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6-11 トオル
俺も行くわって、なんでか言いにくい。
赤毛を追おうかと、そう思ってたせいやろか。俺は何となく、立ち往生 してた。
「白蛇 さん、お暇 なんやったらな、大画面で『冬ソナ』観 たらええわ。ええでえ、ヨン様。何遍 観ても泣ける。それで退屈 やったら、信太 に言うて、どこか遊びに出かけたらよろし。うちらは夜まで戻らんかもしれまへんよって、よろしゅう頼 むえ、信太 」
そう念押 しして玄関 へ向かう蔦子 さんに、さっきは竜太郎 の子守りを命じられてた銀髪 眼鏡 が、いつの間にとってきたんか、着物の色とすっきり合 うてる青と灰白に桔梗 の絵柄の絹 のハンドバッグを渡してた。
「車のクーラー効 いてくるまで、お待ちになったらどうやろか」
眼鏡 に言われて、蔦子 さんはイライラ答えた。
「そうやね、玄関 で待ちます。なんやもう、気が急 いて、忙 しのうてしゃあない。ここで待ってる気がしまへんわ」
蔦子 さんはどうも、大阪で言うイラチやねん。家で待つんやったら、食堂でもええやん。なんで落ち着かん玄関で、今か今かと待つねん。せっかちで、変な人やで。
それを送っていくような形になってもうて、俺は女予言者と気まずく黙 ってせかせか歩いた。蔦子 さんの白足袋 が踏 む黒光りの床を、裸足 のこっちはぺたぺた歩く。
三和土 に降りて、靴 を引っかける俺を見て、蔦子 さんは、どこへ行くんやと訊 いた。
散歩 散歩 と、俺は誤魔化 した。
それに嫌 みのひとつも言われんのかなと思うたら、蔦子 おばちゃまは上がり框 に正座して、バッグから出した手鏡 を覗 き、口紅を直してた。
人食ったような、真っ赤な唇や。それが白肌に鮮 やかで、口元には泣きぼくろ。伏 し目に鏡を覗 く姿を見ると、俺の目にでも色っぽいオバチャンなんやで。
この人がこの家の女王様で、信太 がたぶんその一番の式神 なんやろ。その他の連中 って、いったいどういう関係になってんの。
いろいろあるんや、一口 に巫覡 と言うても。式神 の捌 き方は人それぞれやということやろか。
そんなら俺とアキちゃんにかて、何か方法あるんやないか。俺も納得 、アキちゃんも幸せで、それでいて式神 増やせるような方法論が。
それが何か、今んとこまだ全然まったく見当もつかへんのやけどな。
それでも何か考えへんかったら、アキちゃん可哀想 やろって、俺は思ってた。
竜太郎 みたいなチビにまで、ヘタレや言われて呆然 やったで。
強うなりたいと思うのが男の性 やろ。アキちゃんかて、内心の本音ではそう思うてるはずや。
ただ、俺には言えへんだけで。
そんな口には出せへん本音のところを、察 してやんのが相方 ってもんやろ。分かってるそれは、分かってるねんけどな。
それでも事が事やねん。水煙 が言うような事は、俺はしたくない。アキちゃんの時々の浮気 に目をつぶるなんて、そういう芸当 はできそうもない。
そう思って、何となく惨 めに歩く玄関先からの道筋 は、まだまだ暑い残暑の始まる夏の日射 しやった。
それでも京都に比べたら、断然 涼 しい。山からの風が吹いてる。
これが六甲卸 やなと、俺はしみじみとした。
神戸は山から海から風が吹くので、夏でも割と涼 しい街や。六甲山 には避暑地 があるし、昔から外人さんたちの保養地 として使われてたらしい。
冬は冬で、六甲卸 が寒いけど、それでも骨まで凍 るような、京都のイケズな寒さに比べたら、随分 マシやで。それもきっと、温かい海が隣 にあるせいやろ。
俺は神戸はけっこう好きやねん。美味いモンもあるし。ええ男も居るし。なにより景色 が綺麗 。
せやけど甲子園 球場 というのは来たことなかったな。
阪神に夢中 ですみたいな虎 キチも、俺は今年だけのにわかファンで、赤星 目当ての邪 さやったからな。
日本一なりそうやって言うから、急に愛 しくなってきてん。
そんな浅 はかな情熱 や。いっつも虎 を見つめてる訳やない。
勝っても負けても好きやっていうほどの、狂った情熱やないわ。薄情やねん、俺は結局。
せやけどお前はどうなん、て、俺は玄関先の小道を出たとこの車寄せに、銀色の車を停めて、なんでかわざわざ車の外におる赤毛の鳥を眺 めてた。
それが虎 の趣味なんか、こいつも今日は派手 派手 しい赤いアロハをお召 しになっていた。
白い千鳥 に青い波濤 の文様 の、かき氷始めましたみたいなやつやで。
お前、その服ぜったいキャラに合うてないから。ぼけっとしてて熱くもなんともないやんか。
ツレの趣味に合わせてんねん、深い意味はないねんみたいな。いかにもそんな感じやで。
しかもそれで首筋には、さんざん噛 まれたような赤い痕 つけて。お熱い。
それが何となく妬 けて、俺はじとっと暗い目やった。
羨 ましいねん、たぶん。俺よりいい目を見てそうな赤い鳥が。
そんな暗く湿気 った俺を、赤毛は車にもたれ、うっすら微笑 んで見てた。
その手にまだ火のついてない煙草 があって、確かめんでも多分、虎 が吸うてんのと同じ銘柄 やろ。どうせそういう奴やねん。
従順 で忠実 、何されても文句言わへん。
自分の男がご主人様の命令で、俺の面倒 見てやることになっても平然 で、それが不発 に終わったら、残念やったなって嫌 みでなく俺に言う。
そんな夜でも、虎 が腹減 った言うたら、私を食べてでお前は平気。
そんだけ好きやのに、今朝は今朝で、皆さんご覧 の朝飯中に、あんだけ長チューされといて、俺に勝ち誇 った顔のひとつも向けんと、ぼけっと草食うてられるお前が変や。
俺には理解ができへん。
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