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2-6 トオル
俺、甘いモンも大好き。それに紅茶の香りが、ふわりとほのかに流れてきた。
それが汗だくで道着 きた髭 とアキちゃんの世界観 に、ものすご不似合 い。
でも俺は紅茶好きやねん。コーヒー党のアキちゃんにつき合うて、このところ滅多 に飲んでないしな。
「本間 君が来る日やから、お腹空くやろうと思って、おやつ用意したのよ」
にっこにこして、小夜子 さんは旦那 を無視し、アキちゃんのほうにケーキを見せにいった。
アキちゃんはそれを、恐縮 したような困 り顔で見てた。ケーキ食うような男やないねん。
それに、さんざん汗流してシバき回された稽古 の後に、チョコシフォンてなあ。ちょっと無いやろ。
でも小夜子 さんは、そんなこと気にせえへんオバちゃんやった。歳 に似合 わんお嬢 さんみたいな若作 りで、少女マンガみたいな人やねん。それに嫌 みはないけど、出てくる茶菓子 は常 に、ベルサイユ方向に傾 いてる。
紅茶のカップかて、白地にピンクの薔薇 の模様なんやで。男がそれで茶飲むなんて、何でも似合 う俺にはちょろいが、アキちゃんや、まして髭 にとっては、ほぼ罰 ゲーム並 に恥 ずかしい絵面 や。それに小夜子 さんは、気づいてへん。
独自の世界観があるんや。彼女には。
神聖な道場でどうのこうの言うてる髭 をスルーして、小夜子さんは皆を床 に座らせ、俺のことも亨 ちゃんもおいでと呼んだ。そしてアキちゃんの隣 に座らせ、桃チーク塗 ったほっぺたに手あてて、俺らのツーショットをうっとり眺 めた。
「目の保養 やわあ。いつ見ても。宝塚 のポスターみたい」
宝塚歌劇団 のこと言うてるんやで。
それについては異論 があるやろ。少なくともアキちゃんにはある。
見たことあるからな、宝塚 のポスター。阪急電車で大阪行ったら、嫌 でも目に入る。乗る車両によっては、一車両まるごと宝塚歌劇団の中吊 り広告で占 められてる。
女ばっかりの劇団 やねん。男役やる女優さんもおって、ものすごい独特のメイクして、キラッキラの舞台で女同士のラブロマンス。小夜子さんは、子供のころからその宝塚歌劇団のファンやねんて。
様々なことが、そこに結びつけられてる。それについて異論をとなえたらあかん。話長なるだけやから。
アキちゃんも、とうとうそれに気づいたんや。何も反論せえへんかった。ただ遠い目してるだけで。
「亨 ちゃんて、ほんとにいつ見ても綺麗 ねえ。服の趣味 変やけど。もっと王子様みたいな服着たらええのに」
にこにこしながら、小夜子さんはさらっと酷 いことを言うた。俺は黙 ってケーキ食って、それにも何も反論せえへんかった。
俺が祇園 のパゴンで発作 買いした、真っ赤な西陣 アロハに理解を示 す者は、この世には誰一人いないんや。
蝶々 の模様 が綺麗 やのに。お店の人も、ようお似合 いですよって言うてくれたし、自分ではめちゃくちゃ似合 うつもりやねんから、ほっといてくれ。
そやのに、アキちゃんには、派手 やなお前と眉 をひそめられ、小夜子さんには変やと言われる。それ言うんやったら小夜子さんかて変やで。スカートに縄 ついてるもん。
それに王子様みたいな格好 って、どんなんや。俺にもフリフリのブラウスを着ろ言うんか。アホやで。それ着てたら確実にアキちゃんドン引きしてるわ。
「小夜子さん、紅茶淹 れるの上手いですね」
一応、ツレの師匠の妻やしと、俺は礼儀正しく敬語で話逸 らした。早く小夜子ワールドから脱出せなあかん。
「ありがとう。そんなこと気づくの亨 ちゃんだけやわ。甲子園 のムレスナ・ティーハウスで買 うてるの」
小夜子さんは両手を握 ったお祈りポーズでにこにこ言うた。きっと小夜子ワールドでは背景に花咲いてる。
「その店、京都にも支店ありますよ。俺はフォートナム・アンド・メイスンのほうが好きやけど。最近、縁遠 いわ。アキちゃんが、コーヒーしか飲まへんから」
俺がその話をすると、小夜子さんは背景に雷 落ちたみたいな衝撃 の顔をした。
「えっ。そうなの。私、そんなの全然気づいてへんかった。本間 君、コーヒーが良かったの?」
「いえ。お構 いなく」
罰 ゲームの紅薔薇 ティーカップで紅茶を飲まされながら、アキちゃんは修行僧 みたいな我慢顔 やった。小夜子さんはそれを、ガーンて顔で見てた。
わかるわ、その気持ち。俺もアキちゃんが実は和食党やったという話を、恋敵 の口から教えられた時には、ショックで頭真っ白になったもんやった。
「いややわ、そんな遠慮 なんかしないでちょうだい。今度はコーヒー淹 れておくから。にしむら珈琲店 でブルマン・ナンバーワン買 うておくわね」
美味 いんか、それ。美味 いんやろな、わざわざ言うくらいやから。
アキちゃんはそれに、珍 しくも愛想 笑いをしていた。大サービスやな。弱みでも握られとるんか。
「ごめんね。昔、お稽古 のあとにケーキとお紅茶だしてあげたら、嬉 しそうやったから、てっきり今も好きなんやと思った」
「いつの話をしとるんや、お前は。本間 が小学生の頃 やろ、それは」
むすっと黙 ってケーキ食ってた髭 が、むすっと口を挟 んできた。小夜子さんはそれに、そうやけどと、スネたように答えてた。
「昔は物珍 しかったんです。うちは、おやつ言うたら饅頭 とか羊羹 とかやったから。洋菓子 系がおしなべて珍 しくて……」
アキちゃんは、今はもう珍 しくもなんともない苦手なクリーム系をつつきながら、神妙 な顔して解説 してた。
俺の知る限り、アキちゃんは甘いもんは食わへん。和でも洋でも、もはや関係なしや。デザート無しですよ。
外で飯食うと、デザート別腹 の俺を、嫌 そうな顔して睨 みつつ、はよ食えという気配むんむんでイライラ待ってる。
男が甘いもん食うなんて、許せないというのが、アキちゃんの美学 らしいねん。
でもそれは、最近できた美学 ということなんやろな。餓鬼 のころは小夜子さんにケーキで餌付 けされてたというんやから。
どうせアレやねん。いつもの謎 のアキちゃん論理 により、ケーキ食うてる姿が恥 ずかしいという、その程度の理由やねん。
男子たるものケーキは食うなと、それは女子供の食いもんやと、そういう事やろ。
「おうちでケーキ食べさせてくれなかったの。お誕生日ケーキは?」
もしもそれも無いなら悲劇と、そんな痛そうな顔して、小夜子さんはアキちゃんに訊 いた。
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