39 / 928
4-9 トオル
ひんやりとした、秋の花を思わせるような香りがしてた。
赤毛の鳥が用意してった例のアレの匂いやろ。いい匂いやけど、これ、何か変なもん入ってたんやないか。
あまりに悦 すぎで、癖 になりそう。
それともドーピング疑惑 は濡 れ衣 で、押し寄せるようなアキちゃんの怒濤 の愛が、危険なほど気持ちいいだけやったんか。
「気持ちええか、亨 」
「気持ちええわ。ものすごくいい……いきそうや、アキちゃん」
俺の脚 を押し開いて、真面目 に訊 いてくるアキちゃんに、俺は切羽詰 まって答えてた。
「我慢 せえ。もっといっぱいしてやるから」
「ああ、そんな……無理や……」
もう無理、ちょっと緩 めてほしいぐらいや。
またもや最速記録更新というのでは、ちょっとどうやろ。
もっとゆっくりやったほうが、ええんやないか。
長い一生なんやし、時間なんかいくらでもある。焦 ってイクことないやんか。
「亨 、好きや……好き」
ぐわあ始まった、アキちゃんの言葉責めが。最近の癖 やねん。
燃え燃えになってくると、好きや好きやってずっと言うんや。
やめてほしいねん、俺はそういうのに弱いんやから。我慢 でけへんようになるやんか。
「やめて、アキちゃん、それは……やめといて」
いや、やっぱ、やめんといて。もっと言うてくれ。もっと激しくやって。
でももう我慢 でけへんようになる。
つらい。気持ちいい。天国と地獄がいっぺんに来たみたい。盆 と正月とクリスマスもついでに来たみたい。
つらくて、気持ちよくて、めちゃくちゃ幸せ。
ああ、ほんまにもう、これは、堪 りません。
激しくやられながら、俺は絶頂 に達してた。吹き出たやつが、アキちゃんの汗 に濡 れた体を、さらに濡 らした。
恥 ずかしい。それはそれで、堪 らんような悦 さや。
悦 すぎて、なかなか終わらへん。
狂ったように喘 ぐ俺を、欄間 から誰かが見てた。
無数 の小さい目みたいなのが、じいっとこっちを見てる。
ああ何やねん、見んといてくれ。恥 ずかしいやんか。
それに俺は、見られると感じるほうやねん。変態 か。まさにそれですやん。外道 なんやから。
くすくすざわめいて覗 き見してる見たがり屋は、どうやらここの家憑 きやった。新しい家やのに、どこかからあいつらも一緒に引っ越してきたんやろ。
物見高くガン見していた連中やったけど、途中で半分どっかへ消えた。
あっちもすごいわって、見よう見ようみたいなノリでやな、ざわざわ逃げていったわ。
闇夜にかすかに喘 ぐ声が、聞こえたような気もしたな。
それは自分の声の木霊 やったんか。
それともタイガーに食われてる誰かか。わからへん、それは。
もしかしたら今夜、虎 に食われて死ぬ目にあってたんは、自分やったんかって、俺はぼんやり思ってた。
アキちゃんに抱かれながら、もうどうしようもないくらい気持ちええのに、そんなことを思いつけた。
俺はなんて、不実 で淫乱 なんやろって、そう思うと燃えた。
アキちゃんが二回目をやる間、俺はずっと、咆吼 する虎 の絵が、頭にちらついて離れへんかった。
それは居間 のテレビで観たようなやつとは違う。見上げるようなでかい虎 やねん。
それが炎をまといつかせて、激しく吼 えてる。俺が震え上がるような、ものすごい声で。そしてそいつが、貪 り食いに来る。
ああ、やめて、って、それを拒 み、その空想を振 り払おうとした。
何でそんなこと思うんやろ。それが悲しくなってきて、俺は泣いてた。
気持ちよすぎて涙出てきてただけか。泣くほど気持ちええんやって、アキちゃんは思ったらしかった。
それは、嘘 やない。本当や。気持ちよかった。
せやけど俺の目には、ベッドに放置されたままやった水煙 の、煌 めくような鞘 が見えてた。
確かに俺は、あいつが言うように、誰でもええのかもしれへん。
アキちゃん好きやって狂ったようやのに、その同じ頭で、虎 が吼 えてる。
そんなん嫌やって泣いてみせても、結局お前は淫 らな蛇 やろって、ものを言わんようになった水煙 が、思うてるような気がして、見んといてくれって俺は焦 った。
また口きけるようになったら、水煙 はそれを、アキちゃんにチクるやろか。
言うやろ、当然。ジュニア、あの蛇 は、お前とやりながら、他の男のことを考えてる。アホな夢から醒 めろって。
ああどうしよう。
その焦燥感 の中で、俺はアキちゃんに追い上げられて、またイってた。
気持ちいい。でも、不安で胸が騒 ぐ。
その恐れと、感極 まった愉悦 とで、俺の体はがくがく震えてきてた。
アキちゃんはその体を抱いて、俺が好きやって言うた。そして奥深くでその言葉と同じ熱い愛を注いだ。
絶頂 に強 ばるアキちゃんに、強く抱かれて、俺は息もできんようになってた。
嫌や。こんなのは。アキちゃんのことだけ想っていたい。他のなんか要 らん。
それでも、あれもいい、これもいいって、よろよろ惹 かれてまうんは、俺の性癖 か。どうしようもない奴 なんか。
「アキちゃん……」
終わった後のはあはあ荒い息で抱き合うと、アキちゃんの体は汗 で濡 れていた。
俺もすっかり汗 だくやった。それでもアキちゃんは、気にせず抱きしめてくれてた。
「アキちゃん、俺が、浮気したらどうする?」
つらいか。アキちゃんは。怒ってくれるか。
それともいつもみたいに、好きにしろって言うんか。やせ我慢 して、なんでもないわっていう顔を作って。
抱かれて見上げてる俺を、じっと伏 し目に見ながら、アキちゃんは考えてるようやった。何度か瞬 きする間、アキちゃんは考え込んでた。
そして、ぽつりと答えを出してきた。
「殺す」
その答えに、俺の頭は真っ白になってた。
殺されるんや、俺。アキちゃんに。許せへんのか。それぐらい、怒ってくれるんか。
「そうして……アキちゃん、ほんまにそうして」
もしも俺にアキちゃんより好きな相手ができてもうたら、殺してくれ。
俺は死にたい。そんな自分が、許されへんから。
水煙 に、やらせてもええよ。あいつに捕らわれて、永遠の拷問 みたいに、アキちゃんが他の誰かと幸せになるのを、震 えながら見てる。
それぐらいの罪やと思う。もし俺が、アキちゃんを裏切って、他のに走れば。
「そんなこと、俺にさせるな」
唇 が触 れそうな近さで、俺の頬 を包 んで、アキちゃんはそう命令してきた。俺はそれに、黙 って頷 いた。そして、アキちゃんにキスしてもらった。
蒸 れたベッドの上で抱き合うと、夏ももう終わりやという気がした。
秋のような匂いがしてたせいか。ふと首筋 の寒いような気分のせいか。
寒いと言うと、アキちゃんは抱いてくれた。熱い腕で。
それに縋 って、俺は眠った。深い安堵 と不安の両方がある。幸せで、寝苦しい夜やった。
――第4話 おわり――
ともだちにシェアしよう!