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4-5 トオル

「探しなはれ、もっと。ウチでもこれだけ(はべ)らせてんのや。あんたにはもっと力があるのやろ。トヨちゃんの子なんやから。それでもちょっと、(ぶん)をわきまえたらどうやろ。その子はちょっと、今のあんたの手には(あま)ってるようや」  そう話し、ごくごくビールを飲んでる蔦子(つたこ)さんの背中を、アキちゃんは(にら)んでた。 「どういう意味ですか」 「言うたまんまどす。使いこなせてないやないの。聞くところ、見たところ、(つか)まえとくだけで必死(ひっし)(てい)どす」  なにか言いかけて、口をつぐんだんか。それとも、開いた口がふさがらんのか、アキちゃんは、(うす)(くちびる)を開いたけども、そのまま結局(けっきょく)(だま)っていた。 「強いのんが一人おるより、使い勝手(がって)のええのんが、何人かおるほうが初めはよろし。水煙(すいえん)と、ふたりから始めなはれ。水煙(すいえん)器量(きりょう)よしやし、新人に()れてるんどす。水煙(すいえん)の言うこときいて、もっと熟練(じゅくれん)してから、強いの使(つこ)うたらよろしいわ」  右手にビール、左手に煙草(たばこ)のシマシマのオバチャンは、そんなこと言うてた。俺はそれに、顔面蒼白(がんめんそうはく)になってた。なに言うてんのやろ、この人。 「それまで、(へび)はウチで()うときます。球場(きゅうじょう)もあるし、夏が終わっても、阪神競馬(はんしんけいば)がありますよって、()えもせず、()きもせんやろ。信太(しんた)面倒(めんどう)みさせたらよろし」  にやにやテレビ()ながら、(とら)はさきイカを食らってた。それでも話は聞いてたんやないか。それで笑ってたんやないかと、俺には思えた。  面倒(めんどう)みるってなに。何してくれんの。  だいたい分かるけど、でも、それがアキちゃんの代わりか。  俺は、そんなん(いや)や。  信太(しんた)のことは、(きら)いやないけど、でも、アキちゃんは俺をこの家にほっていくんか。水煙(すいえん)だけ連れて、京都に帰ってまうの?  (うそ)やろ、そんなん。アキちゃんがそんなの、()えられるわけないわ。  だって、俺のこと好きなんやろ。俺がおらんと、アキちゃんは一日だって()たへん。そのはずや。  だって、誰と抱き()うて寝るの。水煙(すいえん)か。そんなん、あんまりや。 「(いや)やて言うたら、それで通るんですやろか」  キレはせず、静かに(たず)ねたアキちゃんに、蔦子(つたこ)さんは()り向いた。  (まゆ)をひそめた、なんやこの子は、ウチに口答(くちごた)えしてって、そんな顔やった。 「通りますやろ。あんたみたいな(ぼん)に、うちに(えら)そうな口きくだけの、実力があるって言うんやったら、ウチかてあんたを先生とお呼びして、きちんと上座(かみざ)で持てなすえ」  ツンとした、きつい横顔で、それでも(つや)っぽく、蔦子(つたこ)さんは言うた。  アキちゃんはそれに、ふうって深いため息を()らした。  そして指さした。皆が見てるテレビ画面を。  そこには打席(だせき)に立つ、阪神の対戦相手のバッターが(うつ)ってた。  バットを(かま)えて立つ背後から、ピッチャーマウンドを(なが)める位置でとらえられた映像を、指さして見せるアキちゃんは、本人にはそんな意識(いしき)はないんやろけど、あたかもホームランポーズやった。  蔦子(つたこ)さんはそれに、盛大(せいだい)に顔をしかめた。  その背景で、これを打てるかみたいな剛速球(ごうそっきゅう)が投げられた。  アキちゃんはそれを(だま)って見ていたが、バッターが打つと、(かす)かに笑って目を閉じた。  打球(だきゅう)はみるみる()びた。なんでそんなに飛ぶんやろっていうぐらいの、大ホームランやった。  ああっ、打たれたって、テレビを観てた誰かが(さけ)んだ。  打線(だせん)はそれでは止まらへん。  ピッチャーは投げ、がんがん打たれた。どう見ても神業(かみわざ)みたいな(たま)やのに、打席(だせき)の選手はそれを上回る神業(かみわざ)で、じゃんじゃん打った。ホームランを。  それには強面(こわもて)海道蔦子(かいどうつたこ)も、ああって短く(あえ)いで、画面に食いつきこちらに背を見せた。  ホームランに次ぐホームランで、甲子園(こうしえん)球場(きゅうじょう)大絶叫(だいぜっきょう)やった。阪神ファン、ほとんど発狂(はっきょう)。  そのものすごい声が、かすかにこの家まで聞こえるようやった。  それとも、それは海道家(かいどうけ)()われてる、人でなしの(とら)キチどもが、七転八倒(しちてんばっとう)する阿鼻叫喚(あびきょうかん)やったんかもしれへん。  信太(しんた)はあんぐりして、画面を見てた。さきイカを(くわ)えたまま。  そして新しく現れたバッターが、またホームランを打った。  それは、カキーンと音高(おとたか)()って、びっくりするほどの大アーチを甲子園(こうしえん)の空に(えが)いた。  ぐんぐん()びますっていう血の出る絶叫(ぜっきょう)のアナウンサーの声に送られ、打球(だきゅう)悠々(ゆうゆう)甲子園(こうしえん)電光掲示板(でんこうけいじばん)()えた。  そして、さらにぐんぐん飛んだんやろ。中継(ちゅうけい)カメラに(うつ)らんようになった後も。  純和風(じゅんわふう)平屋(ひらや)で建てられた、海道家(かいどうけ)屋根(やね)のどまんなか、俺らが全員いる居間(いま)真上(まうえ)屋根(やね)に、ドゴーンてものすごい音がした。  まさかという気はするが、たぶんホームランボールやろ。  その音にびくうってしてから、蔦子(つたこ)さんは()り向いた。なんとなく(つか)れた(おく)()が、(ひたい)からはらりと落ちてきた。 「やめておくれやす。大事な試合なんや、ほんまに正念場(しょうねんば)なんどす」 「力見せろって言わはったんで。こんなもんでどうやろ。まだ()りませんか」  首をかしげて、アキちゃんは意地悪(いじわる)そうやった。そうやって(なが)める大画面に、また、新しいバットの男が立っていた。  それを見つめるアキちゃんに、蔦子(つたこ)さんは、ひってなってた。 「あきまへん、そんなことに力使うたらあかん。ズルいやないの、ズルどすえ」 「そうやろか。俺は相手チームを応援(おうえん)してるだけなんやけど」  カキーン、と、バッターが十二本目のホームランを打った。  それにはさしも蔦子(つたこ)(くず)れ落ちた。がくりと、(いた)()に手をついて。 「分かった。よう分かりましたえ。あんたはトヨちゃんの息子や。せやからもう、やめとくれやす。試合に手出ししたらあきまへん。神聖な試合なんやから」  どこが神聖なんですか、ただの球遊(たまあそ)びやないかって、アキちゃんはスポ(こん)漫画(まんが)(いや)みなライバルみたいな台詞(せりふ)()いた。  いかにも悪役(あくやく)や。少なくともこの居間(いま)では、どう考えてもアキちゃんは悪魔(あくま)そのものやった。

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