12 / 928

2-4 トオル

 素振(すぶ)りの残響(ざんきょう)(から)まって、それはえらく淫靡(いんび)に聞こえた。  俺はそれから目を(そむ)けた。何かこう、()(がた)い感じ。  ええ感じやでジュニアと、水煙(すいえん)()めてる声でない声が聞こえてきた。  いつも遠慮(えんりょ)してんのとちゃうか。当たれば相手が痛いと思って、ビビって剣()ってんのやろ。  そんなん気にすることあらへん。あんな(くま)みたいな髭面(ひげづら)のオッサン、ボッコボコの血まみれにしたれって、水煙(すいえん)上機嫌(じょうきげん)。  なんやと、って、(ひげ)怒鳴(どな)ってた。せやからどうも、新開(しんかい)師匠には水煙(すいえん)の声が聞こえるし、その刀身(とうしん)も、もちろん見えてる。ただモンやない。 「その剣の言うとおりやで、本間(ほんま)。血まみれは勘弁(かんべん)やけどな、(くや)しないんか、お前は。俺にさんざんシバキ回されて、なんで我慢(がまん)してんのや」  腕組(うでぐ)みしたまま、新開(しんかい)師匠は銅鑼声(どらごえ)怒鳴(どな)ってた。 「京都の道場で兄弟子(あにでし)とケンカしたときも、お前は(なぐ)られっぱなしやったやろ。なんで応戦(おうせん)せえへんかったんや。お(かげ)で俺はお前のおかんにボコられてやな、人生ボロボロやったんやぞ」  どっちの話が本題かわからへん口調で、(ひげ)は教えた。 「お前のほうが強かったんや。シバキ返したったら良かったんやないか。気が(やさ)しいねん、お前はな。防具(ぼうぐ)つけてない相手に打って出られへんかったのやろ」  そうやったろうかという、痛恨(つうこん)の顔で、アキちゃんは背後からの、オッサンの話を聞いていた。 「鬼斬(おにき)りは、(よう)するに殺しやで。(やさ)しいしてたら()られへん。難しいやろけどな、本間(ほんま)、お前は人を傷つける神経を身につけろ。殺意(さつい)や。お前もいっぺんくらい、腹の底から怒ってみ」  オッサンは容易(たやす)いように言うてたけど、それがアキちゃんにとっては難しいことやというのは、俺はもう良く知ってた。そういう激情(げきじょう)(おさ)えて(おさ)えて生きてきたんや。怒ろうとしても、なんでか自動的にセーブしてる。  たぶん、ヒューズ切れるみたいなもんなんや。安全弁(あんぜんべん)。その激情(げきじょう)に乗って、途方(とほう)もない力が出てまうんやないかという(おそ)れが先に立って、流れに身を任せられない。そんな感じやで、アキちゃんは。  おかんは道場での子供のケンカに首突っ込んで、えげつない報復(ほうふく)をしたらしいけど、その時、もしもアキちゃん本人が、辛抱(しんぼう)たまらんで怒ってたら、どういう事になってたんやろ。オッサンが言うように、応戦(おうせん)してたら、どうなってたん。  相手は年上言うても、しょせんは生身(なまみ)の人間やったんやろ。我慢(がまん)してやってて、正解やったんやないか。その相手のためには。  おかんは報復(ほうふく)したけど、殺しはせえへんかったやろ。ちょっとビビらせたっただけや。  それは、おかんが熟練者(じゅくれんしゃ)で、手加減(てかげん)できる人やったからで、アキちゃんやったら、そうはいかへん。  子供やったし、制御(せいぎょ)()かん悪い子やった。相手は死ななくても、廃人(はいじん)くらいにはなったかもしれへんで。  そんなんしてもうたら、アキちゃんかて立ち直れへんやろ。せやから、おかんは、怒ったらあかんて(しつ)けてたんやないのかな。あの人、アキちゃんには過保護(かほご)やからな。大事な大事な跡取(あとと)り息子やしな。 「その壁一枚ぶち抜けたら、お前は()けると思うんやけどなあ、名のある使い手に」  ()しそうに言う新開(しんかい)師匠は、何か(たくら)んでるような顔してたわ。  