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4-1 トオル

 信太(しんた)が俺とアキちゃんを連れてきた家は、ほんまに甲子園(こうしえん)球場(きゅうじょう)の目と鼻の先やった。  聞いた話に(うそ)はなく、そろそろ試合が始まるらしい球場(きゅうじょう)の中から、応援歌(おうえんか)を歌う声や()(もの)の、にぎやかな音が()きだしていた。  それはなあ。なんて言うんやろ。みなぎる熱い力のようやった。  暗くなりはじめた球場(きゅうじょう)()らす、まばゆいライトの光線(こうせん)よりも強く、人々の思念(しねん)()らす熱い火花(ひばな)が立ち(のぼ)り、球場(きゅうぎょう)の上を()らして泡立(あわだ)つような色合(いろあ)いや。  すごいなあと、俺は思った。  人間の(いの)りや熱意(ねつい)というのは、外道(げどう)にとっては何よりの甘露(かんろ)のひとつや。  (おそ)れや憎悪(ぞうお)を食らうような、たで食う虫も好きずきの、悪食(あくじき)連中(れんちゅう)()るけど、俺はそういうのは好きやない。  (ひさまず)いて(あが)めてくれる、そういう熱っぽい感情が、俺の大好物(だいこうぶつ)やねん。  アキちゃんと抱き合う時も、やんわり抱かれるのやのうて、お前が好きやって熱く燃えてる時のほうが、俺は何倍も満たされる。  球場(きゅうじょう)から(あふ)れ出そうな熱い情念(じょうねん)は、俺の目にはうっとりくるような何かやった。あれがもし、自分が全部食うてええようなもんやったら、どんだけ力がつくやろかって、俺は(うらや)ましく(なが)めてた。  世の中の外道(げどう)の中には、人間たちに神様と呼ばれて、自前の神殿(しんでん)持ってるようなセレブなやつらもおるで。そういうやつらは悠々自適(ゆうゆうじてき)や。ほっといても信者(しんじゃ)が集まってきて、神様神様ってあがめ(たてまつ)ってくれる。  それはそれで、時には(こた)えてやらなあかんから、全く気楽(きらく)というわけでもないやろけど、いかにも無難(ぶなん)な商売や。  しかし見たとこ、この、(つた)(から)まる神殿(しんでん)には神がいない。いるといえばいるのかもしれへんけど、特定の神を(あが)めてるわけやない。  それでも人は(いの)ってる。熱く燃えるような情念(じょうねん)をこめて。阪神(はんしん)勝ってくれ。阪神阪神。三度の(めし)より野球が好きやって。  そんな不思議(ふしぎ)な場所やった。  神はおらんのに、まさに聖地(せいち)球場(きゅうじょう)につめかけ、全身(ぜんしん)全霊(ぜんれい)(いの)り歌う(やつ)らもおれば、それが無理でも、テレビやラジオで試合中継に釘付(くぎづ)けになって、七転八倒(しちてんばっとう)してる(やつ)らもいてる。  そんな遠方(えんぽう)からのご声援(せいえん)までが、流星(りゅうせい)のように()(そそ)ぐ。  ヤバすぎ。ヤバい。これはたまらん。あの中に行って、()(そそ)流星(りゅうせい)のような力の雨を()びたい。誰のもんでもないんやったら、俺が食うてもええんやろ。  それを思うと、ついつい(よだれ)が出てきそう。  そういやこの球場(きゅうじょう)は、高校野球にも使われてて、日本全国の高校球児(きゅうじ)たちの青春(せいしゅん)聖地(せいち)でもあるんやで。  若い日の三年を野球に(ささ)げた少年たちが、()りすぐられて(つた)聖地(せいち)へ。そこで血と汗と涙のにじむ戦いや。  それ勝て、やれ勝てって、(だい)大人(おとな)までもが夢中になって、いたいけな若い連中(れんちゅう)激闘(げきとう)させる。その戦いを見て、人は熱く燃えてるわけや。  これは豆知識(まめちしき)やけどな。古来(こらい)、試合というのは、神事(しんじ)やった。神に(ささ)げるもんやった。  南米の古代文明では、()りすぐりの男たちにサッカーみたいな球技(きゅうぎ)をやらせて、勝ったほうのチームを()(にえ)として、地下の神に(ささ)げたっていうで。  神様っていうのはな、そういうもんが大好きやねん。スポーツ競技に戦争に、血と汗と涙のにじむ骨肉(こつにく)の争いごとが。そしてそれの生む、人間たちの強烈(きょうれつ)思念(しねん)が、()()にがっつり(せい)のつく、辛抱(しんぼう)(たま)らんご馳走(ちそう)やねん。 「球場(きゅうじょう)行きたい」  車を降りたガレージから、(つた)聖地(せいち)をはあはあ見上げて、俺は誰にともなくそう(たの)んだ。アキちゃんに言うてんのか、それとも(とら)信太(しんた)に言うたんか、自分でもよう分からへん。  とにかく行きたい。だって目と鼻の先にご馳走(ちそう)があるのに、何でお(あず)けやねん。  行こうよう、ナイター見に行こう。ほんのちょっぴり味見(あじみ)だけでもええねん。行きたい、俺は行きたいんや。辛抱(しんぼう)たまらん。 「あかん。何言うてんのや。用事で来たんやで。遊びに来たんやない」  ピシャーンみたいな容赦(ようしゃ)ない激怒(げきど)口調(くちょう)で、アキちゃんは俺に説教(せっきょう)してた。  (いや)や、アキちゃん、めちゃめちゃ怒ってる。(こわ)いよう。  バタンと(はげ)しい音で運転席のドア閉めて、アキちゃんは水煙(すいえん)をとるために後部座席のドアを開けた。  それで気づくかと思ったけど、頭に血が(のぼ)りすぎてて気が回らへんのか、水煙(すいえん)が一言も(はっ)しないことに、アキちゃんは気づきもせんかった。  信太(しんた)はうっとり球場(きゅうじょう)を見上げ、アキちゃんの車にもたれてた。 「ええやろ、聖地(せいち)。こんな近くに住めるなんて、俺は幸せな(とら)や」 「い、行ってんのか……毎日行ってんの?」  思わず上ずる声で、俺は信太(しんた)()いた。  うっふっふと(ふく)みのある笑い方をして、信太(しんた)は目を細めてた。 「行っとうで、毎日毎晩(まいばん)(かよ)()めや。蔦子(つたこ)さんも(とら)キチやしな、それのお(とも)ということで、年間契約(ねんかんけいやく)特等個室(とくべつこしつ)から、心ゆくまでご観覧(かんらん)なんや。ほんまにもう蔦子(つたこ)さんはいい。最高のご主人様や」  何やデレッとて(もだ)えるような信太(しんた)様子(ようす)に、俺はちょっとガーンてなってた。ショックやってん。そんないい目を見てるやつもおるとは。  ある意味俺も毎日毎晩(まいばん)やけど、でも、でもアキちゃんは野球には興味(きょうみ)がないんやで。一緒(いっしょ)に野球見てくれへん。  いっしょにハマってって(さそ)いかけても、俺はそんなん知らんからって、愛想(あいそう)ないねん。  俺がそんな悲しい思いをしてるというのに、この(とら)は、ご主人様と試合(しあい)見物(けんぶつ)。しかも、こ、個室でやで。  ひどい。あまりにもひどい。なんや、この、待遇(たいぐう)の差は。 「もたもたすんな。さっさと案内(あんない)してくれ」  デレデレ話してる信太(しんた)に、アキちゃんはキレてますからみたいな声で怒鳴(どな)ってた。

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