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8-2 トオル
「茶を置け、お前は。わかってんのか、死ぬとこやったんやぞ」
まだ寛太 が持ったままやった麦茶のガラス器 をとりあげて、信太 はそれをがつんと乱暴に床 の茶托 に戻した。ばしゃっと中身が溢 れたけども、それを気にする気配はなかった。
「死なへんやろ……だって不死鳥 なんやから」
頬 を包 んでた手から逃 れて、寛太 はうつむいて目を逸 らそうとした。その顎 を乱暴にまた上げさせて、信太 はじろっと赤毛を睨 み付けた。
「死ぬ! お前は死んでまうと思うわ」
そう言われて、赤毛の目は一瞬泳いだ。信太 はそれを見て、つらいという顔をした。
「一体この世の何人が、不死鳥 は本当に居 るって信じとうのや? お前がそうなんやって、誰が知っとう。知らんやろ? お前は神の鳥かもしれへんけど、まだ誰もそれを知らん。お前を崇 めてる奴はいないんや。だからな、死ぬ時は死ぬんやで。消えてもうて、それっきりなんや。もう神戸はな、不死鳥 なんか忘れた」
わなわな教えて、信太 は赤毛を放 してやり、床 に胡座 かいて座り込んで、虎 みたいな金髪まだらの頭を掻 きむしるように抱 えた。
「それやったら……俺は何?」
急に不安そうになって、寛太 は眉 を寄 せてた。
その顔を見ず、虎 は叫 ぶ口調やった。
「お前は、ただの鳥や! 神様なんかな、ぼけっと生きてて、タダでなれるか! お前がもっと頑張 らへんから悪いんや!」
信太 にどやされて、しょんぼりと項垂 れた寛太 の顔は、長めの髪に隠 されてしもて、俺のところからは見えんようになっていた。
済 まんことをしたと、俺は思った。
俺の頼 みを聞いたばっかりに、あのアホは怒鳴 られる羽目 に。
「蔦子 さん、こいつにもう運転させたらあかんわ。蔦子 さんと一緒 やから、平気やと思ったのに。なんでひとりで行かせたりするんや。あかんやろ、こいつアホなんやから、誰かついといてやらなあかんねん」
八つ当たりやないかと思えるようなことを、信太 は蔦子 さんにぼやいた。もう寛太 と話す気はないようやった。
「そんなん、あんたに言われへんでも分かってます。咄嗟 のことで、どうにもできへんかったんどす。それにどうせ免停 や。当分、車には触 らせへん」
気まずそうに、蔦子 さんは答えてた。
「俺が行くって言うたやないですか」
なおも愚痴 る虎 を、蔦子 さんはむっと睨 み付けた。
それには反省したんか、信太 はがっくり項垂 れていた。
お前ちょっと今、格好 悪いで。必死やな信太 。
「可愛 い可愛 いでは成長しまへんやろ。この子にもたまには仕事させなあきません。ウチの式 なんやから、経験積 ませて育てなあきまへんのや。不死鳥 やのうてもよろしおす、何かの役には立つようになりますやろ」
つんと横顔を見せて、蔦子 さんは信太 を咎 める口調やった。
俺はジトっと信太 を見てた。お前こいつを、可愛 い可愛 いなんか。
聞いた話と、だいぶ違 うやんかと、俺は思った。
信太 は、ぐっと堪 えるような目を閉じて、蔦子 さんに口答えをした。
「いいや、お言葉ですけど、こいつは不死鳥 や。それを誰も信じてやらんで、どうやって神になれるんですか」
信念 めいて、その言葉は響 いた。
そして、話はさらに遡 る。
アキちゃん達が出かけてもうた後、俺は手持ちぶさたやった。
行くとこないし、することもない。
客間 に戻ると水煙 がおるし、それは俺にはけったくそ悪い。なんで俺があの恋敵 と、部屋で二人っきりにならなあかんねん。
それでやむなく、居間 の大画面の前にいた。
退屈 やったら『冬ソナ』見ろって、蔦子 さんに言われてもうたんで、その言葉に効力 があったらしい。なぜかヨン様見なあかんような気がしてもうて、信太 に頼 んで見せてもろたんや。
しかし何で俺が、こんなくっさいメロドラマ観 なあかんねん。ほんまにもう腹立つわと思いつつやったんやけど、観 るとけっこうこれが面白い。
畜生 、何を観 せんねん、蔦子 さん。俺までハマってもうたら、どうするつもりや。一緒に韓国 行ってくれんのか。アキちゃん絶対行ってくれへんわ。
そんなことになりそうな予感もして、くよくよ傾 いてテレビ観 てる俺の横で、信太 は足投げ出して座り、面白そうに俺を見ていた。
「おもろいか、白蛇 ちゃん。俺には全然わからんのやけど。何がええの、こんなくっさい男」
煙草 吸いつつ、半笑 いの虎 を、俺は悲しく睨 んだ。
お前もそうか、そういうタイプか。愛を囁 くタイプではないか。アキちゃんと同系統 。
釣 った魚に餌 はやらない。そういう男なんかと、俺は恨 んだ。何の関係もないとばっちりの憎さで。
ほんまのこと言えば、アキちゃんは別に、優 しくない訳でも、つれない訳でもない。
優 しい時は優 しいし、甘い時は甘い。ただそれが、二十四時間ずっとやないだけ。ほんで、ちょっとばかし、照 れ屋 なだけやねん。
家で二人っきりの時は甘い。ちょっと酔うたら、ほろ酔い気分の勢 いに任 せて、俺の手にちゅうちゅうして、お前は可愛 いって言うたりするわ。
ただそれを、素面 で外でではできへんていうだけ。
それが嫌やっていうのは、俺の我 が儘 。もっとしてくれっていうのも、ただの貪欲 やねん。
分かってるけど、しゃあない。だって欲しいんやもん。
「蔦子 さんなんてなあ、これ、いつも泣きながら観 とうで。よっぽど好きなんやろなあ」
「蔦子 さん、旦那 とうまくいってないのか」
苦笑 いして、俺は訊 ねた。
信太 は上を見て、思い出すような顔をした。
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