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2-7 トオル
「そんなもん見たこともないです。うちは祝い事言うたら、赤飯 と鯛 やったから」
バースデー赤飯 か。やるなあ、おかん。いつの時代の人やねん。
それ言うたらあかんか、あの人に。それは禁句 や。
なんであかんのやろ、ケーキ。それは鬼畜米英 の食いもんやからか。
どのへんで時代止まっとんねん、あの人は。
「はあ、お赤飯 。おめでたくていいけど。ケーキがいいって、お母様にねだったりしなかったの」
小夜子 さんは、いかにも不思議そうやった。
そこに何でこだわるのか。たぶんやけど、餓鬼 のころのアキちゃんが、よっぽど喜んだんやろ。小夜子さんが餌付 けしたケーキ。
「ねだったけど、あれは男の子の食べるもんやおへんて言われまして」
案 の定 すぎる返事をしてるアキちゃんに、俺は思わずブッて紅茶吹いてた。
おかんか。おかんの美学 やったんか。しかもそれを素直に受け入れてる、というか、今だに守ってるアキちゃんて、どこまでマザコンなんや。
恐るべし、おかん。おとん大明神 と地球の裏側まで旅してる途中でありながら、未 だにがっつり息子の首根っこ押さえてる。
一昨日やったか、ブラジルから手紙来てたわ。それで、カーニバル衣装のおかんの写真を見てもうて、アキちゃん二時間くらい意識失ってた。
なんで、いちいち写真見て死ぬのか。見たないんやったら無視すればええのに。実は見たいんや。そうに決まってる。
写真片付けてくれて頼 まれて、俺が作ってる、おかんのコスプレ写真集、見せたろか。アキちゃん絶対死ぬわ。まとめて全部見たら。エジプトでベリーダンスとかあるんやで。
「ご家庭の教育やったら、仕方ないわね。まさかアレルギーとかやないのよね」
「そういうのはありません、俺は」
アレルギーどころか風邪すらひかへん。アキちゃんは丈夫なんや。たぶん気力が充実してるからやろう。
今や俺のお陰 で、小怪我 なら一瞬で治るまでになったんやから、アキちゃんはもう、殺しても死なへんような男やで。相手が普通の人間程度やったらな。
そのはずやのに、アキちゃんの右手首は腫 れていた。新開 師匠の小手 を食らったせいやろ。なんで腫 れてんのか、それが気になって、俺はじっとそれを見つめた。
アキちゃんは、いまだに髭剃 ってる。髪も伸 びるし、日に三度飯食うし、トイレも行く。俺にはそれが不思議や。
俺も飯食うけど、それは趣味やねん。別に食う必要はない。アキちゃんの生き血まで吸うてんのやから、普通の飯 はいらんねん。並みの体とちがう。食うても余 さず消化してるのか、俺、自分が最後にトイレ行ったの、いつやったっけ、何世紀前やろかていうレベルやわ。
髪も伸 びへん。伸ばそうと思えば伸びるけど、そんな必要ないしな。時代ごとに、普通っぽく見えるように調整かけるだけや。
アキちゃんも、俺と同じ体になったはず。それとも、まだその途中なんやろか。
なんで髪の毛伸びるんやろ。本人がそうしたいと思うてるとしか考えられへん。普通でいたいアキちゃんやから、そういうこともあるんやろ。人間らしい生き方を、無意識に追求してるんや、きっと。
その証拠 に、俺が犬にやられて死にかけてた三日間、アキちゃんは俺の傍 を一歩も離 れへんかった。飯 も食わず、水も飲まずで、トイレも行かへんかったで。
それでも何ともなかってん。それが変やと、本人は気がついてないらしい。必死すぎて、忘れてたんやろ。
それはそれで、えへっ、みたいな話なんやけどな。でもなんで、また元に戻ってもうたんやろ。
おかしなもんで、その三日間、アキちゃんが気にしてたのは、三日も髭剃 ってないという事だけやった。それが格好 悪いと、アキちゃんは思うてたらしい。
変な奴や。そんな時に、無精髭 が格好 悪いなんて、そんなこと気にしたりして。実はけっこう必死で男前を維持 してんのか。そう思うと、なんか可笑 しいな。
アキちゃんなんで怪我 してんのやろって、俺は微笑 のまま見てた。
気にしてんのか、髭 にボロ負けしたこと。なんで気にしてんの。傷痛いやろから、早く治せばええのにって、俺はそれが気になって、小夜子さんの話を途中からしか聞いてへんかった。
「これとどっちが綺麗 なんや」
フォークで俺を指して、新開 師匠が小夜子さんに訊 いてた。何すんねん、この無礼者。俺をこれ呼ばわりすんな。
「それは微妙やけど。もしかすると、あっちかもしれないわ」
旦那 の髭面 と顔を見合わせて、小夜子さんは真剣 に答えてた。
ちょっと待て、なんの話や。今なにか、聞き捨てならない話してたやろ。
「なんの話や」
俺が思わず問いつめる口調で言うと、小夜子さんは真剣に、あらまあという、俺を咎 める顔してた。
「聞いてなかったの、私の話。亨 ちゃんたら。神父 さんの話よ。私が行ってる教会に、新しい神父さんがいらしたの。それがねえ、ものすごい美形なの。男にしとくの勿体 ないみたいなのよ」
それは危険すぎる話やな。どこのどいつや。アキちゃんの半径百キロ以内に近づかんようにさせなあかん。
まして神父や。俺は大嫌い。どうも苦手や、キリスト教の坊主 は。やつらは蛇 嫌いやからな。悪魔 呼ばわりされて、時々えらい迷惑したわ。
「小夜子さんて、クリスチャンなんですか」
意外やという顔で、アキちゃんが訊 いてた。小夜子さんはそれに、なんでか恥 ずかしそうに頷 いてた。
「うん、そうやの。家族全員カトリックで、私も生まれたときの幼児洗礼で信者になって、それからずっとそうなのよ」
「それでよく、神棚 のある家の男と結婚なんかしましたよね」
無神経なアキちゃんトークが炸裂 してる。それ、言うたらあかんのと違うか。異教徒 と結婚したんやな、って。人によってはムカッとするか、ギクッとするかもしれへんで。
せやけど小夜子さんは、デレッとした。
「一目惚 れやったの。友達に付き合わされて、先輩の剣道の試合を応援しにいったら、そのときの対戦者がこの人でね。格好よかったんよ」
「恋愛結婚……」
アキちゃんは、それ以上なにか言うたらあかん限界ギリギリの返事をしてた。
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