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5-3 アキヒコ

「記事のほうは、一応全部見たけどな、(なまず)の話なんて()ってへんかったよ」  (とおる)の話す声を聞きつつ、俺はざっとスクロールさせて記事を見た。  写真つきで、ギャグみたいな画面やった。心霊写真(しんれいしゃしん)に、怪奇生物(かいきせいぶつ)特集みたいな。それから世界の不思議(ふしぎ)遺跡巡(いせきめぐ)りとかやな。  とてもやないけど、読む気がせえへん。見てはいけない世界やで。  それでも読まなあかんのやろな。  そう覚悟(かくご)を決めて、ページの頭までスクロールして戻り、俺はふと、一枚の写真に目を()めた。  期待のニュー・カマーが(さら)(もん)にされるコーナーで、俺とは別にもうひとり、写真の()ってるやつがいたんや。  そいつは金髪(きんぱつ)で、青い目やった。どことなくエキゾチックな、それでも白人の顔をしてた。それなのに名前は日本語やねん。  神楽遥(かぐら はるか)? 神楽遥(かぐら よう)?  フリガナつけとけ、霊振会(れいしんかい)。どっちかわからんやないか。  その写真のやつも、どっちかわからんような顔やった。(すず)しげな顔のマニッシュな女なんか、それとも、ナヨい男なんか、見た目にわからん。どっちにも見える。  それでも人物紹介(じんぶつしょうかい)を読んで、俺にはそいつが男やということが分かった。  神父(しんぷ)やってん。神父(しんぷ)やから、男やろ。  そして俺は、じっと頭の上から俺を見下ろしてきた(とおる)(かげ)に、ぎくっとして顔を上げた。 「見たな……」  じっと俺を(にら)(とおる)の顔は、うっすら笑っているような、怒ってるような、微妙(びみょう)な顔やった。  それを間近(まぢか)に見上げて、俺はあんぐりしてた。妖怪(ようかい)みたいやで、お前。怖い。 「み、見た……見た、けど、お前が見せたんやで。それに、写真は(ふく)まれるんか?」  この神楽(かぐら)神父(しんぷ)(れい)の、小夜子(さよこ)さんが話してた、俺が見てはならない危険な美形(びけい)神父(しんぷ)に間違いないような気がしてた。  たとえ別人でも、これは見てはならない(きゅう)や。  まさかこれで、俺は約束破ったことになるんか。六甲山(ろっこうさん)かどこかから、(とおる)好きやって絶叫(ぜっきょう)されられるんか。  そんなん、(いや)や。()えられへんわ。 「アキちゃん、じいっと見てたで……十秒くらい、ガン見してた」  亡霊(ぼうれい)みたいな声で、(とおる)は静かに俺を()めてた。 「そんなに見てへん……読んでただけや」 「関連情報を読むのも、禁止事項(きんしじこう)(ふく)めよか」  遠慮(えんりょ)なく、(とおる)は鬼みたいな顔で、俺の(ひざ)(またが)ってきた。  そして、やんわりベッドに押し倒されつつ、俺はそんなアホなとぼやいてた。 「どこまで(ふく)めるんや。それは(ふく)めすぎやないか?」  Tシャツごしの俺の胸に(ほほ)()()せてきて、(とおる)は長いため息をついてた。  ()えてるような呼吸やった。そんなに怒ってんのか。なんでそこまで怒れんねん。 「(ふく)めすぎやろな。(かん)やけど、アキちゃん、こいつと会うことになるんやないやろか」 「被害妄想(ひがいもうそう)やろ」  俺があっさり否定すると、(とおる)はベッドに手をついて、むくりと身を起こした。 「外道(げどう)(かん)やで、アキちゃん。人と人の間には、引力(いんりょく)みたいなもんがあるんや。この国では(えん)とかいう、アレか。(えん)のあるやつは、引き()せ合う。それを運命(うんめい)という(やつ)もおるけど、どう()けてても、出会う(やつ)は出会うし、離れられんやつとは、離れられへん。重力につかまった星や宇宙船が、ブラックホールに落ちるみたいにな。まだまだ遠くても、もう逃げられへんていうポイントが、どっかにあるんや。ちっさな偶然(ぐうぜん)()り集まって、逃れられへん強い引き(づな)みたいに、人を引き()せる」  滔々(とうとう)真顔(まがお)で語る(とおる)の目は、ぼんやりとして、これまで数え切れない人また人を見てきたような人外(じんがい)の目やった。  こいつは俺よりずっとずっと途方(とほう)もなく年上なんやという、日頃(ひごろ)は感じないその事実を、ふっと感じるような瞬間や。 「運命(うんめい)」  よく聞くようでいて、滅多(めった)に口にはしないその言葉が、その時(みょう)に心に(ひび)いて、俺は(つぶや)いてた。綺麗(きれい)やなあって、ぼけっと(とおる)の顔を見上げて。  運命(うんめい)。そうや、って、(とおる)は小さく(うなず)いてた。  運命(うんめい)か。(えん)か。  それはまるで、俺とお前みたいに、と、俺はそんな甘ったるいことを内心(ないしん)の奥深くで思ってたけど、口にするには甘すぎるそれを躊躇(ためら)ううちに、(とおる)は全然別のことを(れい)に出してきた。 「アキちゃんと、あの犬みたいなもんやろ」  (にが)(ばし)った()みで言う(とおる)の顔は、綺麗(きれい)やった。  それでもすごく、つらそうに見えた。 「あいつはたまたま、(まち)でアキちゃんの絵を見て、それで美大(びだい)に来たんやろ。もしも絵のある地下道に、あいつが行かんかったら、それか、絵が来る前や無くなった後に通り過ぎてたんやったら、ああいうことにはならへんかったわけやろ」  そうやなあって、同意する意味で、俺は(かす)かに(うなず)いてみせた。  (とおる)がしてるのは、勝呂(すぐろ)の話で、あいつは大阪の地下街で、俺が大学の作品コンペで描いた絵を偶然(ぐうぜん)目にして、その絵に()れたんやと言うてた。  それは真冬の森を走り抜ける(おおかみ)()れの絵で、作品コンペの課題(かだい)やった『野生(やせい)』という題材(だいざい)で描いたモンやった。ゴーギャン祭りやってん。  ただそれだけのことで、俺にとって、その絵には全然深い意味はなかった。描かなあかんかったから描いただけやった。  それでも全身全霊(ぜんしんぜんれい)はかけたで。何日も大学の作業室(さぎょうしつ)()もって描いたわ。  実はその絵は、今でも俺んちにある。出町柳(でまちやなぎ)のマンションのアトリエに。  作品コンペから戻ってきて仕舞(しま)()んでからは、出して(なが)めたことはない。

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