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6-2 トオル

 蔦子(つたこ)さんは、日本シリーズでの阪神タイガースの今後について、そして昨夜(ゆうべ)の試合が(とら)キチにとって、どんだけ大事なもんやったかを、切々(せつせつ)と語って聞かせてた。  それがどんだけアキちゃんにとって、何の価値もないもんか、全然分かってへん。  それでも聞くしかないアキちゃんの(となり)で、俺は何となく呆然(ぼうぜん)として、キスしてる(とら)と赤毛を見てた。  お前らちょっと、キス(なが)ないか。皆が見てる前で、ようそんなことやるわ。  俺でもそんなんしてもろたことない。アキちゃん()れてまうから、人前(ひとまえ)では、そんなんありえへんから。  何やそれが、無性(むしょう)(うらや)ましいような気がして、俺はずっと、ぽかんと見てた。  赤毛は()まれた(あと)のある首筋(くびすじ)信太(しんた)()でられながらキスされて、ぼけっとしてるようやのに、突然ぽろっと一粒(ひとつぶ)泣いた。感極(かんきわ)まったような(なみだ)やった。  信太(しんた)はキスをやめて、その(なみだ)を赤毛の長い睫毛(まつげ)から吸い取った。  変なもんやで。(なみだ)()めてる。それを何とも思うてへんらしい、ここの(やつ)らも異常やし、そこまでやられて、まだ(はし)持ってる赤毛の鳥も、なんやおかしいと思うわ。 「腹いっぱいになったか、寛太(かんた)」  信太(しんた)は優しいような声で(たず)ねてた。 「なったわ。兄貴(あにき)。俺は今日は蔦子(つたこ)さんのお(とも)六甲(ろっこう)へ行ってくる。その後、長田(ながた)のほうへ見回りへ」  平然(へいぜん)と答えてる赤毛の口ぶりで、俺は信太(しんた)口移(くちうつ)しでなんか食わせてたんやと気がついた。 「そうか。無理すんなよ」  (いたわ)(かん)のある口調(くちょう)で言うて、信太(しんた)は赤毛のほっぺた()()でしてやってた。それでも赤毛は素知(そし)らぬ顔でサラダの続き食うてたわ。  なんなんや。あれは。俺はアキちゃんに、あんなんしてもろたことない。  すぐに怒るし、つれないしやで、まったくもって俺が可哀想(かわいそう)や。  アキちゃんもちょっとは(とら)を見習えって、思わずジトっと見ると、アキちゃんは心なしかあんぐりとして、まだ蔦子(つたこ)さんの(うら)(ぶし)を聞いてた。 「目指せ日本一なんえ。リーグ優勝だけやと()えきらへんやないの。どうせやったら日本一になってもろて、皆でビールかけしたいんやウチは」  テーブルを(たた)きながら、蔦子(つたこ)さんはアキちゃんに力説(りきせつ)してた。 「え……そんなんしたいんやったら、したらええやないですか。別に日本一ならへんでも、(びん)ビールくらい買えるでしょう」 「アホか! アホなんか、あんたは。日本一なってビール()びるから気持ちええんやないの。負けてビール()びたら腹立つだけどす!」 「そういうもんやろか……」  蔦子(つたこ)おばちゃまの話に首かしげてるアキちゃんは、チームスポーツの経験がない。そう言うてた。  このボンボンは見かけによらず運動神経はええねん。野球でもサッカーでも、やらせたが最後ひとり勝ちしてもうて、何が面白いんかわからへんらしい。  お前ら下手(へた)やなって、つい口が(すべ)ってもうて、そしてチームメイトのハートをロスト。せやから、一緒に野球しよか、サッカーしよかって、(さそ)ってくれる友達が()らんようになる。  というか、俺はアキちゃんに友達が()るという気がせえへん。  嫌われてるわけやない。大学で()(まわ)ってみると、アキちゃんのこと嫌いや言うてる(やつ)はそんなにおらへん。  一方的(いっぽうてき)(うら)んでる(やつ)もおるけど、それはどうも女がらみや。  好きやった女を本間(ほんま)に食われた。しかも一口食ってポイ()てみたいな食い方やった。許せへんていう、そういう物陰(ものかげ)からの(うら)み視線で、アキちゃんはそういう(やつ)()ることすら気づいてへん。  そんな悲しい一部の人々を(のぞ)けば、アキちゃんの評判(ひょうばん)は悪くない。絵が上手(うま)いかららしい。  本間(ほんま)の絵はいいって、皆言うてるし、機会があるなら仲良くしてみたいけど、それをやるには怖すぎるんやって。  まあ、確かにな。アキちゃんは時々怖い。それに本人に、あんまり友達作ろうという気がないんやないか。  愛想(あいそう)悪いってほどやないけど、なんとなく(うわ)(つら)での付き合い方しかしてへん。ボロが出えへんように、当たり(さわ)りのない生返事(なまへんじ)して、それでさっさと会話を終わらせ、早いとこ作業室こもって絵描いてたいって、そんなかんじの引きこもりなんやで。  おかんに聞くところによると、子供のころからアキちゃんはそうらしい。  小学校の頃から、学校終わると全速力で走って帰ってくるんやって。そして家に()もってる。  一緒に遊ぼうって呼びに来る友達もおらへん。自分から呼びに行くなんて、もちろんせえへん。いつも一人で絵描いて遊んでるか、それか家憑(いえつ)きの(しき)と遊んでる。  成長とともに(しき)が見えんようになってきて、仕方ないから、ずっと絵描いてる。とにかくひたすら絵描いてる子やって、おかんは言うてた。  他人を()けてるんや。たぶんバレたくなかったんやろ。自分がまともでないことを。  普通の子でいたかったけど、それは無理やって、アキちゃんは餓鬼(がき)(ころ)から内心(ないしん)分かってたんやろ。  それで、しょうがなくて、人と(かか)わらんようにした。  そんな(やつ)にチームスポーツの意味が分かるわけ無い。  甲子園(こうしえん)球場で、(とら)ファン全員で一丸(いちがん)となって大応援(だいおうえん)やみたいな、そんなのが楽しいはずないんや。  応援(おうえん)したら勝ってまうしな。あんまりやったらあかんて、おかんに言われたんかな。俺はアキちゃんが何かの応援(おうえん)をしてるところを見たことないわ。 「あんたに何を言うても無駄(むだ)やということが、ようわかりましたえ!!」  蔦子(つたこ)おばちゃまは朝からキレまくってた。  そして、もう泣きそうみたいな気配(けはい)をさせて、しくしく冷え切った目玉焼きを食べ始めた。いかにも不味(まず)そうやった。  アキちゃんはそれを、ぽかーんとして見てた。そして、見ててもしゃあないと思ったらしく、気まずそうに自分も朝食に手をつけた。

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