オッサンはたぶん、兄弟子(あにでし)にボコられてる可哀想(かわいそう)なアキちゃんを、これはチャンスと思って、わくわく見てたんやろ。激怒(げきど)して、応戦(おうせん)するんやないかって、そんなところか。そして、それを(さかい)に、アキちゃんが何かに目覚めるんやないかって。  とんでもない師匠やな。それで、おかんの報復(ほうふく)よりも怖いことになってたら、どないするつもりやったんや。止めるつもりやったんか。そんな力が、この(ひげ)にはあんのか。 「俺は絵描きになりたいんです」  困ったなあっていう口調で、アキちゃんは(ひげ)に答えてた。 「それとこれとは矛盾(むじゅん)してへんやろ。()してお前も鬼斬(おにき)りの剣を受け()いだんや。その使い手として、腕上げていかなあかん」  ちょっと待っとり、と言って、オッサンは道場のご大層(たいそう)神棚(かみだな)にあった古い剣を、いかにも()(がた)そうに()(いただ)いてとってきた。  それは日本刀で、(さや)(こしら)えの具合(ぐあい)からして、けっこうな年代物に見えた。長刀(ちょうとう)部類(ぶるい)で、すらりと引き抜くと、見事に手入れされた刀身(とうしん)に、稲妻(いなづま)のような乱れた刃紋(はもん)が現れていた。  この剣の名は雷電(らいでん)やと、(ひげ)はアキちゃんに教えた。  そして、おもむろにその剣を(かま)え、気合い一声(いっせい)とともに、()ぎ上げられた(やいば)をアキちゃんの眉間(みけん)(ねら)って()り下ろした。  見てるだけのこっちまで、全身(しび)れてくるような、神業(かみわざ)寸止(すんど)めやった。アキちゃんがもしちょっとでも動いてたら、オッサンに()られてたんやないか。  俺はそれにぞっとして、どこか遠くで鳴り(ひび)いた雷鳴(らいめい)を聞いていた。一点の(くも)りもない晴天(せいてん)やのに、(みょう)な話や、(かみなり)なんて。  オッサンはすぐには剣を退()かず、呆然(ぼうぜん)と固まってるアキちゃんの眉間(みけん)に、ぴたりと(ねら)(さだ)めたような(やいば)を向けていた。  やがて、ふと空気が(ほど)けるような瞬間がきて、オッサンは剣を退()いた。  アキちゃんはそれに、かすかに首を(めぐ)らしてたけども、それっきりやった。  ぴくりとも動かへん。糞度胸(くそどきょう)やで。それとも、固まってもうてたんか。  新開(しんかい)師匠はそれを見て、にやりとしてたわ。(くま)みたいな髭面(ひげづら)で。 「この剣は、ただの剣や。業物(わざもの)なだけで、ただの道具やけどもな、しかるべき(わざ)をもって振るえば、鬼を斬り、雷鳴(らいめい)(とどろ)かせる力があるとされている。これがうちの、伝家(でんか)宝刀(ほうとう)や。お宅の水煙(すいえん)には、遠く(およ)ばないが、それでも神刀(しんとう)やということになってる。せやから神棚(かみだな)(まつ)ってあるんや」  そのご神刀(しんとう)(さや)(おさ)めて、オッサンはアキちゃんが(にぎ)ったままやった水煙(すいえん)刀身(とうしん)を見てた。 「それを(しの)得物(えもの)()るおうっていうんや。それ相応(そうおう)覚悟(かくご)がいるやろ。その剣が使い手としてお前を選んだんやったら、神刀(しんとう)の力にふさわしい技と心をもってお(こた)えせなあかん。それが剣を(まつ)るということやろ」  師匠に(さと)されて、アキちゃんは難しい顔やった。そして自分が(にぎ)った水煙(すいえん)を見つめてた。ほのかにまだ(もや)()いてる、キラキラ()れたような白い(やいば)を。 「神棚(かみだな)」  きっぱりと、アキちゃんは(つぶや)いた。 「やっぱり、()るんですかね、そういう置き場所が」

ともだちにシェアしよう!