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5-5 アキヒコ
作品展終わったら、一緒に映画観 に行こうって、勝呂 は俺を誘 ってた。
俺はたぶん、行ったやろ。
映画好きやねん。どうせやったら一人より、同じ映画オタクと観 たほうが、面白いやろ。
それに、綺麗 な顔やなあって、俺は時々、勝呂 の顔に見とれてた。
それに触 っていいと言うてたあいつの誘 いを、何回目まで、際 どい冗談 やって聞き流せてたやろ。
わからへん。案外 ちょっとした偶然 で、今ここに一緒に居 たんは、あいつやったんかもしれへん。俺はあいつを抱いて寝てたんかも。
そう思うと不愉快 やった。嫌 な胸騒 ぎがして。
自分がその想像に、それはそれで、割 とええんやないかと思ってるのが分かってしもたんで。
不実 すぎるわ、俺は。そういう自分に反吐 が出そうや。
忘れなあかん。早く忘れないと。
勝呂瑞希 はもう死んだ。この世のどこにもおらん。
あいつはもう、死んでもうたんや。不甲斐 ない俺の、あおりを食って。
「アキちゃん」
亨 はじっと真面目 な顔で、俺を見てた。
「俺は店にいたで。もし、未来を知ってても。アキちゃんに会うために、あそこに立ってたと思うわ」
俺の髪 に触 れてきて、亨 は何か覚悟 したように、そう言うてた。
「でも、それで、ほんまに良かったんかな。アキちゃんは、ほんまにそれで、幸せになったんか?」
問 いかけてくる亨 は、不安そうに見えた。
俺は亨 の背中を引き寄せて、胸に抱いた。
ひんやりとした、それでも熱いような、不思議 な抱き心地 やった。
本能的にそうしてん。亨 がそうしてほしがってるような気がして。
抱きしめると、亨 は深い安堵 のような、快感 のような、甘い息をした。白い首筋 を撫 でると、指に吸い付くような肌 やった。
「幸せやで。でも、ひとつだけ、納得 いかんことがある」
俺を見下ろしてた亨 の姿で、どうしても気になったことがあって、俺はそれを伝えておくことにした。
なんや、って、亨は俺に抱かれたまま、やんわり身じろぎして、こっちを見上げてきた。
「お前、なんで服の前そんなに開けてんねん。ちゃんとボタン上まで留 めとけよ。見えるやろ。臍 まで丸見えやったで、今」
ついつい説教 する口調 で俺が話すと、亨 は低い声で、ええーって言うた。
ものすご引いてるような声やったし、眉間 に皺寄 せて、呆 れたみたいな顔やった。なんやねん、そんな目で俺を見るな。
「なんでそんな話すんの。なんで今すんの。それって重要なことか?」
ちょっと話つけとかなあかんと、亨 は俺の抱擁 を振りほどいて、また体を起こした。
やっぱり見えてるやん。ちょっと前あき深めのヘンリーネックやねん。それでボタン開けてたらな、お前より背高いやつには、腹 まで見えてる。角度 によっては。
それはあかんやろ。極 めて重要な件 やで。
もしもあの時なんていう、実際には起こらなかった架空 の話より、よっぽど目の前にある現実的な危機 の話なんやから。
ボタン留 めろって、言うだけやと手ぬるいと思って、俺は亨 の服のボタンを全部留 めてやった。亨はそれを、ものすご情 けないという顔で見てた。
「見えたかてええやん。男なんやで。女で乳 見えてるんと違うんやで」
「いや、気付けるに越 したことない。世の中、案外 そんな奴 ばっかりやからな」
「真面目 に言うてんのか、それ。萌 え萌 えするんか、アキちゃんは俺の腹 見て」
正直 言うて萌 え萌 えします。
情 けないって項垂 れながら、くよくよ訊 いてくる亨 に、それを答えるのは死んでも嫌 で、俺は黙 ってた。
萌 え萌 えするねん、亨 が脱 ぐと。なんでやろ。条件反射 ?
お行儀 悪いこいつが、夏場 出かけて、暑いなあってTシャツの裾 をぱたぱたしてたりすると、もろに見えてる腹 とかに、ぎょっとする。
やめとけそんなの、皆 見てはるやろって、内心ジタバタ、七転八倒 なんやで俺は。ここだけの話やけどな。
泳ぎに行こうって、亨 に何回も強請 られたけど、この夏いっぺんも行ってない。
だって泳ぐには水着にならなあかんやん。服着て泳いでたら溺 れてると思われて救助 されてまうやろ。
嫌 やねん、俺は。
自分は別になんでもないけど、亨 がビーチで水着になるのが、どうしても我慢 ができません。
脳内 シミュレーション段階 でアウトやったな。絶対あかん。
俺が許容 できるレベルをはるかに越 えてる。絶対にあかんわ。
俺の命に関わるしな。
なんでや、カナヅチなんかアキちゃんて、亨 にさんざん詰 られたけど、俺はあえてその不名誉 な誤解 を受け入れた。
そうや、俺は泳げへんのや。せやから海にも琵琶湖 にもプールにも行かへんのや。
海なんか嫌 いや。日焼 けしたらどうすんねん亨 。
俺はお前の白肌 がええねん。日焼 けしたお前なんかアウトやから。
まさかそんな恥 ずかしい理由を言うわけにもいかず、じっと沈黙 して耐 えた。ぶうぶう言うてる亨 を無視 して。
つれないとか、愛想 ないとか、散々 言われても我慢 した。
そして、なんとか無事 に夏も終わろうかという今、やりとげた感がある。
また来年の夏まで、泳ぎに行こうって亨 は言わへんやろ。
それでええねん。俺はもう一生、ビーチにもプールにも近づかへんから。
たとえそれが百年でも千年でも、行かんもんは行かん。
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