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7-1 アキヒコ

 寛太(かんた)とかいう、赤毛の式神(しきがみ)の運転は、かなり大人(おとな)しかった。  ゆっくり加速(かそく)して、静かなブレーキを()む。決して黄色信号に突入(とつにゅう)したりしない。(きわ)めて安全運転で、(めい)ドライバーと言えた。  運転には、ハンドル(にぎ)ってるやつの性格が出るもんらしい。  そやから俺は赤毛を見直(みなお)した。  えらい派手(はで)格好(かっこう)して、(かみ)()()っかやし、初対面(しょたいめん)虎虎(とらとら)タイガースの応援(おうえん)ルックやったもんやから、どんなむかつく(やつ)かと思うてたんやけど、落ち着いて顔見たら大人しそうな(つら)してた。  時々バックミラー()しに目が合った。合ったような気がしただけかもしれへん。  ほんまやったら見えへんはずの、長い睫毛(まつげ)が重そうな目が、興味(きょうみ)ありげに(またた)いて、ミラーの中の俺を見上げているのが、なんでか見えるような気がしてた。  しんと静まりかえったような黒い目で、長い睫毛(まつげ)がけむるような、神秘的(しんぴてき)な目元をしてた。  何考えてんのか、さっぱり分からん。もしかしたら、何も考えてへんのやないかって、そんな印象(いんしょう)がする目や。  (とら)にキスされて泣いた、その時にだけ、得体(えたい)の知れん表情があった。  見てないつもりで、俺はそれを見てた。  野生(やせい)鹿(しか)かなんかが、猛獣(もうじゅう)に食われる時に(なみだ)を流す映像を、子供のころに見たことがある。こいつが泣くのを見て、それを思い出してた。  感情のないような無表情やのに、喉笛(のどぶえ)()まれて鹿(しか)は泣く。  食われてまうわって悲しいのかもしれへんけど、それはどうにも恍惚(こうこつ)とした目に見える。見開(みひら)かれて何も見てへん。それでも愉悦(ゆえつ)のような表情が浮かんでる。  見たらあかんもんを見た。俺はその時、その結論(けつろん)(たっ)した。これは危険なコース。急いで撤収(てっしゅう)せなあかん。  こぼれた(なみだ)(とら)に吸わせてる、それを平気で許す姿を見て、俺は淫蕩(いんとう)やと腹が立ってた。なんでか嫉妬(しっと)()いて。  昨日の夜、客間(きゃくま)に案内してきたときの()(ぎわ)、赤毛はじっと俺を見た。  なんや値踏(ねぶ)みされてるようやった。(とら)とこいつは、どっちがええやろって、そんな感じの比べる視線で。  それでもこいつは、未練(みれん)もなく去った。まあええわって、そんな無感動(むかんどう)さで。  その前の一瞬、ほんの一瞬やけど、明らかな欲情(よくじょう)めいた表情が、黒い冷たい目の奥に()いてた。  抱いてみるかって、そんな(さそ)うような目をして、こいつは俺を見たけど、気が変わったらしい。  (とら)の方がええわって、お前は思ったんやろ。  (あえ)ぐような声が、かすかに夜の静寂(しじま)に聞こえてた。自分たちの(から)み合う息の音に(まぎ)れて、それはちょっと、くうくう(はと)の鳴くような、切なそうな声やった。  ぼけっとしたこいつが、そんな声で鳴くなんて、それを思うとなんでか俺はつらい。  一瞬で値踏(ねぶ)みされ、一瞬で()られたような気がしてん。  そのオチが、今朝のタイガーとのお熱いキスシーンで、しかにも首には山ほどキスマークつけてる。  見せつけられてる。そんな気がした。  キスされながら、赤毛はじっと俺を見ていた。なんで見てたんか分からんのやけど、たぶん、ざまあみろという意味やないかな。  ()(ぎわ)欲情(よくじょう)した目で見られ、俺がぞくっとしたのを、こいつはちゃんと気がついてたんやろ。それで俺に、復讐(ふくしゅう)をすることにした。たぶん、連続ホームランの。  やっぱやめるわって()()なく立ち去って、(とら)とやってる声を俺に聞かせた。正直、胸苦(むなぐる)しかったわ。なんで俺はこんなに耳が良くなってもうたんやろかって、それを(うら)んだ。  その声を聞くと、火をつけられたようにめちゃめちゃ燃えた。俺のほうがすごい。そんな対抗意識(たいこういしき)で。  アホです。どうせ俺は。海道家(かいどうけ)餓鬼(がき)んちょに指摘(してき)されるまでもなく、俺はヘタレで、ものすごいアホ。それに面食(めんく)野郎(やろう)浮気者(うわきもの)(とおる)に殺されてもしゃあない。  見れば赤毛の男は仏教美術のような顔をしていた。ガンダーラ仏みたいな、アジア系の顔立ちやのに、()りも深くて、常にうっすらとアルカイックに微笑(ほほえ)んだような、有り難い感じのお顔立ち。  まあ、何というかやな、言うたらあかんとは思うが。美しい。  古い映画やけどな、『敦煌(とんこう)』ていう、昔の中国が舞台の作品があって、そこに絵を書くことに魅入(みい)られた男が出てくる。  戦争の後遺症(こうしょう)で足も悪くして、精神的にもちょっとおかしい。そいつが、もう戦火(せんか)(せま)ってきてて、逃げんと死ぬってなってんのに、自分が描いてる仏画(ぶつが)に必死で、仲間が逃げようと(はげ)しく(うった)えかけても、絵筆を(にぎ)って(はな)さへん。  なんか、そういう執念(しゅうねん)()き立てる美が、仏教美術にはあるらしい。  わかるような気がするわ、って、今回ちょっと学んだな。  学んだら、あかんかったかな。また、学んだらあかんことを学んでしもた。  どうしよ。俺が(ひま)になった(あかつき)に、仏教美術みたいな絵ばっかり描いてたら、それで(とおる)にバレてまうやろか。  バレバレやろな。そして、ぎったんぎったんになるんや、俺は。  そんなん、とっとと()いて、とっとと土下座(どげざ)しといたほうがええやろか。そのほうがいっそ、(いさぎよ)いかもしれへんで。  それでも俺はお前が好きや、許してくれって言うしかあらへん。  調子(ちょうし)いいこと言いやがってって、怒られるかもしれへんけど、でもそれが本音(ほんね)なんやもん。(うそ)やないねん。  これはもう、ヤバいから。俺をちらちら見るな、赤い鳥。

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