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7-4 アキヒコ

「ほんまにそれだけでええか。約束(やくそく)できるか」  どっちがビビらされてんのか、全くもって疑問(ぎもん)(おぼ)える声で、俺は念押(ねんお)ししてた。  竜太郎(りゅうたろう)はそれに、何度も(うなず)いていた。 「約束(やくそく)する。僕にはアキ(にい)が、初めてやねん。自分より力のある相手って。そんなの初めて。好きでたまらへん。僕のこと、嫌いにならんといて」  竜太郎(りゅうたろう)が泣きそうに見えて、俺は(はげ)しく(あせ)っていた。 「ならへん、絶対ならへんから。お前が好きやし、思い()めるな。ゲームでも何でもするし、水族館(すいぞくかん)で絵描くし、何でもするから、(たの)むし下手(へた)に思い()めんといてくれ。お前はまだ若いんやし、世の中広いんや。俺よりもっとお前にふさわしいのが見つかる。絶対大丈夫やからな、心配せんでええねん、竜太郎(りゅうたろう)」  必死すぎたからやろか。俺は自分の話にもショック受けてた。  なんでこの話、勝呂(すぐろ)(せま)られた時に思いつかへんかったんやろ。  そう言えばよかったんやないか、あの時。  それで納得(なっとく)してくれたかどうか、わからへんけど、それでも、俺があいつに実際に言うたことより数段、気が()いてる。  でも遅い。今さらすぎる。思いついてももう無駄(むだ)や。  勝呂(すぐろ)は死んでもうた。携帯の電話番号も、メールアドレスも、もう死んでるのかもしれへん。  ()ばたく手紙を出してみたところで、それを受け取れる(やつ)はいない。もう言うてやられへん。 「そうやろか……アキ(にい)。そんなもんなんか。でもアキ(にい)は、僕がまだ中一やから(いや)なんやろ。けど、僕かて十年したら、もう大人やで。二十三やもん。その時、アキ(にい)は、何歳なん?」 「三十一」  答える必要なかったな。あえなく話が()し返された。 「それならええやろ。ちょっと年の差あるけど、そんなん関係ないやろ。せやから、これについては、その時また協議(きょうぎ)のうえ再契約(さいけいやく)ということで、今後十年についてはお兄ちゃんてことでどうやろ」  竜太郎(りゅうたろう)真剣(しんけん)らしかった。 「えぇ……?」  俺はうめいてただけやった。  問題が先送りされただけやんか。しかも十年と期限を切られた時限式(じげんしき)。俺はその、十年間のストレスに耐えられるのか。  せやけど、俺には打算(ださん)があった。  竜太郎(りゅうたろう)が俺に執着(しゅうちゃく)するのは、まだまだ餓鬼(がき)やからやろ。きっとそのうち、もっと別のもっとええのが現れて、そっちにしよかって思い直してくれるかもしれへん。  なんせ十年もある。十年は長い。  放っておけば立ち消えて、なんもせんでも円満解決(えんまんかいけつ)に持って行ける可能性もある。  それで行こう、それで。それが無難やって、俺は全力で目の前の現実から逃走していた。  赤信号で静かに車が止まり、赤毛が振り向いた。 「先生、ちゃんと断らないと。俺、(たの)まれてるんや。先生がよろめきそうになったら、邪魔(じゃま)するように」  誰に(たの)まれたんやお前は。  誰なのか分かりすぎる。  よもやこいつが(とおる)のスパイとは、想像だにしてへんかったわ。  ついさっき、お前に()()えしてた俺が気の毒すぎる。  なんでチラチラ見るんやろって意識しすぎた。お前は俺を見張ってたんやな。そういうことやったんや。  別に気がある訳やなかった。どこまで俺を虚仮(こけ)にしてんねん。  ひどい。ひどいような気がする。羽根(はね)をむしって焼き鳥にして食うてやりたい。 「わかった、ちゃんと断る。変なことチクらんといてくれ」  俺が内心必死で言うと、赤毛はにこにこ(うなず)いて、はよ断れって待つ顔やった。 「竜太郎(りゅうたろう)、悪いけど、十年後でも二十年後でも無理やねん。俺はお前が子供やから断ってるんやない。俺にはもう永遠に、決まった相手がおるし、浮気はせえへん。せやからな、永遠にお兄ちゃんでええか」  俺の懇願(こんがん)に、竜太郎(りゅうたろう)は悲しい顔をした。  悲しい顔せんといてくれ。可哀想(かわいそう)になるから。  ごめんな、ほんまにごめん。堪忍(かんにん)してくれ。  ごめん、ごめん、ごめんやで、(たの)むから(こら)えて、キレんといてくれ。  俺はもう、二度とごめんや。勝呂(すぐろ)が死んだような、ああいうコースに入るのは。  (いの)る気持ちで待ってると、竜太郎(りゅうたろう)はうつむきがちに答えた。 「うん……お兄ちゃんでええわ」  泣くんやないか、子供やしと、俺は心配した。せやけど竜太郎(りゅうたろう)は泣きはしなかった。  (ひざ)の上に残る白い紙で、黙々(もくもく)()(づる)()った。そして、それをふわりと車中(しゃちゅう)の空間に(ただよ)わせた。  白い(つる)はひらひら羽ばたいて、俺の座るシートの(わき)に、ぽとんと落ち、俺の手の中に入った。 「それ、あげる……」  (せつ)なそうに、竜太郎(りゅうたろう)は目を合わせず教えてきた。  それも()らんて断るのは、ちょっとどうかと。 「ありがとう。もらっとくわ」  作り笑顔で、俺はその折り(づる)を受け取った。  竜太郎(りゅうたろう)は、こくりと(うなず)いたけど、やっぱり目は合わせへんかった。  また走り出していた車の運転席で、赤毛がくすりと(しの)び笑いする声がした。  何が可笑(おか)しいねん。  どうにも気まずく、俺は(だま)って窓の外を(なが)めた。  あるいは、サイドミラーに映る赤い鳥を。  (かがみ)に映る顔は、見たまんまと同じ、人間のような顔やった。  美しい、素知(そし)らぬような、それでいて、じっと見つめてくる、夜の水盆(すいぼん)のような目。  (とおる)(たの)まれて俺の監視(かんし)をするということは、こいつは全く俺に気がない。それでいいです。なのにどうして、俺は(せつ)ないんやろ。  たぶん、きっと、自意識(じいしき)過剰(かじょう)変態(へんたい)やからやろ。そうとしか思いようがない。めちゃめちゃ()ずかしい。 「もうすぐ六甲(ろっこう)です」  交差点(こうさてん)右折(うせつ)待ちをするウィンカーを出し、赤毛は教えてきた。  そして、助手席(じょしゅせき)蔦子(つたこ)さんに、(おだ)やかな声で言った。 「蔦子(つたこ)(ねえ)さん、寝た()りすんのはやめて、起きてください。もうすぐ着くし」  そんな気まずい鳥やった。  蔦子(つたこ)さんは、気絶(きぜつ)から()めたみたいに、はっとシートから飛び起きた。

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