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快人 2

今日は仕事に向かう気が重い。 誠が客として来る日だからだ。 「快人どうした?今日の客、嫌いなのか?」 俺の小さなため息を聞き付けた聡司さんが運転しながら聞いてきた。 「ううん、そんなんじゃない」 「もし嫌な事されたら遠慮しないで言えよ」 「うん、ありがとう」 聡司さんに「キリヤマ」を相手したくないって言えば、たぶんもう誠は来なくなるだろう。誠の顔を見ずに済むし、こんなに気持ちが沈む事もなくなるだろう。 でも、それでもそうしないのは、やっぱりどこかで誠の戯言を喜んでる自分がいるからなんだろう。 そして、誠のしたいようにすればいいとも思っている。これは別に投げ槍にそう思ってるんじゃなくて、言葉の通りだ。誠の気の済むまで付き合ってやりたいのだ。 俺は自分がこんなに一途だったなんて知らなかった。 俺は誠の為なら自分の心をすり減らすことができるくらい、誠に惚れていたんだろう。 緊張と不安が混ざりあった気持ちで部屋で誠を待つ。そしていつもの様に予約時間きっちりにチャイムが鳴った。 俺は、緊張も不安もできる限り仮面の下に隠して、ドアを開けた。 「こんばんは」 「快人、こんばんは」 誠がニッコリ笑ってる。相手の表情は、自分のそれを写す鏡だとかって言うから、きっと俺もニッコリ笑えてるんだろう。 「やっぱり快人、大学にいる時よりも元気そう」 慣れた様子で部屋に上がり込んだ誠がそんな事を言った。 「大学で俺って、そんなに元気ない?」 「え?あ、うーん、そうだな。あんまり笑った所とか見ないから、そう見えるかな。ま、俺は約束通り話しかけてないだろ?遠巻きにしか見てないからよく分からないってのが正直な所だけど」 兄ちゃん…何かあったのかな…。誠の言葉の端々から想像すると、兄ちゃんは楢橋さんと付き合ってるみたいだけど……。 「だから、ここで元気な快人に会うと安心する。俺の好きな快人がちゃんといるって」 「お前さぁ……」 「何?」 「……何でもない」 誠が何のためにまだ俺を好きなフリをするのか、問いただすタイミングはいくらでもあるのに、俺はいつでも核心をつけない。 もしも、俺への嫌がらせとかだったとしたら、流石に俺も暫く立ち直れない。 それを知るくらいなら、何も知らないフリをして、いつか誠が飽きて来なくなるのを待っていた方がずっといい。 心臓をひと突きされるよりも、じわじわ首を絞められるほうがマシだ。 「快人は……やっぱ俺の事キライだよな…?」 嫌い?何を言うんだろうこいつは。 誠を嫌いなら、何で俺が誠が来ることを拒まないんだよ。 何で俺がこうして神経削ってまで誠と顔を付き合わせてると思うんだよ。 もう半年もこうなのに、誠がそれを分かってくれないなら、俺は何の為にこうしてるんだろう。 何の為に……。 「ああ、嫌いだよ。大っ嫌い」 そうなればいいと思って言った言葉は、自分に返ってきて、胸を抉った。 心にも無いことは言うものじゃない。 「そ……か。知ってたけど、直接言われるとけっこー堪えるな」 俺は明らかに、嫌いだって吐き捨てた人間の表情はしていないと思うけど、誠は完全に俺の言葉を信じたみたいだった。 俺、バカだな。 誠の前でもちゃんと『月人』でいるって決めたのに。 そうじゃないから、いちいち素になって反応するから辛いんだって分かってる筈なのに。 「ごめん、嘘。嫌いじゃないよ」 笑って言ったら、誠はすごく悲しそうな顔をした。 俺、誠にこんな顔させたい訳じゃないのに。 「……そう言えばさ、快人最近アクセサリー着けるんだな」 気を取り直した誠が話題を代えた。誠はいつもこんな感じだ。何がしたいのか、俺のご機嫌を取るみたいに…。 「これ…さ、大分前に作ったやつなんだけど、そーいうの着けるなら、これも着けて欲しくて」 誠は俺に細長い箱を差し出した。 無言で受け取って中を開けてみると、そこにはイニシャルを象ったモチーフのついたネックレスが入っていた。 「なんだよ、これ……」 「恥ずかしいんたけどさ…快人のK」 照れ臭そうに話す誠が俺には悪魔に見える。 なんで今更…。 なんでこんな、昔を思い出させる様な事するんだよ。 「いらねえ」 「え…」 「いらねえよ!」 俺は本当は大声で喚いて、その上その箱を投げ返したいくらい心が動揺してた。泣き出したいくらい、悲しかった。けど、俺は今『月人』でいなければならないから………。 「……客から金品貰うの、禁止されてるから」 「……そっか…」 どうして誠は俺を『月人』のままいさせてくれないんだろう。 やんわり、でもきっぱり突き返したそれを、誠は素直に受け取った。 誠の表情までは、わからない。自分を制御することで頭がいっぱいだ。 「ごめんな。……快人さ、今一番したいことって何?物は…受け取って貰えないんだもんな。どうしたら喜んでくれる?」 もういい加減やめろよって叫べばよかった。それか、いつもみたいに笑って適当に受け流して済ませてしまえばよかった。でも、演じるのがいっぱいいっぱいだった俺の口をついて出たのは、本当の『俺』の本音だった。 「戻りたい……」 いつもあんまり考えないようにしてたけど、俺は結構平和に、それなりに幸せに普通の暮らしを送ってたのに、下り坂を転げ落ちるみたいに突然この世界に落とされた。 兄ちゃんの事とか、何も考えずに自分の事だけ考えるとしたら、俺は元に戻りたい。 兄ちゃんが優しくて、誠と何のわだかまりもなく笑い合えてたあの頃に。平和で、確かに幸せだったあの頃に戻りたい。 思わず呟いてしまったその言葉を誠がどう捉えたのかわからないけど、俺は気づいたら誠の腕の中にいた。 「ごめんな快人…ごめんな……」 誠の声は泣いてるのかと思わせる程に震えていた。 誠の腕が、前と同じ様に暖かくて、優しく感じて、今だけと自分に言い聞かせて、身体の力を抜いた。 目を瞑ったら、本当に昔に戻った様な気がして、でも、すぐにそんなのあり得ないってわかって、泣きそうになったのを必死に堪えた。

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