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2-1 トオル

「お前のおかんには、本当に(ひど)い目に()わされた」  真剣勝負さながらの闘気(とうき)をみなぎらせたオッサンが、紺色(こんいろ)道着(どうぎ)(はかま)木刀(ぼっけん)(にぎ)り、アキちゃんと対峙(たいじ)してた。  長身のアキちゃんと向き合っても見劣(みおと)りしない、ガタイのいいオッサンやった。  実用の筋肉に(おお)われた、がっしりした体格で、どっちかいうたらスラリ系のアキちゃんと見比べると、一回り肩がでかい。  それもそのはず、こいつは武道家で、剣の達人(たつじん)やねん。それに対してアキちゃんは、絵筆より重いもん持ったことないボンボンやねんから、体格差は(いな)めない。  しかしな、格好(かっこう)良さではアキちゃんのほうが一本勝(いっぽんが)ちやなと、俺は真剣そのものの顔を(くず)さず、道場(どうじょう)の壁にもたれて腕組(うでぐ)みした鬼コーチ風の顔のまま、二人の男の勝負を見守っていた。  道着(どうぎ)着たアキちゃんは、あまりにも美味(うま)そうすぎる。()()えや。  あかんねん俺、(はかま)はあかん。あまりにも()えすぎる。犯罪(はんざい)や。  今すぐ()がせて(おそ)いかかりたいくらいやけど、さすがに朝から三回目ともなると、俺も少々お(なか)いっぱいやった。  それに試合中に横から(おそ)いかかったら、きっと、ドツキ回される。それは悲しい。だからやめとこ。見守るだけにしとこ。  アキちゃんが、髭面(ひげづら)のオッサンに負けるのを。  アキちゃんな、弱いねん。残念ながら。  (すじ)はいいらしいけどな、中学まで習ってたきり、その後はなんもしてへん、言うなればド素人(しろうと)やからな、その道の達人(たつじん)(かな)うわけあらへん。  それでも前回おとんに習った速習(そくしゅう)コースのたまもので、ずいぶん使うようにはなってる。俺も剣豪(けんごう)はいろいろ見たけど、アキちゃんもいつか、そんなふうになるのかな。  それはそれで、()()えですよ。いやあん、俺も()られたい、みたいな。いや、むしろ突きのほうが。刺殺(しさつ)でお願いします。なあんてな。  そんなこと考えてると、どうしてもニヤケてくるんで、それがバレへんように、俺は一生懸命(いっしょうけんめい)(むずか)しい顔してた。  この煩悩(ぼんのう)を、ほんまに何とかせんとあかん。俺の美貌(びぼう)台無(だいな)しや。 「師範(しはん)小手(こて)はもうやめてくださいね。やっても寸止(すんど)めですよね。俺は絵描(えか)きなんやし、手が使えんようになったら(こま)ります。卒業制作かてありますんで」  真剣そのものの顔で、アキちゃんは(なさ)けないことを言うてた。  この(ひげ)のオッサンな、新開(しんかい)さんて言うんやけど、アキちゃんには(うら)みがあるんや。  昔、中学までアキちゃんに剣道教えてた人やねん。それが、道場の門下生(もんかせい)どうしの間で一悶着(ひともんちゃく)あって、中一やったアキちゃんは、中三の先輩に竹刀(しない)でボコボコに(なぐ)られた。  それを(うら)んだおかんがな、相手の中三男(ちゅうさんおとこ)にはもちろんやけど、道場側にも責任がありますえって考えて、えげつないような報復(ほうふく)(おこな)った。  子飼いの(しき)をわんさと差し向けて、お()屋敷(やしき)みたいにしてもうてんて。  それで評判(ひょうばん)悪なって、新開(しんかい)師匠(ししょう)はうなだれ、(あきら)めて京都を()てた。そして神戸で心機一転(しんきいってん)、やりなおすことにしたんやって。  名前まで変えたんやで。もともとは宮本(みやもと)さんやねん。宮本武蔵(みやもとむさし)宮本(みやもと)さんやで。ほんまにその血を受け()いでいるつもりらしいけど、ほんまのところは(あや)しいわ。せやけど剣豪(けんごう)なのは(たし)かや。  それが、秋津(あきつ)のおかんにドヤされて、ぐったり来てもうて、泣く泣く(のろ)われた名前を捨て去り、神戸出身やった奥さんの(せい)に乗り換えた。それで、おかんの猛威(もうい)からも何とか逃れたらしい。  そんな可哀想(かわいそう)な、もと宮本(みやもと)浩一(こういち)、いま新開(しんかい)浩一(こういち)さんの、新しい道場がこの、新開(しんかい)道場。  そこへ通おうっていうアキちゃんも、かなり図太(ずぶと)いと思うわ。でも水煙(すいえん)が、そこへ通えって言うたんやって。  宮本道場は、もともと、アキちゃんのおとんが通うてた道場で、そこんちの(じい)さんだか、ひい(じい)さんだかとも、(えん)が深い。要するに、その(すじ)の人らやねん。  鬼道(きどう)(えん)のある家やったんや。鬼()太刀(たち)()るい方は、宮本道場で習えって、そういうことやねん。  アキちゃんは、もちろん、新開(しんかい)師匠にめちゃめちゃいじめられていた。超スパルタや。  防具(ぼうぐ)もつけさせへんし、()けへんかったら木刀(ぼくとう)でシバかれんねんで。本気の一撃(いちげき)やで。真剣やったら死んでるから。  アキちゃん俺のお(かげ)で、丈夫(じょうぶ)になっといて良かったなあ。もしそうやなかったら、あっと言う間に青あざだらけやで。  見てるこっちが痛いねん。  ああ、オッサンまた小手(こて)を決めてるし。  小手(こて)、とでかい声で宣言(せんげん)してアキちゃんの手首をシバき、木刀(ぼくとう)を取り落としたのを見て、オッサンはがっはっはみたいな勝ち(ほこ)った笑い方やった。そんな喜ばんでも。 「どうや参ったか、秋津(あきつ)小倅(こせがれ)」  えっへんポーズで、オッサンは言うた。師匠、マジで(うれ)しそうすぎ。  アキちゃんは右手を押さえて、心底(しんそこ)キレたっていう顔やった。若干(じゃっかん)()えやな。ほんまにもう男前(おとこまえ)すぎ、俺のツレ。 「わざとやってますよね、寸止(すんど)め失敗するの」 「わざとやっている」  むちゃくちゃ正々堂々(せいせいどうどう)と、オッサンは(おのれ)卑怯(ひきょう)さを告白していた。(いさぎよ)い。なんて汚い奴や。おかんへの(うら)みを、その息子であるアキちゃんに真正面(ましょうめん)からぶつけるとは。  それでもアキちゃんは、新開(しんかい)師匠の銅鑼声(どらごえ)に、剣を(ひろ)えと怒鳴(どな)られて、今度こそぶっ殺すみたいな目してた。  格好(かっこう)ええなあ。  これでほんまに強ければ、言うことないんやけどなあ。  それが中々(なかなか)今一歩(いまいっぽ)やねん。 「あかんなあ、ジュニアは。なかなか強うならへん」  俺がもたれてる壁の(そば)に、水煙(すいえん)は立てかけられてた。毎度、道場にはご同道(どうどう)なさるんや。と言うても自分で歩けるわけやないから、車に乗せて運んできてもらうんやけどな。 「何を言うてんねん、頑張(がんば)ってるやないか。そんな急に上手(じょうず)になるわけないわ。始めてまだ一ヶ月もたってないんやから」  俺は健気(けなげ)にもアキちゃんを弁護(べんご)してやった。

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