20 / 928

2-12 トオル

 可哀想(かわいそう)やん、痛い目あわされて。治してやらなって、それがご都合(つごう)な言い訳で、単に俺は本能的に、アキちゃんの血を吸いたいだけやった。  アキちゃんまた、よそ見してるわ。おかんとか、水煙(すいえん)とか、可哀想(かわいそう)な犬とか、そんなんばっかり。俺だけを見てくれへん。  呪縛(じゅばく)が切れてんのとちゃうか。他のは(みんな)もうちょっと、俺に夢中(むちゅう)でいたけどな。  なんでアキちゃんにはそれが、今イチ()かへんのやろ。もしかしてアキちゃんが、強い力を持った(げき)やから、俺では籠絡(ろうらく)できんのか。  それじゃあ、あれか。正攻法(せいこうほう)で行かなあかんのか。何の力もないただの人みたいに、俺を愛してくれって、信じて待つしかないんかな。  そうなんやってもう分かってるのに、俺は(こわ)い。そんなのやったことない。  とっつかまえた下僕(げぼく)には、(のう)(ずい)まで(とろ)けるような、強い呪縛(じゅばく)をかけるもの。  俺の(きば)には(どく)があって、ひと()みすれば()いてくる。大抵(たいてい)それでいいはず。  一度で足りなきゃ、もう一回。それで無理なら、もう一回。(どく)がほどほど()いてきて、うっとり俺を見るようになれば、後はもう放置でええわって、そういう仕組(しく)みのはず。  それやのにアキちゃんは、何回()みついて、これでもかって血吸うてやっても、けっこう平気な顔してる。ちょっと気持ちいい程度らしい。  それは(くせ)になるよな愉悦(ゆえつ)ではあるけど、アキちゃんにとってはもう、日常茶飯事(にちじょうさはんじ)やから。  今も血を吸う俺が、自分の(てのひら)()でるのを、苦痛のような、うっとりした目で見てる。ただそれだけ。いつもはそれだけ。  でも今日は、手首の傷に(きば)を立てて、流れ出る血を()めてる俺の体をそのまま抱いてきて、アキちゃんは暑い夏の車内の閉め切った温度の中で汗をかき、朦朧(もうろう)としたような金色の目で俺を見た。  ため息ついてるアキちゃんの唇が、薄く開いた奥に、異様(いよう)(するど)犬歯(けんし)があるのを、俺は見上げた。  助手席のシートに押しつけられた俺の首筋に、アキちゃんが少し躊躇(ためら)うみたいに、ただ唇を押し当ててくるのを、うっとり目を()せて感じ、その時を待った。  アキちゃんはいつも、俺の血を吸うのを我慢(がまん)してるらしい。  ほんまは吸いたいけど、その必要がないと、アキちゃんは思ってる。  俺は精気(せいき)を吸わんと生きられへん。せやから精気(せいき)(みなもと)をアキちゃんの血に求めるけど、アキちゃんには多分その必要がない。  だから吸血(きゅうけつ)したい欲は無駄(むだ)で、(あさ)ましいと思うらしい。  そうかもしれへん。でも、ええやん、別に。(あさ)ましく、俺を(むさぼ)()うてくれ。  背を押して(うなが)すと、アキちゃんは初めは甘く、俺の首筋に(きば)を押し当てた。やり方知らへんわけやない。何回かは辛抱(しんぼう)(たま)らず吸うたことある。  夜中に抱き合うてるときに、めちゃめちゃ()えると、アキちゃんは我慢(がまん)できんようになって、俺の血を吸う。  それはほんまにヤバい、人外(じんがい)ならではの()さや。  せやけど吸われる一方やと俺もほんまに昇天(しょうてん)しかけるから、甘く浮き出た静脈(じょうみゃく)のどこかから、アキちゃんの血をもらう。  吸うのも吸われるのも、めちゃくちゃ気持ちいい。  この時も、一気に()き立てられた(きば)の痛みに、俺は期待を込めて(あえ)ぐような悲鳴やった。(しぼ)り取られる感覚に、くらりと目眩(めまい)がきて、俺はシートを(つか)み、アキちゃんの手首の血の(したた)りを吸った。  ものすごく甘い、骨の(ずい)まで甘く(とろ)かすような味や。今までに吸ったことある、どんな相手の血より甘い。  アキちゃんて、車で抱いてって(たの)んでも、アホかって言うて相手にせえへんのに、血を吸うのはええんや。  なんで。  車でセックスするのは破廉恥(はれんち)やけど、吸血するのはそうでもないんか。キスするのに毛が生えたようなもん?  ()たしてそうかなっていうレベルの気持ちよさやけど。  それとも単に、アキちゃんも俺と同じで、我慢(がまん)でけへんかっただけか。  そうやといいけど。  ああもう俺は死ぬ。()すぎて気が遠くなってきた。もうやめなあかん。  甘く(うめ)いて、それをアキちゃんに教えると、はっとしたようないつものノリで、アキちゃんは(あわ)てて(きば)を抜いた。それでまだ(ふさ)がってなかった(きば)の傷から血が流れたんやろ。  アキちゃんはそれを、熱い舌で()めた。  甘いような味がするらしい。俺が感じてるのと同じで。もったいないって思うらしい。  まだどこか夢中(むちゅう)で、アキちゃんの手首から(むさぼ)ってる俺のことを、アキちゃんは細めた金色の目で見下ろしてきた。  アキちゃん美味(うま)いって必死になってて、俺はどうもお行儀(ぎょうぎ)が悪い。(くちびる)が血まみれに。  アキちゃんはそれを見て、可笑(おか)しかったんか、それとも気恥(きは)ずかしかったんか、自分の口を(ぬぐ)って(よご)れてないか確かめつつ、(あわ)い苦笑のような笑みやった。  さすがにたらふく食いすぎかと、俺は反省して、(きば)を引き抜き、そこに(あふ)れた血を()めた。  そして口元を()らした血を舌なめずりして(むさ)る俺から、アキちゃんは目を(そむ)けてた。これが何や、エロくさくて()ずかしいんやって。  アキちゃんの手首の、師匠にボコられた傷はもう、すっかりどこかに消えていた。  俺が治してやったんやで。俺は病気や怪我(けが)()く。(どく)もあるけど薬にもなる。そういう()(がた)蛇神様(へびがみさま)やからな。アキちゃんの感じてた痛痒(つうよう)は、俺が全部吸い取っておいてやった。 「アキちゃん、めちゃめちゃ()かった。もう一個の方の気持ちええこともしたい。はよ帰ろ」  甘える口調で俺が(たの)むと、アキちゃんは苦しそうな顔をした。  アホかって怒らへんかった。()いてる。俺の(どく)が。  それとも抱き合って(むさぼ)り合う熱が、アキちゃんも(とろ)かしたんか。どろどろに。 「暑い」  ため息まじりの熱い口調で、アキちゃんは言い、どう見ても()(かく)しと思える仕草(しぐさ)で車のエンジンをかけた。  エアコンかけようって、思ったらしい。すぐには車を出さへんかった。

ともだちにシェアしよう!