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快人 6
あれから数ヵ月後、俺はとある大学の1年生になっていた。
兄ちゃんは成績優秀だったから、学期の途中だったけど受験なしに編入できて、俺は奏人を名乗れる事に初めて感謝した。
「奏人さん、今日どっすか?」
高校を卒業したばかりのクラスメイトが、手でグラスを傾けるフリをして見せた。
本当の俺は21だけど、奏人は24だから、みんなには24と伝えてある。18才の彼らからしたら24という年齢は6個も離れている訳だからかなり大人に感じられるのか、「奏人さん」と呼ばれてる。
「いいね。行く」
同じ仕草をして答えると、そいつと回りにいる奴らが「やったー」と騒いだ。
3つしか違わなくても、若いなぁと思ってしまう。俺も3年前こんな感じだっけ?と当時を思い出して、違うなってすぐに思った。
俺はあの時考える事と言ったらサークルの先輩達を誘惑することばかりで、こんな無邪気さ欠片もなかった。唯一素の自分に戻れたのが、アイツといる時だった。
「奏人さん、行きましょー!」
大学のクラスメイトは皆気のいい奴らばかりで、現役じゃない俺にも臆する事なく話しかけてくれる。
話しかけてくれる所か、今みたいに肩を組まれたり、手を引かれたりすることもあって、最近の若者はスキンシップが多いんだなぁとか年寄りじみた事を思ったりしている。
「奏人さんって、彼女とかいるんですか?」
「いないよ」
「えーまじっすか?絶対モテるっしょ!」
「全然。悲しいくらいモテないよ」
高校までは、彼女がいたこともあったけど、前の大学ではホモだと思われてたし、その後はプチ監禁生活だったし。女の子と触れ合う機会なんてこの3年間全然なくて、代わりに男とは嫌と言うほど触れ合ってきたのが少し悲しい。
「えー、じゃあ奏人さんって、オトコとかいけたりします?」
「ハァ?」
考えていた事がそういう内容だったせいで過剰に反応してしまったが、これはそうじゃなくても過剰に反応してもいい所だろうと思う。
「えー、だってだって、奏人さんならモテるっしょ、オトコにも!」
「し、知らねーよ!」
「俺奏人さんなら勃つ」
そんな変な宣言しないで欲しいし、回りも同意するのはやめてほしい。
途端組まれてる肩が、組まれてるというよりは肩に手を回されているという表現が適切な雰囲気に感じられて、さりげなく腕を肩からほどいた。
最近の若者は、同性愛にも寛容なのだろうか?
あー…でもそう言えば、楢橋さん達もこういうノリだった気がする。忘れてた。
大学の門を出る所に差し掛かった時、自分の携帯が鳴った。
ディスプレイを確認すると、聡司さんだった。珍しいな。
「ごめんちょっと電話。先行ってて」
「えー!」とか、「彼女ぉ?」とかの声を背中に受けながら、今来た道を戻って、通話にした。
『快人?』
「どうしたの?」
『ちょっと聞きたい事があって。桐谷誠って、知り合い?』
え……?
「そうだけど、誠がどうしたの?」
何があったのだろう。気持ちは焦っていたけど、冷静さを装って聞くと、聡司さんが、ため息をついたのがわかった。
『そうか。いや、さっき事務所に乗り込んで来たらしくて、なんでも「快人を返せ」とか言いながら。かなりボコられたらしいけど、そいつの顔を見たことがある奴がいて。どうもかなり上の組織の組長の倅だって話で、事務所でも持て余してるらしいんだ。快人、行ってやってくれないか?』
アイツ、一体何やってんだよ……。
「わかった。住所は?」
聡司さんに聞いたその事務所は、幸い大学からそんなに遠くなかった。
タクシーを捕まえたら、10分もしない内に到着した。
ビルの2階のテナントに入っているその事務所は、表向きただの商社の様に見える。
階段を登って、磨りガラスのドアを開けると後から取り付けられた様なドアがあって、それも抜けると、普通のスーツを着てるけど、嫌に体格がよくて目付きの悪い男たちが一斉にこっちをギロリと見た。というか、睨んだ。
「あ……の…」
言葉が続かない。聡司さん、自分も向かうって言ってたのにまだ着いてないのかよ…。
俺が言葉を探してる内に奥の黒塗りの重厚なドアが開いて、見知った顔が出てきたから、思わずすがるような声をあげてしまった。
「会長!」
言った途端一気に殺気だった男達は、会長の「月人」という声に、一瞬でそれを鎮めた。
こ、怖かった…。
「久しぶりだなァ月人。もう店を辞めたと聞いていたから、会えないかと思っていたが、あの変な若造に感謝しないとな。相模(さがみ)組組長の倅だって話だが、単身乗り込んできてただの鉄砲玉みたいだったぜ。月人、あいつとどういう繋がりだ?」
「大学の…友人です」
「ほー。向こうはそうは思ってねェみてえだがな。それにしても……」
会長が距離をつめて俺の頬に触れた。
この空気、困る…。
「相変わらず可愛い面しやがって」
「そ…それで、誠は…?」
「あっちにいるぜ」
会長が指差した方にはまた別の扉があって、俺は逸る気持ちを抑えて、それでも足早にドアを抜けた。
「誠!」
窓のない薄暗い部屋の中央に、ロープで手足を縛られた誠が転がっていたから焦って駆け寄って跪いた。
「誠、大丈夫か?」
聡司さんの言う通りかなり殴られたらしい誠は、腫れて閉じぎみだった瞼を開いて、俺を見た。頭を挙げないから、目を合わせやすい様に膝の上に頭を乗せてやると誠の口元が少し緩んだ。
「快人、やっぱり…いた」
「お前、何でこんな所に」
「快人の、兄ちゃんに聞いたんだ。快人がこの組の奴らに捕まってるって。でもこのザマだ。ごめん、助けられなくて…」
兄ちゃんに…?
