19 / 928

2-11 トオル

 アキちゃんは水煙(すいえん)がなんで返事せんかったのか、全然気がついてなかった。  (にぶ)い男やわ。何回おんなじ失敗してんのやろ。  水煙(すいえん)は、お前の剣なんやろ。おとんが家督(かとく)とともに、アキちゃんにくれたんや。  せやから水煙(すいえん)は、アキちゃんの使役(しえき)を受けてる。新しい使い手に、アキちゃんを選んだ。  その相手から、もう口きくな、お前はありえへんて本気で言われて、こいつは大丈夫なんか。もう二度と、なんも話せんようになるんやないか。  俺はそう思ったけど、(だま)っておいた。  もしそうなったとして、俺にどんな(がい)がある?  別にない。うるさいやつが、静かになっただけ。気の毒やなあと思うけどやな、それが何。  自業自得(じごうじとく)やろ、水煙(すいえん)二股(ふたまた)かけてた(ばち)が当たったんや。 「アキちゃん……」  まだハンドルに取り付いてたアキちゃんの手首の怪我(けが)を見て、俺は呼びかけた。  その傷は、むちゃくちゃ()れてた。紫色(むらさきいろ)(あざ)になって、このまま放っといたら、そのうち(くさ)ってくるんやないかと思えるような(きず)やった。 「手、痛いやろ。俺が治してやろか」  項垂(うなだ)れてるアキちゃんの肩に()れて、俺が言うと、アキちゃんは何となく、いややって首を()ったようやった。 「怪我(けが)なんかな、治れって思えば治るはずやで。気力さえ充実してれば。もう、そういう体なんやで」  俺とおんなじなんやったら。  (おそ)(おそ)る、俺は教えた。それも嫌やって、アキちゃんが爆発するんやないかって、何となく不吉に(おび)えながら。  でもアキちゃんは別に、俺にキレたりせえへんかった。  ただ、もうあかんわ、俺はって、独り言みたいに(つぶ)いた。 「何があかんねん」  俺の席からは見えてない、アキちゃんの顔を、それでものぞきこむ気分で、俺は(たず)ねた。 「八つ当たりしてる」 「そうやろか。言われて当然のことやろ。アキちゃん、ちょっと、水煙(すいえん)に甘いで。()れたんか」  自分を()める口調やったアキちゃんを、俺は()めた。  ほんま言うたら俺はこの剣が、鬱陶(うっとう)しい。それでもアキちゃんがこいつを立てるんで、俺もそれに合わせてただけ。  アキちゃんにもこいつが鬱陶(うっとう)しいんやったら、()てよか、こんな、古い鉄くず。それが無難(ぶなん)やわ。  俺が()れば何とかなるやろ。剣なんかのうても、俺がアキちゃん守ってやるし。水煙(すいえん)抜きでも、おかんは立派(りっぱ)秋津(あきつ)の家を守ってきたやん。  ()らんねん、ほんまのところ、水煙(すいえん)様は無用の長物(ちょうぶつ)。どんな(えら)い神様か知らんけど、()らんもんは()てよ。  俺は(ゆる)せへん。今朝から急に(ゆる)せんようになった。アキちゃんをジュニアって呼ぶ、こいつの猫なで声が。  外道(げどう)(かん)かな。気がついてん。こいつ、アキちゃんのこと、実はけっこう好きなんやないかって。  ほんまはいつも、ぷんぷん()いてたんやないか。俺のこと。それで(みょう)にイケズで、(いや)みばっかり言うてたんやないか。  ただそれを、プライド高くて言われへんかっただけやろ。アキちゃんには。そんな(へび)なんかほっといて、俺のほうを向いてくれって。そしたら愛してやるのにアキちゃんて、そんなつもりでおったんやろ。  せやけど生憎(あいにく)、お上品(じょうひん)水煙(すいえん)様は口ごもっておいでやったんや。  ほんならずっと、(だま)っといたらええわ。道具は道具らしく。 「(ゆる)してくれ、(とおる)()れたとか、そういうつもりやないねん。ただ何となく……」  何となく、何なのか、アキちゃんは言葉に出しては言えへんかった。それでも俺には、アキちゃんが何を思ったのか、(かす)かに聞こえたようやった。  ただ何となく、(やさ)しかったからやと、アキちゃんは言うてた。  (やさ)しい?  こいつが?  それは(だま)されてるわ、アキちゃん。  外道(げどう)下心(したごころ)なしに(やさ)しいわけあらへんわ。  こいつはどうせ、気の毒な犬にお相伴(しょうばん)して、ちょっぴり味わったアキちゃんの血の味が、忘れられへんだけやねん。  アキちゃん欲しいって、そんな下心(したごころ)。俺も分かるわ、ご同類(どうるい)やもん。  俺はぜんぜん(やさ)しない。それでもアキちゃんには(やさ)しいで。好かれたいだけやねん。  それであわよくば、()いてほしい。できればちょっと愛してくれって、そういう気分やねん。  そうに決まってる。  そんなん、相手にせんとき。俺かて(やさ)しいでって、俺はアキちゃんを(はげ)ました。  そして怪我(けが)してるほうの手に()れると、アキちゃんはびくりとしてた。  痛かったんかもしれへん。俺が腕を引いて自分のほうに傷を引き寄せると、アキちゃんは苦痛の顔やった。  これは普通の傷やない。アキちゃんが自分でつくった(まが)いモンやで。まあ、言うなれば自傷(じしょう)やな。  アキちゃんは、自分を()めてた。なかなか上達(じょうたつ)せえへんなあって、アキちゃん自身も(あせ)ってたんやろ。  それは水煙(すいえん)がうるさく()かすからに違いない。  アキちゃんは、水色宇宙人を(めぐ)って、内心のどこかでおとんと争ってた。こいつを使いこなして、俺は立派(りっぱ)跡取(あとと)りと、(えら)そうにしてみせたかったんかもしれへん。  今は自分をほっぽって、南米やカーニバルやって()かれ(さわ)薄情(はくじょう)なおかんに。俺のほうがええわって、そういうポーズをとってみたかった。  そういう子やねん。アキちゃんは。それが弱点。おかんにはいつも、精一杯(せいいっぱい)のええ格好(かっこう)して、無理してる。  そんなん、もう、せんでもええやん。俺が()るやろ、アキちゃんには。  そう言う代わりに、俺はアキちゃんの傷を()めた。めちゃくちゃ痛いって、そういう顔やった。それでも俺は遠慮(えんりょ)なく、手首に浮いてるはずの静脈(じょうみゃく)に、自分の(きば)()き立てた。

ともだちにシェアしよう!