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7-6 アキヒコ
「来てくれって、どこへ」
「わからへん。どこか遠くへ。追ってこられへんぐらい」
か、駆 け落 ち?
シートベルト締 めてエンジンかけてる赤毛を、俺はちょっと震 えながら見てた。
読めへん。こいつの行動の意味が、ぜんぜん読まれへん。
来るときの、穏 やかな運転が嘘 やったみたいに、赤毛は激しくタイヤを鳴らす運転で、車を急発進させた。それでも何てことないような無表情やった。
聖堂 から驚 いた顔の蔦子 さんと竜太郎 が出てくるのが見えたけど、赤毛はブレーキを踏 む気配 もなかった。
制限速度は目安 やからという虎 の話を、俺が思い出すような運転で、赤毛は西へ車を走らせた。
逃避行 ルートに選ばれた幹線 道路 には、もちろん沢山の車が走ってて、誰も追ってくる気配 はないのに、ひとりカーチェイスするような走り方をする俺らの車に、あちこちからつんざくようなクラクションが鳴った。
それも全く気にならない。ぜんぜん平気という顔で、赤毛はさらにアクセルを踏 み込む。
それにどこかでサイレンが鳴った。たぶん、お巡 りさんの白バイの。
一応聞きたいんやけど、お前、免許 持ってるよな?
制限速度、何キロオーバーやねん。そして、まさか、無免許 ?
それはないよな。いくら何でも。
せやけど亨 は免許 持ってないで。だいたい外道 が教習所 通 うなんて変やろ。
それとも変ではないのか、神戸 では。こいつもちゃんと縦列駐車 とか坂道発進 とかクリアして免許 取ってんのかな。鳥やのに。
俺は怖すぎて訊 けず、助手席 で顔を覆 ってた。
そういえば俺、シートベルトしてへんわ。忘れてた。
もしかして、免停 ということもありうる。同乗者 にも適応 されるんやから。
「来た……」
赤毛がぽつりと呟 く声がした。
それに被 さる、よりいっそうデカい音で、二台の白バイのサイレンが肉薄 してきていた。
確かに来たわ、運転上手いなあ、さすがプロ。この暴走車 にあっというまに追いついてくるやなんて。逃げ切れると思うほうが間違ってるんや。
これでもう、一巻 の終わりな予感。
俺を虚仮 にするだけでは飽 きたらず、こいつは無事故 無違反 の免許証 まで俺から取り上げようというんやな。
綺麗 な顔して、虎 よりよっぽど凶暴 やった。
そういや亨 もそうやし、勝呂 もそうやったな。顔綺麗 でも、外道 はみんなえげつない。
そう結論した俺の視界いっぱいに、目のくらむような光が溢 れた。
両手で顔を覆 ってても、眩 しいような光やった。
それが弾 けるように爆発して、どすんと何か重いもんが、ボンネットの上に落ちてきたのが分かった。車の揺 れで。
ビビったらしい赤い鳥が、急ブレーキを踏 んだ。
車は激 しくスピンしてから、唐突 に止まった。
死ぬ。
確かにシートベルトせなあかんわ。死ねるもん、あとちょっと激しいスピンやったら、阪神高速の橋脚 に激突 してた。
車の外に放り出されてたやろ。神戸港に向けて、でかいトラックの走る対向車線のほうへ。
奇跡 や。無事 に止まるなんて。俺が止めたんか。それとも鳥がやったんか。
車の中も外も、白い光に包まれていた。そして、未 だかつて嗅 いだことないような、甘い芳香 にも包まれた。
とっさの無意識みたいに、赤毛は俺の腕を掴 んできた。俺が生きてるかを確かめたんか、それとも今さら怖かったんか。
俺を力づくで拉致 ってカーチェイスさせたくせに、何やその弱々しいような手は。もう騙 されへん。綺麗 な顔なんかに、もう騙 されへんで。
そう決意して、自分の顔を覆 った手をどけた俺は、唖然 と思考停止した。
ボンネットの上に人がいた。
そいつは、たった今上から落ちてきたばかりのような四 つん這 いで、くらりと来たんか頭を振 って、それから俺を見た。
可愛 いような童顔 やった。
ちょっと天然で巻いてる明るい色の髪が、耳にかかる長さで。黒い革のパンツをはいてる。
さすがに暑いんか、毛皮のフードついてた上着は脱 いでた。その下に着てたらしい長袖のTシャツの胸に、エロく絡 み合う二体の骸骨 の銅板画 のような絵が印刷されてて、FUCK ME(私を犯 して)って書いてあったわ。
そんなもん着てたんか、お前は。あの上着の下に。
俺に告 るんが死ぬほど恥 ずかしいて言うてた奥手 なお前が、なんでそれは恥 ずかしないんや。
お前の羞恥心 のオン・オフが、俺には結局 、よくわからへん。勝呂 。
四 つん這 いのまま、ボンネットの上からガラス越 しに、勝呂 瑞希 は俺をじっと見つめた。
食い入るような目やった。勝呂 やと思う。だって同じ顔に、同じ姿やし、大阪の夜に死んだ時と、ほぼ同じ格好 してる。
間違いなく本人やと思える証拠 に、そいつが着てるTシャツの腹には、剣で突かれたような穴が空いてた。それは水煙 が突き刺さった傷に違いない。
こいつは、そうすれば俺の傍 に永遠に居 れると水煙 に口説 かれて、迷わず身を投げた。自分を殺す刀身 に。
その剣を握っていたのは俺の手やった。せやからな、こいつを殺したのは俺なんかもしれへん。
俺は、俺のことを死ぬほど好きやという勝呂 を、ほんまに殺した。
俺はずっとそれが、つらくて仕方なかった。
ほんまのこと言うたら、何度もお前を夢に見たわ。
お前が死んだ、早く忘れたいような、最後の時のことを。
生きてたんか。
俺は一瞬、呆然 とそう思ったけども、勝呂 は生きてはいなかった。もろに死んでた。
頭の上にはいかにも死んだっていう、光る輪っかがついてたし、背中には鳥みたいな、でかい翼 が一対 ついてた。
まるで天使 みたいにな。
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