66 / 928

7-8 アキヒコ

 激しく橋脚(きょうきゃく)に激突するはずやった車は、むにゃんと(やわ)らかく、ゴムか蒟蒻(こんにゃく)にでもぶち当たってもうたみたいに、やんわりと()(かえ)されて車線に戻り、そして、漫画(まんが)みたいに、バラバラっと(くず)れた。  この車が大破(たいは)するという運命までは、変えられなかったんやろ。  それでも、車と共に大破(たいは)するはずやった俺の肉体のほうは、(すく)われた。痛いのは、赤毛に(ひね)られた首だけやった。  あまりの出来事に硬直(こうちょく)してもうたんか、赤毛はあんぐりして、(ひざ)に抱いてた俺をさらにきつく抱きしめた。  (うれ)しくない。もう。でも、ちょっと気持ちいい。  そんな正直すぎる無事(ぶじ)だった体を、俺が泣きながら実感してると、ものすごいサイレンの音が()けつけてきた。 「大丈夫か、怪我(けが)しとうか」  血相(けっそう)変えた神戸弁の白バイお(まわ)りさんは、まずそんな優しい事を言うてくれた。アホか死んで来いて言われても、ぜんぜん不思議ではなかったんやけどな。 「免許(めんきょ)見せなさい」  どう見ても無事(ぶじ)らしい俺と赤毛のことを、不気味(ぶきみ)やという目で見ながら、お(まわ)りさんはそう求めた。  赤毛は俺を(ひざ)に抱いたまま、ごそごそとパンツのポケットを探り、免許証(めんきょしょう)を差し出した。  持ってた、免許(めんきょ)。びっくりやったで。 「海道(かいどう)寛太(かんた)二十歳(はたち)?」  写真と見比べられながら(たず)ねられ、赤毛はこくこくと(うなず)いてた。 「救急車呼ぶから、まず病院へ。それから事情聴取(じじょうちょうしゅ)があるから、わかったね」  それには寛太(かんた)は顔をしかめた。たぶん、病院がまずかったんやろ。  せやけど逃げようもないやんか、車は鉄くず、相手はお(まわ)りさんやで。よもや一年に三回も、警察のお世話になるとはな。俺もつくづく悪い子なったわ。  もうどうにでもしてくれって、俺がぐったりしたところに、キイッとタイヤを鳴らして、一台のグレーの車が横付けしてきた。バタンとドアの開く音がして、血相(けっそう)変えたような蔦子(つたこ)さんの声がした。 「寛太(かんた)! 怪我(けが)してへんか!」  俺は、蔦子(つたこ)さん。俺は死んでてもええんか。  (すそ)(みだ)して鉄くずの中に()け寄ってきた蔦子(つたこ)さんは、ほんまに心配そうに寛太(かんた)の顔を両手で(つつ)んだ。 「怪我(けが)してへん。本間(ほんま)先生が、なんとかしてくれた」  にこにこ笑うて、鳥はやはり、けろっとしてた。 「ああ、そうなんか。どうもおおきに、(ぼん)。この子はほんまに大事な子なんや」  俺の手を(にぎ)って、蔦子(つたこ)さんは涙ながらに感謝(かんしゃ)してくれた。赤毛はそれにも、ぼけっとしていた。 「連れて帰ります」  ぽかんと見てた白バイのお(まわ)りさんに、蔦子(つたこ)さんは断言した。  いやいや、それは無理やから。常識的に考えて、こんな事故起こして、ほな帰りますわって訳にはいかへん。  しかし海道(かいどう)蔦子(つたこ)辞書(じしょ)に常識の文字はない。それはたぶん秋津(あきつ)血筋(ちすじ)や。  ますます、ぽかんとしてもうてるお(まわ)りさん二人に、ご苦労さんどすと挨拶(あいさつ)をして、蔦子(つたこ)さんは俺と赤毛を立たせ、横付けした車に乗りうつらせようとした。 「ちょ……ちょっと、待ってください、奥さん」  我に返って(あわ)てたお(まわ)りさんは、手を宙に浮かせて、声を上ずらせてた。  蔦子(つたこ)さんはそれを、()り返りもせずに、寛太(かんた)を後部座席に押し込むと、俺にも乗れと(うなが)した。  車内には、後部座席の奥に青い顔した竜太郎(りゅうたろう)がいて、そして運転席には、初めて見る顔が乗っていた。  厳密(げんみつ)には、初めてやない。写真を見たことがある。  例の神父(しんぷ)やった。金髪(きんぱつ)で、碧眼(へきがん)の。  ここに来る前に教会(きょうかい)で見た、人の良さそうな神父(しんぷ)と同じ、黒い祭服(さいふく)を着て、(えり)には白いカラーをしてたけど、何とはなしに、冷たい感じのする人物やった。  (あわ)いブルーの目で、神父はじっと俺を見てから、運転席のドアを開けて、車道に降り立った。  そして突然にこやかになり、呆然(ぼうぜん)としてるお(まわ)りさんの片方に、名刺(めいし)のようなもんを差し出した。 「私はこういう者です。どなたか他に事故に巻き込まれて、怪我(けが)をされた方はおいででしょうか。私には治療(ちゆ)心得(こころえ)があります。必要のある方がおいででしたら、治します」  すらすら(りゅう)ちょうな日本語で、金髪の神父(しんぷ)(しゃべ)ってた。  微笑(ほほえ)む目に力があるようで、それで見つめられたお(まわ)りさんたちは、いやあ、特に怪我人(けがにん)はいません。不幸中の(さいわ)いでした。と、頭を()きつつ話した。 「それは、きっと、神のご加護(かご)があったのでしょう。ついでですので、道も片付けていきます。ご迷惑(めいわく)をおかけしまして、申し訳ありませんでした」  小さく頭を下げて見せて、それから神父は道に散乱(さんらん)した、元は車やった部品の数々(かずかず)(なが)めた。 「いと高き神の御名(みな)において(めい)ずる、消えよ」  誰にも聞こえないような、(ささや)く小声で、神父の口がそう言うのが、俺には聞こえた。そして道に散らばっていた鉄くずが、ふっと()き消えるのを見た。  後には何も残されてはいなかった。急ブレーキをかけたタイヤの跡さえ、残っていない。  ただひとつ、車についてたナンバープレートを(のぞ)いて。  神父はそれを(ひろ)いにいって、板に書かれた数字を面白そうに(なが)めてから、蔦子(つたこ)さんに返してやっていた。  それから歩いて戻り、にこやかにお(まわ)りさんと顔を見合わせて、優しく(つぶや)いた。 「もう帰ってよろしい」  そう言われて、お(まわ)りさん達は、どことなく、ぼんやりと幻惑(げんわく)されたような目つきでいた。  そのまま何も答えず、白バイに(またが)ってエンジンをかけて、二人は去っていってもうた。  俺はその光景(こうけい)呆然(ぼうぜん)としてた。  お前は、ジェダイ騎士(ナイツ)か。理力(フォース)が使えるんか。  映画「スター・ウォーズ」の世界を()でいってる。  どんなんしたらできるんやろ。そんなこと現実に可能なんやったら、俺もしたいわ。

ともだちにシェアしよう!