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8-3 トオル

「いいや。(なか)ええほうやと思うけど。いつもこのテレビで旦那(だんな)とビデオチャットして、もじもじしとうで」  あのおばちゃまが、もじもじすんのかと、俺は()きそうになった。愛ってすごい。 「龍悟(りゅうご)さんは仕事がらどうしても、家を()けがちやからな。都市計画とか治山治水(ちさんちすい)とか、そういう大規模系(だいきぼけい)やから。そういうのがもうとっくの昔に終わってる三都(さんと)より、よそに呼ばれることのほうが多いんや」 「そんなら蔦子(つたこ)さんも、(さび)しいわけや」  俺がここにいないおばちゃまを冷やかすと、信太(しんた)煙草(たばこ)を吹かし、ふっふっふと笑った。 「そういうことやな」 「ええなあ、お熱い人らは」  俺は特に深い意味なくぼやいてた。  他人が(うらや)ましいのは、俺の(くせ)みたいなもん。  どっかで(めし)食うと、(となり)のテーブルにある皿のほうが美味(うま)そうに見えて、(うらや)ましくなってきて、俺もあれ食いたいってアキちゃんに強請(ねだ)ってる。  そんなに食えるわけあるかって(しか)られて、いつも、しょんぼり(あきら)めてる。  アキちゃんは()(もん)を残すってことがない。そんなんしたら、あかんのやって。  殺生(せっしょう)をして出来(でき)た食いもんやから、全部食わなあかん。食える量だけにしとけって、おかんの(しつけ)らしい。  でも俺、いくらでも食えるで、食おうと思えば。牛一頭まるごとでも食えるし、店のメニュー全品(ぜんしな)でも、食おうと思えば食える。  でもそんな光景(こうけい)、普通やないから。やったらあかんよな。  見た目ひょろっと華奢(きゃしゃ)な俺が、べろんごっくんて大食らいしたら、皆見るやろし、アキちゃん引いてまう。  とにかく俺は、貪欲(どんよく)やねん。(よく)(かたまり)。  (めし)も欲しい、愛も欲しい、(となり)のやつが(うらや)ましい。そんなんばっかり言うてるわ。 「お前んとこかて、お熱いやんか。聞こえてたで、昨日の夜の。俺は耳がええんや」  煙草(たばこ)(はい)を、灰皿(はいざら)に落としながら、信太(しんた)はちょっと(いや)みな口調やった。  俺は苦笑のような顔でいた。ちょっと(せつ)なくなって。  アキちゃんも、やってる時には(やさ)しいねんけどな。お熱くて。 「あれなに。アキちゃん好きや、アキちゃん好きや、アキちゃんアキちゃん、みたいな」 「うるせえなあ。ほっといてくれ」  ()ずかしなって、俺はむちゃくちゃ(しぶ)い顔をしてみせた。  それでもちょっと顔熱い。  聞こえたんは分かるけど、そんなもん話題にせんといてくれ。俺でもちょっぴり()ずかしいねんから。 「わざと言うてんの?」  信太(しんた)薄笑(うすわら)いの顔で俺を見て、それでも真面目(まじめ)興味(きょうみ)ありげやった。 「わざとって?」 「言うと先生喜ぶからか?」  そう()かれて、俺は目を(またた)いた。  それは、考えたことなかった。なんでやろ。  言われてみて思うと、俺はアキちゃんを落とそうって思ったことがない。  だって最初から落ちてたし、口説(くど)く必要なかったもん。そんなあざとい手練手管(てれんてくだ)は、使った(ため)しがなかった。  知らへん訳やない。初心(うぶ)()りする訳やないねんけどな。でも、使う必要がなかったんや。 「……喜んでんのかな、アキちゃん」 「そら、喜んでるやろ。(たま)らんような感じやで、お前のあの声は」  何か思い出してんのか、(とら)はくすくす笑ってた。  俺は気まずうなってきて、煙草(たばこ)を吸いたくなった。横で吸うてるやつの、その(にお)いを()ぐと。  俺が嫌煙(けんえん)キャラやと、思うてた?  別にそういう訳やない。アキちゃんに合わせてただけ。  吸わんと我慢(がまん)ならんという(ほど)ではないけど、付き合う相手によっては吸うてたわ。  せやから正解は、俺は別に煙草(たばこ)吸うやつとでも、キスできる。  藤堂(とうどう)さんは煙草(たばこ)吸う男やったし、やめりゃええのにヘビースモーカーで、留学(りゅうがく)時代におぼえたという葉巻(はまき)がお好みやった。  あれなあ、一種の贅沢品(ぜいたくひん)やで。ワインなんかと同じでな、突き詰めればいくらでも奥があるような、玄人(くろうと)向けのもんなんや。  派手(はで)なおっさんやったで、ほんま。キューバ産の葉っぱを(くゆ)らせ、一本何十万、何百万のワインを(たしな)み、ドンペリ風呂に俺を()からせる。  気障(きざ)でお洒落(しゃれ)でなあ、まあ、大人の男やったんやろな。  お前は美しい、俺が今までの人生で見た中で、一番美しい生きた宝石やって、俺の足にダイヤの指輪はめさせて、めちゃめちゃ()めてたわ。  なに言うとんねん、この不能男(ふのうおとこ)がとムカついてたけど、それがただ、つれなく憎いような人で、キューバの香る(くちびる)で、ゆっくりキスされると、俺はいっつも震えが来てた。  抱いてほしくて、我慢(がまん)できへん。  欲しい欲しいって強請(ねだ)ったら、藤堂(とうどう)さんはいつも俺に、好みの男を()うてくれた。それがなあ、(たま)らん感じや。悲しくて。  あの人も(へび)が嫌いやった。キリスト教徒やったんや。  よりによってそれが、命惜(いのちお)しさで悪魔崇拝(すうはい)。俺にハマって、足でもなんでも()めたけど、それでも抱くのは最後の一線て、思ってたんやないか。  ほんまに()たへんのか、確かめさせてくれへんかったわ。  病気もしてたし、確かにそういう傾向(けいこう)はあったんやろけど、単に我慢(がまん)してただけなんとちゃうか。(へび)(まじ)わってもうたら、もう終わりやってさ。  妻も娘も敬虔(けいけん)なクリスチャン。神戸に住ませて、自分ひとりで京都に単身赴任やし、そんな間にホテルで(へび)()うて、それとやりまくってましたなんて、耐えられへんかったんやろ。  これは薬やって、それがあの人の大義名分(たいぎめいぶん)で、俺を(こば)んでた。  俺は気分次第(しだい)で、誰でも食うたし、藤堂(とうどう)さんが見てる前でも、平気でやったわ。あてつけやってん。  もしも抱いてくれてたら、そんな事せえへんかったやろ。俺にも心はあるんやし。藤堂(とうどう)さん好きや、藤堂(とうどう)さんて一晩中(あえ)いで、それでハッピーエンドみたいなな、そんなオチやったかもしれへん。  おっさん(たら)し込んで、めちゃめちゃ血吸うて、自分の飲ませて、(へび)の仲間に引きずり込んでたかもしれへん。

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