69 / 928

8-2 トオル

「茶を置け、お前は。わかってんのか、死ぬとこやったんやぞ」  まだ寛太(かんた)が持ったままやった麦茶のガラス()をとりあげて、信太(しんた)はそれをがつんと乱暴に(ゆか)茶托(ちゃたく)に戻した。ばしゃっと中身が(あふ)れたけども、それを気にする気配はなかった。 「死なへんやろ……だって不死鳥(ふしょちょう)なんやから」  (ほほ)(つつ)んでた手から(のが)れて、寛太(かんた)はうつむいて目を()らそうとした。その(あご)を乱暴にまた上げさせて、信太(しんた)はじろっと赤毛を(にら)み付けた。 「死ぬ! お前は死んでまうと思うわ」  そう言われて、赤毛の目は一瞬泳いだ。信太(しんた)はそれを見て、つらいという顔をした。 「一体この世の何人が、不死鳥(ふしちょう)は本当に()るって信じとうのや? お前がそうなんやって、誰が知っとう。知らんやろ? お前は神の鳥かもしれへんけど、まだ誰もそれを知らん。お前を(あが)めてる奴はいないんや。だからな、死ぬ時は死ぬんやで。消えてもうて、それっきりなんや。もう神戸はな、不死鳥(ふしちょう)なんか忘れた」  わなわな教えて、信太(しんた)は赤毛を(はな)してやり、(ゆか)胡座(あぐら)かいて座り込んで、(とら)みたいな金髪まだらの頭を()きむしるように(かか)えた。 「それやったら……俺は何?」  急に不安そうになって、寛太(かんた)(まゆ)()せてた。  その顔を見ず、(とら)(さけ)ぶ口調やった。 「お前は、ただの鳥や! 神様なんかな、ぼけっと生きてて、タダでなれるか! お前がもっと頑張(がんば)らへんから悪いんや!」  信太(しんた)にどやされて、しょんぼりと項垂(うなだ)れた寛太(かんた)の顔は、長めの髪に(かく)されてしもて、俺のところからは見えんようになっていた。  ()まんことをしたと、俺は思った。  俺の(たの)みを聞いたばっかりに、あのアホは怒鳴(どな)られる羽目(はめ)に。 「蔦子(つたこ)さん、こいつにもう運転させたらあかんわ。蔦子(つたこ)さんと一緒(いっしょ)やから、平気やと思ったのに。なんでひとりで行かせたりするんや。あかんやろ、こいつアホなんやから、誰かついといてやらなあかんねん」  八つ当たりやないかと思えるようなことを、信太(しんた)蔦子(つたこ)さんにぼやいた。もう寛太(かんた)と話す気はないようやった。 「そんなん、あんたに言われへんでも分かってます。咄嗟(とっさ)のことで、どうにもできへんかったんどす。それにどうせ免停(めんてい)や。当分、車には(さわ)らせへん」  気まずそうに、蔦子(つたこ)さんは答えてた。 「俺が行くって言うたやないですか」  なおも愚痴(ぐち)(とら)を、蔦子(つたこ)さんはむっと(にら)み付けた。  それには反省したんか、信太(しんた)はがっくり項垂(うなだ)れていた。  お前ちょっと今、格好(かっこう)悪いで。必死やな信太(しんた)。 「可愛(かわい)可愛(かわい)いでは成長しまへんやろ。この子にもたまには仕事させなあきません。ウチの(しき)なんやから、経験()ませて育てなあきまへんのや。不死鳥(ふしちょう)やのうてもよろしおす、何かの役には立つようになりますやろ」  つんと横顔を見せて、蔦子(つたこ)さんは信太(しんた)(とが)める口調やった。  俺はジトっと信太(しんた)を見てた。お前こいつを、可愛(かわい)可愛(かわい)いなんか。  聞いた話と、だいぶ(ちが)うやんかと、俺は思った。  信太(しんた)は、ぐっと(こら)えるような目を閉じて、蔦子(つたこ)さんに口答えをした。 「いいや、お言葉ですけど、こいつは不死鳥(ふしちょう)や。それを誰も信じてやらんで、どうやって神になれるんですか」  信念(しんねん)めいて、その言葉は(ひび)いた。  そして、話はさらに(さかのぼ)る。  アキちゃん達が出かけてもうた後、俺は手持ちぶさたやった。  行くとこないし、することもない。  客間(きゃくま)に戻ると水煙(すいえん)がおるし、それは俺にはけったくそ悪い。なんで俺があの恋敵(こいがたき)と、部屋で二人っきりにならなあかんねん。  それでやむなく、居間(いま)の大画面の前にいた。  退屈(たいくつ)やったら『冬ソナ』見ろって、蔦子(つたこ)さんに言われてもうたんで、その言葉に効力(こうりょく)があったらしい。なぜかヨン様見なあかんような気がしてもうて、信太(しんた)(たの)んで見せてもろたんや。  しかし何で俺が、こんなくっさいメロドラマ()なあかんねん。ほんまにもう腹立つわと思いつつやったんやけど、()るとけっこうこれが面白い。  畜生(ちくしょう)、何を()せんねん、蔦子(つたこ)さん。俺までハマってもうたら、どうするつもりや。一緒に韓国(かんこく)行ってくれんのか。アキちゃん絶対行ってくれへんわ。  そんなことになりそうな予感もして、くよくよ(かたむ)いてテレビ()てる俺の横で、信太(しんた)は足投げ出して座り、面白そうに俺を見ていた。 「おもろいか、白蛇(しろへび)ちゃん。俺には全然わからんのやけど。何がええの、こんなくっさい男」  煙草(たばこ)吸いつつ、半笑(はんわら)いの(とら)を、俺は悲しく(にら)んだ。  お前もそうか、そういうタイプか。愛を(ささや)くタイプではないか。アキちゃんと同系統(どうけいとう)。  ()った魚に(えさ)はやらない。そういう男なんかと、俺は(うら)んだ。何の関係もないとばっちりの憎さで。  ほんまのこと言えば、アキちゃんは別に、(やさ)しくない訳でも、つれない訳でもない。  (やさ)しい時は(やさ)しいし、甘い時は甘い。ただそれが、二十四時間ずっとやないだけ。ほんで、ちょっとばかし、()()なだけやねん。  家で二人っきりの時は甘い。ちょっと酔うたら、ほろ酔い気分の(いきお)いに(まか)せて、俺の手にちゅうちゅうして、お前は可愛(かわい)いって言うたりするわ。  ただそれを、素面(しらふ)で外でではできへんていうだけ。  それが嫌やっていうのは、俺の()(まま)。もっとしてくれっていうのも、ただの貪欲(どんよく)やねん。  分かってるけど、しゃあない。だって欲しいんやもん。 「蔦子(つたこ)さんなんてなあ、これ、いつも泣きながら()とうで。よっぽど好きなんやろなあ」 「蔦子(つたこ)さん、旦那(だんな)とうまくいってないのか」  苦笑(にがわら)いして、俺は(たず)ねた。  信太(しんた)は上を見て、思い出すような顔をした。

ともだちにシェアしよう!