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1-6 アキヒコ
行くべきなのか、これは。行かなあかんのか。ほっといて逃げたら、今後の家業 に差 し支 えんのか。それにあんまり、可哀想 か。
こいつ人型 になっても、結局自分では動かれへんのか。俺が放 って逃げたら、もしかして、次また誰かが助けるまで、ずっと風呂に浸 かってんのかな。それが亨 でもか。
それは超 ヤバい。
あいつが目を醒 まして、風呂でも入ろうかって、ここに来て、水煙 人型バージョンがバスタブに浸 かってるの見たら、一体どうなる。
激怒 するに決まってる。あらぬ想像をするに決まってる。
そして俺はあいつに、ぎったんぎったんにされる。今度こそほんまに食われるかもしれへん。
濡 れ衣 でやで。なにもしてへんのに、浮気したみたいに言われて、頭からガツガツ食われるんや。大蛇 に。
悲惨 な最期 すぎ。それは何としても避 けたい。
水煙 を水から出して、元の剣に戻しておかなあかん。それに道場にもこいつを連れていかなあかん。そういう約束やねん。今さら反故 にするわけには。
「シャンプー流してからでもええか」
それでも覚悟 が決まらず、俺は無駄 な逃げを打ってた。考える時間を確保したくて。
にやにやうなずいて、水煙 は、それでええよと俺を許した。
それで、シャワーでシャンプー流しながら、俺は考えた。なんて言って断ったら、水煙は傷つかへんのやろ。
俺は地球人やし、ちょっと無理。お前はほんまに綺麗 やけど、性欲の対象から外 れてる。いや、それは人によるかもしれへんけど、とりあえず俺には無理。
おとんにはどうか知らんで。あいつなら、やってのけるかもしれへん。でも俺のような若輩者 にはハードルが高すぎる。
それに俺には亨 がおるし。あいつが好きやねん。だからごめんやでって、その線で行くか。
それやったら水煙 は、傷つかへんのやないか。だってこいつは、俺に惚 れてるわけやないんや。一発やりたいだけなんや。誰でもええんやから。
そうやって覚悟 を決めて、俺は頭の中で無意識に、なんて言おうか反復 してたらしい。それはどうも、水煙 には見え見えやったらしい。
水浸 しの俺が、ぽたぽた水滴 を垂 らしながら、バスタブに屈 むと、水煙 は苦笑の顔やった。
「嫌 やったら、嫌 やでええねんで、ジュニア。難しく考えることあらへん」
間近 で見ると、水煙 の口には歯があった。そんなの当たり前なのかもしれへんけど、その事実に俺は、ぎくりとしてた。生々 しくて。
真っ白い綺麗 に並んだ歯やった。その奥にある舌 が、なんでか真っ白やった。
もしかしたら白い血が流れてるのかと、俺はそれが不思議で、薄く開かれた唇 の奥の白い舌に、しばし目を奪 われてた。
白い血って、どんな味がするんやろ。もしかしてミルクみたいな。
水煙 は、ミルク味。それとももっと甘いような何かか。
その空想に、俺は心底 ぞくっときてた。自分のキャパの広さというか、人でなしさに。
吸血 したいという、この新しい欲は、食欲なのか、それとも性欲の一種なのか。その両方なのか。俺はにはわからへん。
でもとにかく、秘密にしておきたいような恥 ずかしさのあるもので、俺はその悪い妄想 を、頭から追いやった。
「水から出してくれ」
微笑 を崩 さない顔のまま、水煙 は青い指で俺の腕に触 れて、抱き上げるように促 した。ほかに風呂から出る方法がないんやろ。自分では出られへん。
水から上げたら、すぐに剣に戻るのかなって、俺は薄 ぼんやり悩んでた。それを考えながら、湯の中にある、水煙 の脇 から腕を入れて、華奢 な背中を抱 え上げた。
横抱 きにして湯から上げると、水煙 は細長い腕で、俺の首に抱きついてきた。ぎゅっと抱いてるんやろうけど、それはどうも、弱々 しいような抱擁 やった。
水煙 の体は、頼 りなく、ふにゃっとしてた。強く抱いたら、壊 れそうなような。
「アキちゃん……」
とろんと抱きついてきて、水煙 は俺の肩に頭を埋 め、囁 くような小声でそう呼んだ。
でも俺を呼んでるわけやないんやと、そんな気がする、甘いような囁 き声やった。
「生きてるうちに、こうしてみたかったわ。俺が抱いた時、アキちゃんはもう死んでもうててん。海の中で、息が詰 まって、死んだんや。可哀想 やったわ。苦しかったやろ。助けてやりたかったけど、なんにもできへんかったんや」
役立たずなんやで、俺はと、水煙 はぼんやり悔 やむ口調で言った。
せめて魂 の朽 ちないように、暗い水底 で抱いていてやることしかできない。
せやけど、さすがにアキちゃんは並 はずれた力のある男。やがて力をつけて、こうして舞 い戻 れたけども、それは俺のお陰 やのうて、アキちゃんは必ず生きてると、いつか戻ると信じて待ってた人のなせる技 かもしれへん。
それとも、何としても戻ると、願って死んだ執念 か。
とにかくそこには、お役に立てない守 り刀 の、出る幕 はあらへん。
ジュニアをよろしくて、アキちゃんが言うんやから、お前のことは、俺が一人前 にしたる。心配するなと、水煙 は約束した。
よろしく頼 むとお縋 りするには、どうも頼 りないような、弱々 しい体やった。
それでも水煙が俺を風呂に誘 ったんは、こうして抱いてやろうと思ったからなんやろう。そんな気がする、優しい抱きかたやった。お前が好きやって、言うてくれてるみたいな。
湯からあげても、水煙はすぐには剣に戻らへんかった。濡 れてるとあかんのかなって、俺は気恥 ずかしく思ってた。
湯で温 まってた体が気持ちよかったし、気持ちよさそうに抱きつかれて恥 ずかしかった。
これはちょっと、ヤバいんとちゃうか。即刻 なんとかしなければ。
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