔と明るさが、好きだ。俺と真剣に付き合って欲しい」
「紺野さ…」
「快人?」
え……?
紺野さんの突然の告白に頭が真っ白だった時に、懐かしい声に自分の名前を呼ばれ、何も考えずに振り返った。
そこにいたのは―――。
「誠……」
「やっぱり快人だ。……楢橋さんどうしたんだよ。その人誰?」
1年以上も会っていなかった誠は、背格好は変わっていなかったけど、表情が少しだけ大人びて落ち着いた。それに…口調が少しきつくなった様な気がする。
「なぁ、お前楢橋さんと幸せにやってるんじゃなかったの?なんでそんなオッサンと並んでるの?」
「ちょ…誠、失礼な事言うなよ」
「……へぇ。楢橋さんやめて、今はそのオッサンと付き合ってるんだ。さすが、守備範囲広いな」
「なんで…」
なんでそんな言い方するんだよ。
誠は、これまで俺に向けられたことのない冷たい顔つきで、俺はそんな誠を正面から見ることができなかった。
誠は表情が大人びた訳でも、口調がきつくなった訳でもない。
きっともう俺の事を―――。
俺の中では誠は思い出の姿のまま止まっていたけど、誠にとって俺は久し振りに会うわけでも何でもなく、誠の中にはもう新しい快人がいるんだ。
誠にとって、俺は過去なんだ…。
だって現に、誠の隣には可愛い女の子が立ってる。
「月人、大丈夫?」
俯いた俺を紺野さんが覗き込んだ。
俺、何やってるんだ。今はあくまで仕事中なのに。
「ごめん紺野さん。大丈夫」
「月人…ってなんだよ」
誠が口を挟んだ。
俺は紺野さんとデート中なんだ。他の男と話すなんて、失礼だ。
そう思うのは本当は建前で、俺はもうこれ以上誠の冷たい顔と声を知りたくなかっただけなのかもしれない。
「誠には、関係ねえ。俺たち楽しんでんだから、邪魔するなよ」
相変わらず誠の顔は見れなかったけど、口だけは威勢よく言った。
「……そうかよ」
誠は一言冷たく言って、離れて行った。
同時に花火が上がったのか、歓声があちらこちらから聞こえた。
「月人…」
「ごめん紺野さん。嫌な思いさせて。花火見よう?」
「月人、無理しなくていい。そんな気分じゃないんだろ?」
「そんなことない。紺野さんと花火見るの、俺すごく楽しみだったし…」
「行こう」
「え…紺野さん?」
紺野さんに腕を引かれて花火に背を向けて歩く。紺野さんは無言でずんずん歩いていて、紺野さんよりコンパスの短い俺は時々躓きそうになりながら早足で着いていった。
「ごめん月人。俺がここにいたくなかった。ここだと月人を独り占めできない気がして」
車の前まで着いた時、紺野さんがようやく口を開いた。
「ごめん…ごめんなさい。俺が他の奴と喋ったりしたから…」
「気にしないで。心の狭いおじさんの嫉妬だよ。……醜いよなぁ」
はははと紺野さんが笑ったから、少しほっとした。怒っていないみたいだ。
「とは言え、興が削がれたのは事実だし、別の夜景を見に行こっか?」
「うん。そうしたい」
紺野さんがニッコリ笑って助手席のドアを開けてくれた。
誠の事は、もう考えちゃ駄目だ。
紺野さんの事だけを考えて、この時間を楽しもう。
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