35 / 928
4-5 トオル
「探しなはれ、もっと。ウチでもこれだけ侍 らせてんのや。あんたにはもっと力があるのやろ。トヨちゃんの子なんやから。それでもちょっと、分 をわきまえたらどうやろ。その子はちょっと、今のあんたの手には余 ってるようや」
そう話し、ごくごくビールを飲んでる蔦子 さんの背中を、アキちゃんは睨 んでた。
「どういう意味ですか」
「言うたまんまどす。使いこなせてないやないの。聞くところ、見たところ、捕 まえとくだけで必死 の体 どす」
なにか言いかけて、口をつぐんだんか。それとも、開いた口がふさがらんのか、アキちゃんは、薄 く唇 を開いたけども、そのまま結局 黙 っていた。
「強いのんが一人おるより、使い勝手 のええのんが、何人かおるほうが初めはよろし。水煙 と、ふたりから始めなはれ。水煙 は器量 よしやし、新人に慣 れてるんどす。水煙 の言うこときいて、もっと熟練 してから、強いの使 うたらよろしいわ」
右手にビール、左手に煙草 のシマシマのオバチャンは、そんなこと言うてた。俺はそれに、顔面蒼白 になってた。なに言うてんのやろ、この人。
「それまで、蛇 はウチで飼 うときます。球場 もあるし、夏が終わっても、阪神競馬 がありますよって、飢 えもせず、飽 きもせんやろ。信太 に面倒 みさせたらよろし」
にやにやテレビ観 ながら、虎 はさきイカを食らってた。それでも話は聞いてたんやないか。それで笑ってたんやないかと、俺には思えた。
面倒 みるってなに。何してくれんの。
だいたい分かるけど、でも、それがアキちゃんの代わりか。
俺は、そんなん嫌 や。
信太 のことは、嫌 いやないけど、でも、アキちゃんは俺をこの家にほっていくんか。水煙 だけ連れて、京都に帰ってまうの?
嘘 やろ、そんなん。アキちゃんがそんなの、耐 えられるわけないわ。
だって、俺のこと好きなんやろ。俺がおらんと、アキちゃんは一日だって保 たへん。そのはずや。
だって、誰と抱き合 うて寝るの。水煙 か。そんなん、あんまりや。
「嫌 やて言うたら、それで通るんですやろか」
キレはせず、静かに訊 ねたアキちゃんに、蔦子 さんは振 り向いた。
眉 をひそめた、なんやこの子は、ウチに口答 えしてって、そんな顔やった。
「通りますやろ。あんたみたいな坊 に、うちに偉 そうな口きくだけの、実力があるって言うんやったら、ウチかてあんたを先生とお呼びして、きちんと上座 で持てなすえ」
ツンとした、きつい横顔で、それでも艶 っぽく、蔦子 さんは言うた。
アキちゃんはそれに、ふうって深いため息を漏 らした。
そして指さした。皆が見てるテレビ画面を。
そこには打席 に立つ、阪神の対戦相手のバッターが映 ってた。
バットを構 えて立つ背後から、ピッチャーマウンドを眺 める位置でとらえられた映像を、指さして見せるアキちゃんは、本人にはそんな意識 はないんやろけど、あたかもホームランポーズやった。
蔦子 さんはそれに、盛大 に顔をしかめた。
その背景で、これを打てるかみたいな剛速球 が投げられた。
アキちゃんはそれを黙 って見ていたが、バッターが打つと、微 かに笑って目を閉じた。
打球 はみるみる伸 びた。なんでそんなに飛ぶんやろっていうぐらいの、大ホームランやった。
ああっ、打たれたって、テレビを観てた誰かが叫 んだ。
打線 はそれでは止まらへん。
ピッチャーは投げ、がんがん打たれた。どう見ても神業 みたいな球 やのに、打席 の選手はそれを上回る神業 で、じゃんじゃん打った。ホームランを。
それには強面 の海道蔦子 も、ああって短く喘 いで、画面に食いつきこちらに背を見せた。
ホームランに次ぐホームランで、甲子園 球場 は大絶叫 やった。阪神ファン、ほとんど発狂 。
そのものすごい声が、かすかにこの家まで聞こえるようやった。
それとも、それは海道家 で飼 われてる、人でなしの虎 キチどもが、七転八倒 する阿鼻叫喚 やったんかもしれへん。
信太 はあんぐりして、画面を見てた。さきイカを銜 えたまま。
そして新しく現れたバッターが、またホームランを打った。
それは、カキーンと音高 く鳴 って、びっくりするほどの大アーチを甲子園 の空に描 いた。
ぐんぐん伸 びますっていう血の出る絶叫 のアナウンサーの声に送られ、打球 は悠々 と甲子園 の電光掲示板 を越 えた。
そして、さらにぐんぐん飛んだんやろ。中継 カメラに映 らんようになった後も。
純和風 の平屋 で建てられた、海道家 の屋根 のどまんなか、俺らが全員いる居間 の真上 の屋根 に、ドゴーンてものすごい音がした。
まさかという気はするが、たぶんホームランボールやろ。
その音にびくうってしてから、蔦子 さんは振 り向いた。なんとなく疲 れた後 れ毛 が、額 からはらりと落ちてきた。
「やめておくれやす。大事な試合なんや、ほんまに正念場 なんどす」
「力見せろって言わはったんで。こんなもんでどうやろ。まだ足 りませんか」
首をかしげて、アキちゃんは意地悪 そうやった。そうやって眺 める大画面に、また、新しいバットの男が立っていた。
それを見つめるアキちゃんに、蔦子 さんは、ひってなってた。
「あきまへん、そんなことに力使うたらあかん。ズルいやないの、ズルどすえ」
「そうやろか。俺は相手チームを応援 してるだけなんやけど」
カキーン、と、バッターが十二本目のホームランを打った。
それにはさしも蔦子 も崩 れ落ちた。がくりと、板 の間 に手をついて。
「分かった。よう分かりましたえ。あんたはトヨちゃんの息子や。せやからもう、やめとくれやす。試合に手出ししたらあきまへん。神聖な試合なんやから」
どこが神聖なんですか、ただの球遊 びやないかって、アキちゃんはスポ根 漫画 の嫌 みなライバルみたいな台詞 を吐 いた。
いかにも悪役 や。少なくともこの居間 では、どう考えてもアキちゃんは悪魔 そのものやった。
ともだちにシェアしよう!