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1-8 アキヒコ

 (なまず)秋津島(あきつしま)の地下深くに住み着いていて、普段(ふだん)はぐうたら寝ているが、時々腹が減って目を()まし、何か食わせろと暴れ出す。  下手(へた)すると、(まち)(みやこ)のふたつみっつ()んでいく。  それは(こま)るということで、巫覡(ふげき)(まつ)って腹を満たさせ、またしばらく眠らせるんやと、水煙(すいえん)は俺に教えた。  それを俺にやれと。  (みやこ)鎮護(ちんご)秋津(あきつ)のお役目(やくめ)で、(みやこ)が京都から東京に(うつ)ってからも、その(にん)()かれてはいない。  せやから引き続き、三都(さんと)霊的(れいてき)防衛(ぼうえい)(おこな)う義務があるんやと、水煙(すいえん)は言うねん。  聞いてない、そんなのは。    おかんは何も言うてへんかった。秋津(あきつ)の家を()げっていう話だけや。  ()ぐとどうなるのか、そういえば(くわ)しく聞いてへんかった。  今言うてるやないかと、水煙(すいえん)真顔(まがお)で言った。  水煙(すいえん)は俺を一人前(いちにんまえ)修行(しゅぎょう)させるため、いろいろ教えにやってきた。せやから今教えてやってるんやないかという話やった。  実地訓練(じっちくんれん)が大好き。口で言うより、やったほうが分かりやすい。水煙(すいえん)は、そういう性格やった。  百聞(ひゃくぶん)一見(いっけん)()かずや。うだうだ言うても、わからへん。やってみれば一発(いっぱつ)や。  でも、それで、もし失敗したら、どないなんねんて、俺はビビった。普通そうやろ。予行演習(よこうえんしゅう)とか、そんなん無いのか。 「無い、演習(えんしゅう)なんて。これは訓練(くんれん)ではない。皇国(こうこく)命運(めいうん)、この一戦(いっせん)にありやで、ジュニア。人生はいつでも、ぶっつけ本番(ほんばん)や」  それはお前がそういう性格やからやろ。そんなことない、練習させてくれって、俺は(たの)んだ。せやけど水煙(すいえん)は聞いてくれてなかった。  ()えてきた。景気(けいき)づけやっていって、水煙(すいえん)はまた俺の首にとりつき、ぎゅううっと抱きついてきて、がっつり舌入れるキスをした。  ぎゃあああああって(とおる)絶叫(ぜっきょう)していた。俺もしたかった。できるもんなら。  でもそれが無理なような、息詰(いきづ)まる甘さのある長いキスやった。  熱いため息をついて、崩壊寸前(ほうかいすんぜん)(とおる)にはお(かま)いなしに、水煙(すいえん)は気持ちええわあって言った。  こんな、ええもんとは知らんかった。またしよなジュニア。  でもとにかく今日は、道場へ行けと、俺に指図(さしず)して、水煙(すいえん)唐突(とうとつ)にぽかんと剣に戻った。  (あぶ)ない! めちゃめちゃ(あぶ)ない!  お前は真剣(しんけん)で、こっちは二人とも()(ぱだか)なんやぞ。  俺はとっさに()いていた(うで)を引っ込め、水煙(すいえん)(ささ)えを(うしな)って落ちた。(はげ)しく()(さき)(きら)めかせながら。  また(とおる)と俺は、ぎゃあああってなって、なんとか白刃(はくじん)()け、それから風呂場(ふろば)(ゆか)(くず)()ちてた。(ゆか)(ころ)がった()()水煙(すいえん)(はさ)んで、肩で息しながら。 「アキちゃん……」  やがて怨念(おんねん)を感じる声で、(とおる)がくずおれたまま呼んだ。 「ほんま死ぬで、俺は。どないなってんの、これ……」 「なんにもしてない……水煙(すいえん)が風呂入れろ言うから入れたら、こうなったんや」  俺もくずおれたまま、きらきら(かがや)いている水煙(すいえん)刀身(とうしん)を見てた。剣はもう、居眠(いねむ)りを決め込んだように何も言わず、ただの剣のようやった。 「迂闊(うかつ)やねん、いつも。犬の時かて、そうやったやろ……。外道(げどう)とふたりっきりになるな、(おそ)われるから」  (とおる)の忠告に、俺は大人しくうなずいた。  まさに言われた通りやった。  もしもお前の目が()えてへんかったら、今ごろ俺は地球を離脱(りだつ)してたかもしれへん。宇宙系とランデブーやで。  俺ってほんまに、顔さえ良ければ、なんでもええんや。そんな自分に、やっと自覚(じかく)()いた、そんな残暑(ざんしょ)(ころ)やった。  まだ俺は、自分がこれから始める偉業(いぎょう)のことを、想像もしてへんかった。  呼び声は神戸(こうべ)から聞こえていた。さあ、やろかという、自分の人生の(まく)が開く音が。  その芝居(しばい)に必要な役者(やくしゃ)がそろうまで、まだしばしの時が必要やった。  まずは(いく)つかの出会いや再会について、語ることになる。  せやけど、その前にやるべきことは、服着て出かけることや。その前に(とおる)のご機嫌(きげん)(なお)し。  水煙(すいえん)と、キスしたって、(とおる)はじっとりと俺に言うた。どんな味やった。宇宙人。  いや、忘れた。ぜんぜん(おぼ)えてない。  でもとにかく、お前のほうが断然(だんぜん)良かった。ほんまにそうやでって、俺は(あせ)って言い訳をした。  そしたら(とおる)口直(くちなお)しや言うてキスしてくれた。  そっちのほうが断然(だんぜん)良かったか。正直それは微妙(びみょう)なとこやねんけども、(とおる)が俺に愛想(あいそう)つかさなくて、ほんまに良かったと思った。  だって俺が好きなのは、水煙(すいえん)やのうて(とおる)やねん。  水煙(すいえん)もええけど。  いや、それは、論旨(ろんし)がずれてる。  とにかくお前が俺のこと、アキちゃん好きやて言うてくれへんようになったら、俺はもう終わり。それだけは確実にそうや。  でも、なんでなんやろ。それはよく分からない。でもそれが、好きってことかもしれへん。  理屈(りくつ)やないねん。理由はないけど、自分と全然似てないお前のことが、全部好き。  そんな甘ったるいこと考えてたせいかな。それとも外道(げどう)と二人きりになったせいか。  俺は風呂場で(とおる)(おそ)われ、そして約束の時刻(じこく)遅刻(ちこく)した。 ――第1話 おわり――

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