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3-4 アキヒコ

 まあ、そうやな。今日は無理やろな。今朝あんなことあったばっかりやし。  確かに俺は今朝、(あらた)めて()り返ってみると、風呂場で全裸(ぜんら)水煙(すいえん)と抱き()うてたよな。  でもそれも、不可抗力(ふかこうりょく)なんやで。そうやろ。そういう話やったやろ。俺に罪なんかないやろ。  でも、(だま)っとこう。もっと、(えら)そうな口きいてもかまへんような、イイ子になってから反論しよう。  その日がくるまで気をつけよう。美形神父とか、美形なんとかに遭遇(そうぐう)しないように。 「行こうか、話もついたことやし」 「そうやな。とっと帰ってベッドで()んずほぐれつしよか」  納得(なっとく)したんか、(とおる)はいつも通りのアホみたいな事を言うてた。  まずは(めし)やろ。それより先にベッドに引きずり込まれるんやろか、俺は。  恐ろしい悪い(へび)や。ある意味、悪魔(サタン)そのものやけど。  でも、そんなもんが好きになってもうたんやから、どうにも仕方(しかた)ない。  (あきら)めて、俺はサイドブレーキに手をかけようとした。車を出すために。  その時、今度は通話の着信音(ちゃくしんおん)で、シャツの胸ポケットに入れてた携帯が鳴った。  誰か、知り合いからの電話やなかった。登録してある着信音(ちゃくしんおん)のどれでもない。聞き慣れないその音に軽い(おどろ)きを感じながら、俺は携帯を引っ張り出した。  そこには携帯からの発信者番号が表示されてたけど、知らない番号やった。  出るべきかどうか、ちょっと迷って、それから俺は電話に出た。  耳に受話器(じゅわき)をあてると、車の走り過ぎていく道の(そば)から、通話してきてるような背景音(はいけいおん)がした。  もしもし、と、若い男の声が話した。それは関西の(なま)りやったけど、どことなく聞き慣れない話しぶりやった。 『本間(ほんま)先生ですか』  俺の名前を確かめるときに、先生つけるような奴って、そう沢山はおらん。  画商(がしょう)西森(にしもり)さんか、それ以外というと、マスコミ関係者とか、できれば話したくないような相手がほとんどや。  せやからその時も、どこかのうるさい奴が、いまだに俺を追い回そうとして、携帯の番号を調べあげてきたんかと思って、俺は電話を切ろうかと迷った。  その沈黙(ちんもく)を受けて、電話の向こうの声は、軽快(けいかい)に笑った。 『切らんといてください。初めましてやけど、先生のことは、ご幼少(ようしょう)のみぎりから、ようく存じ上げてます。信太(しんた)て言います。海道蔦子(かいどうつたこ)先生の、(しき)やねん。以後よくお見知りおきを』  (うた)うような調子のある、軽快(けいかい)な早口で、電話の相手はそう言うた。  海道蔦子(かいどうつたこ)(しき)。  その単語から、俺には電話の相手が、どこの誰とも知れない不審者(ふしんしゃ)ではないという判断をした。  海道蔦子(かいどうつたこ)というのは、俺のおかんのイトコで、長年の親友(しんゆう)やということで、時々家でのおかんの話に出てくる名前やった。  確か、おかんにとっては幼馴染(おさななじ)みで、昔は京都に住んでたけど、お(よめ)に行って、今は神戸の人やって。そんな話やったはず。  せやから秋津(あきつ)親戚筋(しんせきすじ)やねん。結婚して名前は変わってるけど、旦那(だんな)さんも一応、その(すじ)の人なんやって、おかんは言うてた。  なんやっけ。確か、風水師(ふうすいし)。そう言うてた気がする、蔦子(つたこ)姉ちゃんの旦那(だんな)さんは風水(ふうすい)の人やって。大昔、蔦子(つたこ)姉ちゃんの旦那(だんな)さんのご先祖様は、海を渡って、向こうのほうから来はったんえ、って。  向こうって、どこや。中国?  その家の(しき)が、信太(しんた)っていう名前なんか。むちゃくちゃ和風なんやけど、それはええのか。 『なんで(だま)ってらっしゃるんですか。何か言うてくれへんと、間違(まちが)い電話してもうたんかと思いますやん』  笑いながら言う声は、これが間違(まちが)い電話ではないという確信があるような口ぶりやった。 「失礼……(おどろ)いたんで。海道蔦子(かいどうつたこ)さんは(ぞん)()げてますが、いったいどういうご用件(ようけん)ですやろか」 『(なまず)(けん)で話があると、(あるじ)から、面会(めんかい)の申し入れをするよう言いつかってます』  俺は相手の話に、一呼吸の絶句(ぜっく)をした。 「分かりました。いつ(うかが)えばよろしいですか」  スケジュールきついなと思ったんやけど、話題が話題やった。  水煙(すいえん)が今朝、なんとなく洒落(しゃれ)にならん気配(けはい)で言うてた話や。  (なまず)。  その話を、無視していいわけがないと、そんな気がして、俺は早々(そうそう)に頭の中のカレンダーを()ってた。 『今からおいでください』  断固(だんこ)とした、というか、それが当然という、くつろいだ口調で、電話の向こうの、信太(しんた)なる式神(しきがみ)は言うた。  なんなんやと、警戒(けいかい)したような顔をして、(とおる)がうっすら顔をしかめ、俺と顔を見合わせた。こいつにはたぶん、電話の声が()れ聞こえてるはずや。 「そちらのお(たく)(ぞん)じませんが」  俺は、どうしたもんかと考えつつ、生返事(なまへんじ)をしてた。 『俺が案内(あんない)します』  きっぱりと言うて、式神(しきがみ)信太(しんた)はぷっつりと通話を切った。  どういうことや。  俺は通話終了と表示されてる自分の携帯をじっと見つめた。電話切れてる。  俺は海道(かいどう)さんちに行ったことはない。その蔦子(つたこ)さんという、おかんのイトコ兼親友にも、会ったこともなければ、写真で見たこともない。  そんな人が、ほんまに()るんかって、俺がぼんやり思った時、ごつごつと運転席の窓を(たた)く手があった。  中指(なかゆび)にはめた、でっかい(ぎん)の指輪が髑髏(どくろ)の形をしてて、そいつはその指輪が窓ガラスに当たらないよう、気をつけて窓を(たた)いたらしかった。

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