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2-9 トオル
なんでアキちゃんの入浴シーンを見たいんや、小夜子 さん。旦那 で我慢 しろ。他人の男に手を出すな。
そんな面 して番兵 やってる俺が、アキちゃんの何なのか、小夜子さんは知らんようやった。アキちゃんは何も、話してないんやろ。
そこを敢 えてカミングアウトはせえへんけどもや、怒られたらいややし、せやけど微妙 。
俺はついてこないほうがええんやろけど。でも心配でついてきてまう。アキちゃんの身に、何事かあるんやないかと。それはアキちゃんが俺のご主人様やから。守る義務があるから。
と、いうのが建前 で、嘘 ではないけど、本音 のところは見張 ってんのかもしれへん。心配やねん。俺は不安でたまらへん。
夏の一件以来、ほんま言うたら不安でたまらんようになった。
またあの犬みたいなやつが、俺からアキちゃんを奪 おうとするんやないか。今度こそ、そいつが、アキちゃんを盗 っていく。そんな心配が、頭の中をぐるぐる回る。
心配するなって、俺のことが好きやって、アキちゃんは約束してくれたけど、俺はそれを、心のどこかで疑 ってるのかもしれへん。
だってアキちゃんは、なんで俺のことが好きなんやろ。
もっといろいろ気の合うやつが、おるんやないか。
水煙 の話やないけど、大阪で俺がぶっ潰 してやった、あの犬みたいな。
あいつのほうが実はほんまに、アキちゃんを幸せにできた。そんな事が突然 頭をよぎって、不安でたまらんようになる。
俺はここに居 てええのかな。ほんまは居 らんようになったほうが、アキちゃんのためなんやないか。水煙 が言うように。よそへ行って、他のを食うので我慢 する。昔ずっと、そうやって生きてたみたいに。
なんにも言わへんようになった黙 りの水煙 を脇 に見て、俺は恨 んだ。お前が変なこと言うてくるから、また変なこと考えてもうたやないか。
水煙 はアキちゃんが車から持ってきた着替えの服の上に鎮座 して、いかにも余裕 の沈黙 やった。
たとえば自分に譲 れと、こいつは言いたかったんかもしれへん。おとんも好きやけど、ジュニアのほうも、まんざらでもない。あの蛇 、邪魔 やなって、そういうことなんか。
俺はお前のこと、仲間やと思うてたけどな。甘かった。お前もあの犬と、なんも変わらへん。横からアキちゃんを盗 ろうとする、油断 も隙 もない恋敵 か。
せやけど、その水煙 と、そこそこ仲良しこよしでやっていけてるんやから、あいつとも実は、やっていけたんやないかと、俺は考えてた。
勝呂瑞希 や。アキちゃんはきっと、あいつのことも好きやった。水煙 のことも。
今後、他にもっと、そんな奴が現れるかもしれへん。そのたびに俺は、そいつを押しのけたり、ぶっ潰 したりせなあかんのか。それを永遠に、続けるつもりなのか。
それがほんまに、アキちゃんのためになるやろか。
なりはせんやろ。実際のところ。俺はお邪魔虫 。アキちゃんが実家の家業 を継 ぐつもりなんやったらな。
そういう暗い考えで、浴室 に背を向けてた俺の背後で、アキちゃんが風呂からあがってきた。いつもなら恥 ずかしいとも思わず見てるそれを、俺はなんでか気恥 ずかしくて見られへんかった。よその家の風呂やからやろか。
それともいつも我 が儘 言うて、迷惑 かけてる自分が嫌 になってたからか。
アキちゃん、俺のことだけ見ててくれ。皆、アキちゃんが好きらしいけど、よそ見せんといて。約束守って欲しいんや。
俺のこと、好きやって言うて。俺だけにやのうて、皆にも教えてやって。盗 ろうとしても無駄 やって。アキちゃんは、俺のもの。永遠にそうなんやって、皆にも分かるように。
俺、不安やねん。幸せやけど、めちゃくちゃ不安。この幸せが、突然消えて、お預 け食らうような時が、来たらどうしようって。
アキちゃんに捨てられたら、俺は惨 めや。そうなったらどうしよう。
大人しく妥協 するところとちゃうか。水煙 が言うように。
アキちゃんの全部やのうて、一部で我慢 する。
お前が一番好きやって言うてもらえたら、それで我慢 する。
二番や三番がおっても、それに目をつぶる。そうやって、騙 し騙 しやっていけば、案外平気なんとちゃうか。だって俺は、ずっとそうしてきた。
藤堂 さんにも、妻子 がおったで。俺はそれを考えないようにしてた。
それでもどこかで遠慮 はしてたわ。
娘がもうすぐ卒業するんやって言う藤堂 さんの話に、へえ、さよか、って興味 のないふりしてたけど、それまではどうしても生きてたい、欲を言えば娘が結婚するまでは、一人前になるまでは、人並みに幸せになるまでは、俺には責任があるって、必死のようやったあの人に、それがどうしたとは言えへんかったな。
俺はおまけでお邪魔虫 。そういう気がするのを誤魔化 して、平伏 する男に満足してるふりしてた。こいつは俺がおらんと生きてられへんのやって、そういう上から目線がぶれないように。
だからできるんやないか、相手がアキちゃんに変わっても。何が違うんや、あの頃と。
それでアキちゃんのためになるなら、それもアリやろって。
なんで俺はそう思われへんのやろ。
「どうしたんや、亨 。黙 り込んで」
新開 道場で次の約束をして、それではまたとお別れをして、車停めてた裏手 のガレージに戻り、ドア閉めるなり、アキちゃんは助手席の俺にそう訊 いた。
暗かったですか、俺の顔。気にしてくれって、そういう面 してたか。
してたやろ。俺、ずるいから。気にしてほしかってん、アキちゃんに。
俺も居 る、俺にも気を遣 えって。全身でそう叫 んでたと思うわ。
不安やねん、アキちゃん。俺、水煙 兄さんにまたイジメられた。
俺のこと、守ってくれ。抱きしめて、慰 めて。お前が好きやって、いっぱい言うて。
後部座席でおくつろぎの、むかつくでっかい包丁 に、アキちゃんの俺への愛を、いっぱい見せつけてやってくれ。
「キスしてくれ、アキちゃん」
頭抱 えて、俺が頼 むと、アキちゃんはためらう沈黙 で、それに応 えてきた。
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