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2-11 トオル
アキちゃんは水煙 がなんで返事せんかったのか、全然気がついてなかった。
鈍 い男やわ。何回おんなじ失敗してんのやろ。
水煙 は、お前の剣なんやろ。おとんが家督 とともに、アキちゃんにくれたんや。
せやから水煙 は、アキちゃんの使役 を受けてる。新しい使い手に、アキちゃんを選んだ。
その相手から、もう口きくな、お前はありえへんて本気で言われて、こいつは大丈夫なんか。もう二度と、なんも話せんようになるんやないか。
俺はそう思ったけど、黙 っておいた。
もしそうなったとして、俺にどんな害 がある?
別にない。うるさいやつが、静かになっただけ。気の毒やなあと思うけどやな、それが何。
自業自得 やろ、水煙 。二股 かけてた罰 が当たったんや。
「アキちゃん……」
まだハンドルに取り付いてたアキちゃんの手首の怪我 を見て、俺は呼びかけた。
その傷は、むちゃくちゃ腫 れてた。紫色 の痣 になって、このまま放っといたら、そのうち腐 ってくるんやないかと思えるような傷 やった。
「手、痛いやろ。俺が治してやろか」
項垂 れてるアキちゃんの肩に触 れて、俺が言うと、アキちゃんは何となく、いややって首を振 ったようやった。
「怪我 なんかな、治れって思えば治るはずやで。気力さえ充実してれば。もう、そういう体なんやで」
俺とおんなじなんやったら。
恐 る恐 る、俺は教えた。それも嫌やって、アキちゃんが爆発するんやないかって、何となく不吉に怯 えながら。
でもアキちゃんは別に、俺にキレたりせえへんかった。
ただ、もうあかんわ、俺はって、独り言みたいに呟 いた。
「何があかんねん」
俺の席からは見えてない、アキちゃんの顔を、それでものぞきこむ気分で、俺は訊 ねた。
「八つ当たりしてる」
「そうやろか。言われて当然のことやろ。アキちゃん、ちょっと、水煙 に甘いで。惚 れたんか」
自分を責 める口調やったアキちゃんを、俺は責 めた。
ほんま言うたら俺はこの剣が、鬱陶 しい。それでもアキちゃんがこいつを立てるんで、俺もそれに合わせてただけ。
アキちゃんにもこいつが鬱陶 しいんやったら、捨 てよか、こんな、古い鉄くず。それが無難 やわ。
俺が居 れば何とかなるやろ。剣なんかのうても、俺がアキちゃん守ってやるし。水煙 抜きでも、おかんは立派 に秋津 の家を守ってきたやん。
要 らんねん、ほんまのところ、水煙 様は無用の長物 。どんな偉 い神様か知らんけど、要 らんもんは捨 てよ。
俺は許 せへん。今朝から急に許 せんようになった。アキちゃんをジュニアって呼ぶ、こいつの猫なで声が。
外道 の勘 かな。気がついてん。こいつ、アキちゃんのこと、実はけっこう好きなんやないかって。
ほんまはいつも、ぷんぷん妬 いてたんやないか。俺のこと。それで妙 にイケズで、嫌 みばっかり言うてたんやないか。
ただそれを、プライド高くて言われへんかっただけやろ。アキちゃんには。そんな蛇 なんかほっといて、俺のほうを向いてくれって。そしたら愛してやるのにアキちゃんて、そんなつもりでおったんやろ。
せやけど生憎 、お上品 な水煙 様は口ごもっておいでやったんや。
ほんならずっと、黙 っといたらええわ。道具は道具らしく。
「許 してくれ、亨 。惚 れたとか、そういうつもりやないねん。ただ何となく……」
何となく、何なのか、アキちゃんは言葉に出しては言えへんかった。それでも俺には、アキちゃんが何を思ったのか、微 かに聞こえたようやった。
ただ何となく、優 しかったからやと、アキちゃんは言うてた。
優 しい?
こいつが?
それは騙 されてるわ、アキちゃん。
外道 が下心 なしに優 しいわけあらへんわ。
こいつはどうせ、気の毒な犬にお相伴 して、ちょっぴり味わったアキちゃんの血の味が、忘れられへんだけやねん。
アキちゃん欲しいって、そんな下心 。俺も分かるわ、ご同類 やもん。
俺はぜんぜん優 しない。それでもアキちゃんには優 しいで。好かれたいだけやねん。
それであわよくば、抱 いてほしい。できればちょっと愛してくれって、そういう気分やねん。
そうに決まってる。
そんなん、相手にせんとき。俺かて優 しいでって、俺はアキちゃんを励 ました。
そして怪我 してるほうの手に触 れると、アキちゃんはびくりとしてた。
痛かったんかもしれへん。俺が腕を引いて自分のほうに傷を引き寄せると、アキちゃんは苦痛の顔やった。
これは普通の傷やない。アキちゃんが自分でつくった紛 いモンやで。まあ、言うなれば自傷 やな。
アキちゃんは、自分を責 めてた。なかなか上達 せえへんなあって、アキちゃん自身も焦 ってたんやろ。
それは水煙 がうるさく急 かすからに違いない。
アキちゃんは、水色宇宙人を巡 って、内心のどこかでおとんと争ってた。こいつを使いこなして、俺は立派 な跡取 りと、偉 そうにしてみせたかったんかもしれへん。
今は自分をほっぽって、南米やカーニバルやって浮 かれ騒 ぐ薄情 なおかんに。俺のほうがええわって、そういうポーズをとってみたかった。
そういう子やねん。アキちゃんは。それが弱点。おかんにはいつも、精一杯 のええ格好 して、無理してる。
そんなん、もう、せんでもええやん。俺が居 るやろ、アキちゃんには。
そう言う代わりに、俺はアキちゃんの傷を舐 めた。めちゃくちゃ痛いって、そういう顔やった。それでも俺は遠慮 なく、手首に浮いてるはずの静脈 に、自分の牙 を突 き立てた。
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