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8-1 トオル
「寛太 !」
もどかしげに靴 を振 り捨 てて、海道家 の玄関 に突入 していく虎 を、俺はなんとなく唖然 として見てた。
話はちょっと前に遡 る。
俺と信太 は、出かけてた。そして出先で信太 の携帯が鳴って、出たら蔦子 さんやった。
鳥が車で事故 ったと聞いて、虎 は血相 を変えた。ぞーっと全身の血が引いたような顔やった。
それまでニヤニヤしてたんで、目の前で見た変容 は、俺までぞーっとさせた。
信太 はそのまま車を飛ばして、携帯で蔦子 さんと話し、海道家 で落ち合うように命令された。
全員無事やから、心配おへんと言われたようやけど、信太 は真っ青な顔をしてて、自分のほうが事故 って死にそうな運転をしてた。
事故 った現場があるはずの、阪神高速 のかかる幹線道路 を、制限速度を優 に超す猛 スピードでぶっとばし、虎 は帰宅した。
そして玄関に駆 け込み、居間 に座っていた面々 が、のんきに麦茶をしばいてるのを見て、蔦子 さんの隣 にいた鳥に怒鳴 った。
「寛太 、このアホが! いっつも言うてるやろ、安全運転しろって!」
お前の口で、それ言うかと、たぶんその場にいる何人かが確実に思うてた。
そんな顔して睨 む蔦子 さんを無視して、信太 は胡座 かいて座ってる赤毛の前に、片膝 ついて顔を覗 き込み、壊れてへんか確かめるみたいに、両手で頬 を包 んだ。
「なんで事故 ったんや」
麦茶を飲みかけていた赤毛は、そのままのポーズで固まっていた。
「天使が、落ちてきてん。車の上に」
「はぁ?」
ものすご非難がましい声で聞き返し、信太 は盛大 に顔をしかめた。
赤毛はそれに、ちょっと困ったような顔をした。
「ほんまやで、兄貴 。走ってたらな、白く光って、天使が落ちてきたんや、ボンネットの上に。それで驚 いてしもて、思わずブレーキ踏 んだら、事故 ってもうてん」
アキちゃんどこやって、俺が心配して見ると、アキちゃんはその話を聞きながら、話してる二人からは目を背 けてた。そしてものすごく、不機嫌 な顔して、自分の首を押さえてる。
俺はこっそりと忍 び足 で、アキちゃんの隣 に行った。
「平気か、アキちゃん。怪我 してないか」
「事故 ではしてへん。お前、どこ行ってたんや。虎 と」
最後に付け加えられた一言に、怨念 を感じた。
それで俺は、思わず、くすんと鼻をすすって、なんて答えようかなあって、思いめぐらしてた。うまい言い方を。
「飯 食いに行っててん。中華街 に」
「そら、えらい遠くまで行ってたんやなあ。二人っきりで」
こっちを見ないで返事する、アキちゃんの京都弁のイケズさが、最大出力で炸裂 してた。俺は気まずくて、うふっ、て笑った。ちょっと泣き笑いやったな。情 けのうて。
誤魔化 しようがない。確かに二人で出てた。
アキちゃんらが戻る前に帰れば、まあええやろみたいな気で出かけたんやけど、まさか事故 るとは。
俺は冷えた肝 を温め直そうと思って、アキちゃんの手を握 ろうとした。せやけどアキちゃんは、一度は掴 ませた俺の手から、やんわりと逃 れた。麦茶飲むふりをして。
「お前が飯 食ってる間に、俺は死にかけてたんやで」
やっぱり喉 渇 いたわけやない、俺の手を振り払ったんやと思える口調で、アキちゃんは苦々 しく教えた。
まったくその通りで、俺は頷 いただけやった。なんと返事したもんか、ちっとも思いつかず、ただうつむいて座ってるしかない。
「天使って、なに?」
何から突っ込んでいけばええんやろって、アキちゃんの腹を探りつつ、俺は小声で訊 ねた。
「勝呂 瑞希 や」
アキちゃんは真面目 な難しい顔で、茶を飲みつつ、俺にそう教えた。
その目はやっと、鳥を問いつめる信太 の方を向いていた。
俺は一瞬、ぽかーんとした。あんぐり口あけて、ものも言わん俺を横目に流し見てから、アキちゃんはもう一度言うた。
「勝呂 や。生きててん。いや、生きてはおらんけど、とにかく現 れた」
「化 けて出たんか」
「そうかもしれへん」
険 しい顔で、さらりと言われて、がっくり激 しい疲れみたいなもんが、俺の全身に落ちてきた。
そんなアホな。あいつはもう居 らん。大阪で死んだ。
俺とアキちゃんの前に、もう二度と現れへんのやと思ってた。現れんでくれと、願ってたというか。
それがまた、現れたんや。俺が虎 と、飯 食いに行ってる間に。アキちゃんの前に。
「ど……どしたん、それで。どうなったんや」
「せやから言うてるやろ、あいつが。事故 ったんや」
顎 で赤毛を指して、アキちゃんは忌々 しそうに言うた。
寛太 はまだ、信太 に顔を掴 まれて、問いつめられていた。
信太 はまだ、怒ったような面 してた。
そいつを怒っても、しゃあないやん。何も悪くないんとちがうか。俺の胸にはそういう同情が湧 いていた。
それでも信太 はお構 いなしや。
「なんで天使なんか来たんや。いや、その前に、なんで蔦子 さんほったらかして、お前と本間 先生だけ車で爆走 やったんや?」
「それは。頼 まれたから……」
何をや。誰に頼 まれたんやと、信太 は強く問いつめた。
それに赤毛は、悲しそうな顔をした。怒られてるというのが、つらいみたいやった。
「頼 まれたんや。蛇 に。本間 先生が、神父 と浮気 せんように見張れって。それから、他にも顔の綺麗 なのが居 ったら、百メートル以内に入らせるなって。せやから、逃げなあかんと思って」
「何から!」
「せやから天使から」
情 けないような泣き言の口調で、寛太 は怒鳴 る虎 に答えてた。
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