54 / 928
6-9 トオル
「荒 ぶる神の一種どす。鎮 めるのには生 け贄 が要る。目覚めて暴 れ出したら最後、ただではまたお眠りにはならへん。お腹が空いて目を醒 ましはるようやから」
「僕と一緒や。夜中に腹空 いて、なんか食べようかって台所まで行ったりするわ」
笑い事みたいに、中一はけたけた話してた。
冗談のつもりなんやろ。こいつは前の地震があったとき、まだ生まれてへん。知らへんのや、当時の惨状 を。
それともこんなえげつない餓鬼やから、知ってても笑い事なんか。
いっぱい死んだで。あたかも地獄絵図 や。
死と嘆 きに引き寄せられて、悪い人らも、人でなしも集まってくるもんやし、大地震の後には、地震よりもさらに悲惨 なもんも待ってるのが常や。疫病 やら、暴動 やらな。
せやけど阪神 大震災 では、そういうことは無かった。
不幸中の幸い。そういうことやけど、それは偶然 やなかったって事なんやろな。
三都 を守護 する巫覡 が、鯰 を何とかしたって、水煙 が言うてたんやから。
「子供が夜中にうろうろするもんやおへん。部屋におりなさい」
びっくりした顔を隠 して、蔦子 さんはぴしりと竜太郎 を叱 った。
それに中一はにやにやしてた。
お前は平気なんか。このうちの夜の廊下をうろついて。見たい見たいの妖怪もおるし、お子様が聞いたらあかんような声もすんのに。
それともお前も、見たい見たいの一種なんかな。そろそろそういうお年頃?
「生 け贄 って、どんなんするん?」
面白そうに話を逸 らして、竜太郎 は気持ちええのか、アキちゃんの腕にべったり体をくっつけた。
俺はそれにムカッとしたけど、蔦子 さんの手前、その息子を怒鳴 りつけるわけにもいかへんかった。
アキちゃんは話の内容にビビってんのか、眉間 に皺寄 せて難しい顔してるだけで、竜太郎を払いのける気配 もあらへん。
アキちゃん、またもや隙 だらけやんか。ガード薄いねん。ほんまにもう、どうしようもない男やわ。
「どうもこうも。鯰 が人を食らうのを、黙 って見てるしかおへん。どうぞ控 え目にって、お祈 りして頼 むぐらいしかないわ。それも祭事 を行う巫覡 の力しだいや。うまいこと祈 りが通じれば、鯰 も腹八分 で我慢 しよかと思いはる」
「メタボなったらあかんもんな」
あははと笑って冗談で受ける餓鬼 を、アキちゃんはやっと、じろっと怖い目で見た。
それに竜太郎 はびくっとしてた。怖かったんやろ。怒ってる時のアキちゃんはむちゃくちゃ怖い目してるもんな。
「笑い事やおへん、竜太郎 」
アキちゃんとおんなじ芸風 の冷たい声で、蔦子 さんは息子を咎 めた。
そしたら中一は、しゅんと大人しなって、アキちゃんの腕から手を引いた。
それでええねん、この餓鬼 が。
「目覚めさせへんのが一番なんどす。せやけど予兆 がある。坊 、例のメールマガジン読みましたか」
突如 出てきたその話題に、アキちゃんはがっくり来てた。
「読んでません……」
「何をやってんのや、あんたはほんまに。一晩 あったし、朝ものらくらしてましたんやろ。呆 れ果 てて物も言えまへんわ」
蔦子 さん、たぶん悪気 はないんやろな。アキちゃんと同じ性格なんやと仮定するなら。
せやけどアキちゃんは明らかにグサグサ来てた。
可哀想 にな。日頃 の報 いや。
「まあ、よろし。ここに印刷したやつがあるよって、これでお読みやす」
しゃあない子ぉやわっていう毒の息を吐きかけつつ、蔦子 さんは自分の席の後ろにあったキッチンワゴンに置かれた、やたら沢山ある雑誌やら新聞やらの合間 にあった、ホチキス留 めの何枚かの紙ペラを取り出して、アキちゃんに渡 した。
アキちゃんはそれを受け取り、呆然 と記事タイトルを読んだ。
「ヨン様ファンクラブ通信Vol.1025……」
「あら。それ違うわ。間違えました、こっち」
なに読んどんねん蔦子 おばちゃま。ファンなんか、ペ・ヨンジュンの。
未だに冬ソナブーム続投中か。俺、80%ぐらいの力が今の瞬間で一気に抜けたわ。
アキちゃんも、どないしてコンセントレーションを保 とうかという必死の顔やった。
それで次に渡 されたのが、霊振会 通信Web版のプリントアウトしたやつやからな、アキちゃん的にヨン様通信よりマシかどうか謎 やった。
でもそれは、一応は仕事の話や。
今朝スマホで見た例の画面が、紙何枚かに分けて印刷されてあった。
美形 神父 や大崎 先生の顔もありゃあ、アキちゃん本人の盗撮 写真まで載 ってる。
やるなあ秋尾 さん、あの狐 。アキちゃんの写真を盗 み撮 りしてるやなんて。今度会 うたら、ちょっと文句言うとかなあかん。
「人魚 の話や。出てますやろ、真ん中らへんに」
蔦子 さんに教えられて、アキちゃんはページをめくった。須磨 で妙 な海洋生物が上がったっていう話や。最初に俺が見てたやつ。
亨 ちゃん、冴 えてるやん。そう思うやろ。
最初に車ん中でメルマガ見たときに、これが一番気になるニュースやってん。
絶対それは俺の才能や、外道 の勘 やねん。
アキちゃんかて、真面目 に読めばそれに気がついたかもしれへん。狂犬病 騒 ぎのときには、そのニュースが出始めた時から、それをずっと気にして追いかけてた。そういう勘 がちゃんと働 くんやから。
それでも霊振会 通信はアキちゃんにとって脱力系 すぎたんやろ。人魚 の話も、アキちゃんは顔をしかめて読んでいた。
浜 に打ち上げられてる、人なんか魚なんか、よう分からんような混ざった見た目の、半分腐 ってもうたような遺骸 の写真を、不愉快 そうに眺 めてた。
ともだちにシェアしよう!