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3-6 アキヒコ
お前。なんで。ぼうっとしてるんや。顔、ちょっと赤いで。ほっぺたのとこらへん。
なんで、赤いんや。それに、なにが、めっちゃ強いんや。
超絶 不愉快 。
俺は慌 ててハンドル握 って、フロントガラスから見える道を睨 む目になった。そこにはポイ捨 てされた吸 い殻 がいっぱい落ちてた。
お行儀 悪い。街 の美観 を完膚 無きまでに損 ねてる。
煙草 臭 い。俺の車は禁煙車 やのに。なんでこんな奴を、俺が乗せてったらなあかんねん。むかつく。激 しくむかついてきた。
「行きましょか、先生。この道ずっといって、ひょいっと曲がったらすぐやから」
それは道案内ではない。そういう事を、信太 は平気な顔して言うて、にっこりとした。
そして、後部座席にどかんとデカい態度 でふんぞりかえった。夏やのに、足下 が白いウエスタンブーツやった。どこまで派手 やねん。頭おかしいんとちゃうか。
「いざ出発」
そう促 して、またサングラスかけた男を、亨 はわざわざ助手席から身を乗り出して眺 めてた。なんやドキドキしてるふうに。
「前見ろ、亨 ! 車出すから!」
なんで俺、怒鳴 ってんのやろ。
亨 はその声に、びくっとして、助手席に戻った。そして気まずそうに顔をしかめた。
「アキちゃん……なんで怒ってんの……?」
何を訊 くねんということを、亨は恐 る恐 る訊 いてきた。
訊 かんとわからんのか、お前は。アホか。わからんのやったら、何が気まずいんや。
ほんま言うたら、やってもうたと思ってんのやろ。
浮気 すんなって、ついさっき俺を責 めてたお前が、どの面 さげてタイガーとうっとり見つめ合 うてんのや。
もうほんまに我慢 でけへん。一瞬で沸点 まで来てる。
怒鳴 りたい、俺は。怒鳴 り散 らしたい。道行く神戸の人に。
この蛇 、人に浮気 すんなて言うといて、その舌の根も乾 かんうちに、新しい男にうっとり来てますよって、全世界の人々に、こいつの不実 を告 げ知らせたい。
KISS FM KOBE に投稿したいくらいや。
水地 亨 は信用できない。てめえのことは棚上 げで、俺のことばっかり責 めやがって。
お前も大概 、浮気者 なんやぞ。俺よりひどいかもしれへん。
俺には罪 の意識 があるけど、お前にはないみたいやからな。
CM明 けの、ラジオのタイトルコールを聞きつつ、俺は妄想 した。それはひどいと世界中の人が俺に同意してくれる。
世界中は大げさや。このラジオ局は地方局やから、全・神戸の人ぐらいやろ。
それでも皆が俺を気 の毒 やと思う。
亨 がおらんようになったら俺は死ぬ、ほんまにそう思ってるのに、そんな俺を横に座らせ、こいつは赤い顔して虎 と見つめ合う。それが拷問 でなくて何なんや。
「アキちゃん……?」
「考えろ! 俺がなんで怒ってんのか、お前のその、ピンク色の脳みそで。分かるまでお前とは、もう口もききたないわ」
「そんなこと、言わんといて。俺まで口きけんようになる」
焦 った顔で、亨 はそう俺を止めた。
俺までって、他に誰の口がきけんようになるんや。
俺はむっとして、サイドブレーキを解除した。イライラしてアクセル踏 んだら、ぶうんと空 ぶかしの音がうるさく鳴って、俺をむかむかさせた。
タイヤを軋 ませて、車はまた、流れる車道に割り込んでいった。
追い越し車線 を行く俺の運転の荒 さに、虎 がひゅうと口笛 を吹 いた。
「先生、やるやん。ロックな運転してる。やっぱこうやないとな、制限速度は目安 や」
違う。制限速度はルールや。守らんと免停 くらう。俺は無事故 無違反 や。その輝 かしいイイ子の歴史を、こんなところで終わりにさせんといてくれ。
「バリバリ行きましょ。湾岸 沿 いにぶっちぎろうか。それとも裏六甲 で死ぬほどヘアピンカーブ?」
「ぶっちぎらへん。さっさと道案内 せえ!」
思わず怒鳴 りつけてた俺に、虎 はひゃあとビビったような声を出し、そしてけらけら笑った。
「バリ怖 い」
それは神戸弁らしい。めちゃくちゃ怖 いっていう意味や。
どことなく標準語じみた神戸弁の、それでいて港くさい響 きが、俺は大嫌いになった。
変や、神戸は。女はしましまのニットとか、縄 やら錨 やらヒトデやらついたワンピース着てるし、髪もやたらと巻いてる。やたら明るい色に髪染めて、ぐるぐる巻きや。
それはそれで可愛い。なんや、小夜子 さんみたいやしと、初めはちょっと好きになりそうかもしれへんかった、そういうもの達 まで、この虎 のせいで、坊主 憎けりゃ袈裟 までや。
俺は神戸の海臭い空気が大嫌いや。
「先生、キレ芸派です?」
笑って訊 ねてくる虎 に、亨 があかんて首を振 ってた。
「やめとき。アキちゃんマジ切れしてるんや」
「なんで。何をキレんといかんことがあるんや。ラブ&ピースでお願いしますわ。それより俺、煙草 吸うてもいいですか」
「あかん、あかん」
早くもアロハの胸 から、見かけない銘柄 の煙草 の箱を取り出して訊 ねる虎 に、亨 はどことなく青い顔して首を横に振 って見せてた。
「禁煙 や、禁煙 。アキちゃん嫌いやねん、煙草 の匂 いが」
「ええー……俺、モク中やのに。お前も嫌いなんか、煙草 」
後部座席を覗 き込む亨 の顔に、必要以上に鼻を寄せて、虎 は訊 ねた。
わざわざサングラスを上げて、奴は亨 に自分の目を見せた。
それを食い入る目で見て、亨 はなんとはなしに、切 なそうに答えた。
「いや、俺は別に……その、嫌い、ということもない……けど、むしろここは、嫌いと答えておくほうが、後々のためにいいか、みたいな、そんな気がちょっとしたり? しなかったり?」
「ほんならキスできへんな、亨 ちゃん」
くすくす笑って、虎 はそう言うた。
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