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2-8 トオル

 余計(よけい)なお世話(せわ)やで、アキちゃん。(ひげ)かて若い頃は男前やったんかもしれへんやんか。  たとえブサイクでも、人間なんやで。何かの奇跡(きせき)が起きて、それに()れるやつもおるかもしれへんやん。  とにかく理屈(りくつ)やないんやから、恋は。世の中の人間全部がお前みたいな面食(めんく)いやないんや。 「えらい目に()ったで、小夜子(さよこ)と結婚するときは。しばらく教会に通わされてやな、何や(わけ)の分からん神父(しんぷ)さんのお説教(せっきょう)聞かされたわ。それから結婚式は教会で、(みょう)な歌歌わされて、延々(えんえん)聖書朗読(せいしょろうどく)やからな。俺は神式(しんしき)でやりたかってん。それが結婚式というもんやろ、本間(ほんま)」  同意を求める新開(しんかい)師匠の()(かく)しの愚痴(ぐち)に、アキちゃんは(みょう)な顔してた。考えたことなかったんやろ。結婚なんて。  それはこっちにとっては微妙(びみょう)すぎる話で、できれば話題に出してほしくなかった。アキちゃんはもう一生、結婚はせえへん。ほんまに俺と永遠に付き合うつもりなんやったら。  そのことを考えてるのかどうか、アキちゃんは何となく、苦い顔やった。 「師範(しはん)が……まさかタキシードか何か着たんですか。羽織袴(はおりはかま)やのうて」  アキちゃんは真面目な苦い顔で、新開師匠にそう(たず)ねた。師匠は、うっ、という顔をした。 「着たらあかんのか」 「いえ、そういう訳では。ただちょっと……」  アキちゃんは一瞬だけ口ごもった。言うたらあかんと思ったんやろ。でも結局、言わずにおれんかったんか、アキちゃんは続きを言うた。 「ただ、ちょっと、顔と服が一致(いっち)せえへんような」 「なんやと。失礼なやつや。自分が男前やと思て、平気でそんなこと言いおってからに。お前なんか竹刀(しない)でタコ(なぐ)られて当然や」  何なら今からでも続きを自分がやろかみたいな態度で、師匠はぷんぷん怒り、(わき)に置いてた木刀(ぼくとう)を振り上げてた。それでも本気やなかった。アキちゃんは困った顔で笑ってた。  (なぐ)られてもしゃあないって、自分でも思うんやろか。それならなんで、そんな気まずいこと言うんやろ。  俺にはアキちゃんが、このオッサンに甘えてるように見えてしゃあない。  アキちゃんはきっと、餓鬼(がき)の頃、(さび)しかったんやろ。おかんと二人、別に何の不足もなかったんかもしれへんけど、それでも父親タイプに()えてた。おとんみたいな強い男に、甘えてみたかったんやろ。  それが現実には、あんなおとん大明神(だいみょうじん)やったからな。確かに、強いといえば強いかもしれへんけど、あまりにも常識を逸脱(いつだつ)してた。アキちゃんの理想のおとんやなかったんやろ。  新開(しんかい)師匠と小夜子(さよこ)さんの間には、子供がいない。せやから道場に通ってくる餓鬼(がき)んちょが、息子の代わり。アキちゃんも餓鬼(がき)のころには、その一人やったんやろ。  一悶着(ひともんちゃく)の後に別れたっきりやった師匠の道場の門を、気まずく(たた)いたアキちゃんを、新開(しんかい)師匠は(こころよ)く迎えた。でかくなったなあ本間(ほんま)って、(なつ)かしそうに。  アキちゃんにはそれが、内心ぐっときたんやろ。  そうでなきゃ、卒業制作とやらで(いそが)しくなるらしい大学最後の夏を使って、神戸くんだりまで足繁(あししげ)く通うはずがない。いくら水煙(すいえん)のすすめや言うても、嫌やったんや、初めは。行きたくないって、そんな顔してたくせに、今じゃ週に二度、気が向けば三度通いやからな。 「まったく、俺に(えら)そうな口きくのはな、俺から一本とれるようになってからにせえ」  空になったケーキ皿を(ぼん)に放るように返して、新開(しんかい)師匠はぼやくように説教をした。 「そうします」  苦笑して、アキちゃんは(うなず)いてた。 「まったくなあ、甘いわ。冷たい麦茶かなんか無いんか、小夜子。この糞暑(くそあつ)いのに、なんで熱い紅茶やねん。ケーキもええけど、かき氷とかスイカとか持ってきてくれ」 「そんなん、全然ロマンティックやないわ……」  小夜子さんは口尖(くちとが)らせて、師匠にそう文句言うてた。師匠はそれに、大仰(おおぎょう)なうんざり顔を作った。 「なにがロマンティックやねん。俺という亭主(ていしゅ)がありながら、宝塚(タカラヅカ)や、教会通いやって、しょうもないことに現抜かしおって。その上今度は、美形の神父がおるやと。もう行くな、教会なんか。やめてまえ。日本人は神道(しんとう)!」 「ああ、私ったら、なんでこんな人と結婚してしまったんやろ。本間(ほんま)君と話そ」  いややわあって首振りながら、小夜子さんはアキちゃんのほうに(ひざ)詰めてた。  新開(しんかい)師匠はそれに、こら、みたいな怒り顔やったけど、それも本気やなかった。仲いい夫婦やねん。  アキちゃんにとってはそれは、一種の理想像やったんやろ。(うらや)ましいなって、そんな目で見てた。  何が(うらや)ましいんや、アキちゃん。  俺はそれについて、詮索(せんさく)したくない。 「汗かいて気持ち悪いでしょう。お風呂使ってから帰るといいわ」  小夜子さんは、にこにこして、アキちゃんにそうすすめた。  それにアキちゃんは、いつもすみませんと答えた。  道場には簡単なシャワー室もあったけど、小夜子さんはアキちゃんにいつも、隣にある自宅の檜風呂(ひのきぶろ)を使わせていた。風呂桶(ふろおけ)(ひのき)で純和風やのに、それに、ものすご洋風のシャワーが併設(へいせつ)されてる、この夫婦のせめぎあう世界観が凝縮(ぎょうしゅく)されたような風呂や。  小夜子さんが、湯加減(ゆかげん)いかがって、それにかこつけて風呂を(のぞ)くというんで、俺はいつも見張りに立たされてた。  お前もいっしょに入ろうか、なんて、そんな優しい話は出たことがない。まあ、出るわけないんやけど、統計的に見て、アキちゃんの場合。  今回もそれは類型(るいけい)パターンを()(はず)さず、アキちゃんはひとりで檜風呂(ひのきぶろ)()かり、俺は脱衣所(だついじょ)で見張りに立たされ、中を(のぞ)きたい小夜子さんを牽制(けんせい)するのに忙しかった。

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