そうか、兄ちゃんは、俺が店に戻って、逃げ出した制裁でも受けてると思ってるんだ。
兄ちゃん、誠に話したんだ…。
「俺は捕まってなんかいねえよ」
「え…?でも、じゃあなんで?」
「お前がボコられたって聞いて、来てやったんだよ。ほんと、バカだよお前」
誠の手のロープはさっきから取ろうとしてて、ようやく結び目が解けた。
「ありがとう」
誠の頭を膝から下ろして、足下に移動すると、誠が腕を支えに身体を起こしてこっちを見た。
「なんだ、動けるんじゃん」
「快人、本当にここの奴らに何もされてない?」
「されてねえよ」
「よかった!」
突然元気になったみたいな誠が、がばっと抱き付いてきて、しゃがんで誠の足のロープをほどこうとしていた俺は尻餅をついた。
「なんだよ!」
「快人が無事で嬉しいんだ!お兄さんに全部聞いた。快人、本当に本当にごめん!頼むからもういなくならないでくれよ!」
「誠…」
「人の事務所で随分お熱いことじゃねえか」
「か、会長…」
会長が遠慮もなく部屋に入ってきたから、慌てて誠を引き剥がした。ここは会長の事務所なんだから、遠慮も何もいる訳ない。
寧ろ遠慮しなきゃいけないのは俺たちの方だ。
早く行かなきゃと必死になってロープをほどいていたら、会長の気配を横で感じた。
「どっちかって言うと、月人を縛りてえなァ。もっと色気のある道具で」
「っ…会長、縄解けないじゃないですか」
耳元で喋られるから、ゾワゾワして肩が竦んで手元に集中できない。
「そんなのチマチマしてないでこうすればいい」
会長がおもむろに懐からナイフを取り出して、スパンとロープを切った。
さすがヤクザは懐から出てくる物が違う。
「これでいいだろう。こんな若造勝手に帰らせて、奥に行くぞ」
会長に腕を取られて立たされる。
そういう事なのか、俺が呼ばれたのは。
誠の知り合いなら、代わりに会長に詫びを入れろって、そういう意味なのか…?
「ちょっと待て!そいつは渡さない!」
これまで黙りこくっていた誠が大きな声を出して我に返った。俺はまた前みたく自分の事を諦めようとしてた。
「アァ?相模の倅だかなんだか知らねえが、チンピラにもなりきれてねえみたいなテメエが俺のもんに手ェ出すのか?」
会長が軽く凄むみたいな声を出して、それを聞き付けた男達が部屋にぞくぞく集まってきた。
「またタコ殴りにしてやんぞガキがぁ!」
部屋に入ってきた男の内の一人が喚いて、部屋の空気が殺気だった。
「ちょっと待って!」
俺は一応会長のお気に入りという事を皆察しているのか、男達は目付きは鋭く誠を射抜いているが、一応「待って」くれているらしかった。
「会長、俺もう身体売るのやめたんです。もっと自分を大事にしようと思って…。だから、もう会長とは寝ません。俺達をこのまま返して下さい」
気を抜いたら震えそうになる声を必死に宥めて頭を下げた。こんな勝手な願いが聞き入れられるのかわからない。でも、俺は誠と一緒にボコられようが、もう自分の価値を下げたくなかったし、自分の感情に正直でいたかった。
「月人、頭を上げろ」
会長の言葉に恐る恐る顔を上げたら、会長は穏やかな顔をしていた。
「月人。俺は何もお前の身体だけが欲しいわけじゃねえぜ。前から言ってるだろ?俺はお前に無理じいはしたくない。そんなに帰りたいなら、今日は帰ればいい。でも、今度お前を口説きに出向くから、覚悟しておけ」
ニヤッと会長がいたずらっぽく笑って、全身の力が抜けそうなくらいほっとした。
「会長、ありがとうございます」
会長の指示で男達も捌けて道が開いて、俺は誠と連れだって事務所を出た。
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