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7-5 アキヒコ
「なんや……なんやろ、急に気が遠くなってきて、気がついたら寝てましたわ」
青い顔してそういう蔦子 さんには、現実逃避の癖 がある。
その姿を見て、俺は蔦子 さんに自分と血縁 があることを、しみじみと実感した。
俺も鍛 えたら、ほんまに気絶 するようになるんや。
鍛 えるべきかどうか、悩 むところや。
気絶 してる間に、何かとんでもない事態 になっている可能性もあるし、怖くても意識を保 ってたほうがええんやないか、蔦子 さん。
頑張 らないと、お互 いに。気絶 したいような事は多々 あるけども。頑張 って乗り越えていかんと。
「ああ、もう、嫌 やわ……ウチの悪い癖 。時々あるんえ。坊 のお父さんが戦死しはった時も、ウチ、ショックでなあ。三年も寝てたんや」
三年 寝太郎 。
よく生きてられたな、蔦子 さん。
今のおとん見たら、またショックで三年寝るで。
見せたろか、亨 が作ってる、うちの両親のコスプレ写真集。
俺でも気絶 しそうやのに、三年も気絶 してたことある人が見たら、体に毒 やで。
それは、ちょうどいい復讐 やと、俺は気がついた。家帰れたら、蔦子 さんに送りつけよう。あの、始末に負えん写真集。
お世話になりました、みたいなな。そういう感じで熨斗 つけて。
ふっふっふ。って、俺はそんな暗い凶暴性 に浸 ってた。
なんで俺がこんな目に遭 わなあかんねん。
多情 らしい、顔の綺麗 な男が好きらしい俺を、寄ってたかって翻弄 しやがって。
水煙 といい、赤い鳥といい、竜太郎 といい、亨 もそうや。ひどい話や。
それにこれから会う神父 は女顔 の美形 ときてる。俺の正常な人格が崩 れ落ちる日もそう遠 からずかもしれへんで。
せやけど今日は平気なつもり。予行演習 はしてきたつもり。
写真でその神父 の顔を事前 に顔見てるし、イメージトレーニングはしてきた。
危険コースを避 けるため、最も危険レベルの高いはずの、顔面 周辺 を見ないようにすればええんや。そして亨 のことを常に念頭 におけば楽勝 や。
平常心 。それさえ保 てれば、恐れることはない。
平気やって、俺は自分に言い聞かせてた。
車は滑 るように、白い教会 の駐車場 に入り、時には結婚式もしてるという、その厳 かな中にも華 のある建物の前で、俺たちを降ろした。
面会 は、約束 されたものやったらしい。前の夜のうちに、蔦子 さんがアポイントを入れさせていた。
せやのに、美形 神父 は不在 やった。何か緊急 の用事ができたとのことで、出かけてもうてて居 らんねん。
なんて失礼なやつやと、俺は唖然 とし、蔦子 さんは無駄足 に憮然 としてた。
じきに戻ると思いますと、同僚 らしい神父 さんが詫 びてくれた。
黒い祭服 を着て、襟 には白い帯 のようなカラーを巻いている。
神父 て言うから、どんな偉 そうな人とか、後光 のさすような人が出てきはるんかと身構 えてたら、案外気さくな人で、人あたりも優しかった。大学の学生課に居 るおっちゃんと大差 ない。
この人を責 めたら罰 当たるって思えるような、柔和 な感じ。
それに毒気 を抜かれて、ずらりと並 ぶ木製のベンチの一番後ろの列に腰掛け、俺たちは美形 神父 の帰りを待つことにした。
竜太郎 はぶらぶらと足を揺 らし、退屈 そうにして、いかにも居心地 が悪そうやった。
教会の礼拝堂 の中は、輝 くステンドガラス越 しに射 す光が荘厳 で、綺麗 やったけど、どうも静謐 すぎた。
一番奥の正面 にある祭壇 の十字架 も、神聖な感じがしたし、とにかくここは聖域 や。
聖域 やと信じて通 っている人らがいてはるからやろう。
場違 いなところに来てしもたって、そういう気分。
これでもかと穢 れまくっている俺が、こんなとこ座っててええんか。怒られるんとちゃうか、ここの神さんに。
どういう神か、実はよく知らんのやけど。禁欲 を美徳 としてる事くらいは何となく知ってる。
禁欲 という言葉は、最近になって、俺の辞書 から消えた。
それは、試 みたりはしても、実際には不可能なことを示す言葉や。
欲しいもんがあったら即買 いしてまうし、亨 が、アキちゃん好きやってしなだれかかってくると、それを振 り払うのに難儀 する。
昼となく夜となく、組んずほぐれつでいながら、それだけでは飽きたらず、他にもよろめこうというんやから。この建物に足を踏 み入れる資格 のない男やで、俺は。
最近、特にちょっと慎 みがない。反省せなあかんわって、俺がそう悔 やんだ傍 から、隣 にいた赤毛が、突然 俺の手を握 ってきた。
「なにすんねんお前……」
蒼白 な顔で、俺は真顔 の赤い鳥に訊 ねた。
「出ましょう、先生だけでええから」
そう言い渡 されて、俺は予想を超えて力強い赤毛の男の白い手に、木製のベンチの中程 から、情 け容赦 なく引きずり出されてた。
あんぐりとして、その姿を、蔦子 さんと竜太郎 が並 んで見ていた。
「やめてくれ、どこ連れていくんや」
振 り払えもしないし、ついていかへんかったら腕 を抜かれる。そんな強さで腕 を引き、赤毛は聖堂 から出ていった。
走る足取りは、駐車場 に向かってる。
車に乗る気か。俺をどこへ拉致 するつもりや。これ以上まだ俺になんかする気か。
「抵抗 せんと、俺といっしょに来てくれ」
真面目な顔して、赤毛は言った。
そして車のドアをキーのリモコンで開き、開いた助手席 のほうに、俺を投げ込んだ。
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