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8-7 トオル
「えっ、何すんの。やめといて。それはさすがに何かは感じるはずやから」
「何かって何やろ。俺アホやから分からへん」
にやにや笑って、信太 は遠慮 無くボタンを全部外した。そして本気で鼻先を服の中に突っ込んでくるもんで、ぎゃあって避 けて、俺は信太 に迫 られたまま、背のない椅子 ごと、ごろんと後ろにコケてもうた。
信太 はそれでも全然気にもせず、でっかい猫 がじゃれつくみたいに、俺の胸から喉首 を、べろんと舐 めた。
「やめてえ! めちゃめちゃくすぐったいというかキモい!」
「平気平気、そのうち快感になってくるから。寛太 なんかいつも鳥肌 立っとうで」
虎 は自信ありげに、やめる気配 もあらへんかった。俺は焦 った。
「それはあいつが鳥やからやろ! キモいけど我慢 してんのとちゃうか。いっぺん、ちゃんと訊 け、ほんまに気持ちええのかどうか」
「ええ? 気持ちよくないか?」
こっちもちょっと焦 ったような顔になり、信太 は首を傾 けて、俺の乳首をぺろっと舐 めた。
いやいや、ちょっと待てって。それは少々気持ちいいから。
ほんま堪忍 してください。我慢 が効 かない体やねんから。
「やめ! やめやめ中止中止やって。そういうことは、鳥とやれ!」
「ええ? なんで。マジで気持ちよくないか」
「ない。全然」
俺は断言した。でも嘘 やった。ほんまは悦 いです。ちょっぴりやけど!
「嘘 やん、顔赤いで……勃 ってないか確 かめてみよか」
信太 は遠慮 無い手で俺の腹のボタンも外そうと手を出してきた。
「わー、やめやめ!」
俺はやむをえず信太 を蹴 っ飛 ばして逃げた。
犯 される!
というか、犯 してちょうだいみたいになるから。
やばいから、それは。アキちゃんと約束 したんやもん。信用してよって。
すでにちょっぴり違反 ラインを割 ったような気がするが、走って戻ればバレへんやろって、俺は慌 てて考えた。
まったく信太 。お前の鳥は浮気に寛大 かもしれへんけどな、うちでは殺し合いになるんや。殺されんねんぞ俺は。
しかもその時、信太 の電話が鳴って、着歌 が大音響 の『六甲卸 』やったんで、めちゃめちゃビビった。
ひいって叫 んで籐 の丸椅子 に抱きついた俺を笑い、はいはい何やろ信太 ですう、って携帯を耳に当てた虎 の顔が、話を聞きつつ、みるみる変容 していった。真っ青に。
「う……嘘 やろ。寛太 は、どないなったんや、蔦子 さんっ」
俺の足にのしかかり、床 に膝 ついたまま電話に齧 り付いて、信太 は吼 えてた。
お前はなんという位置で動転 してんのや。何があったんやって、俺はよく聞いてなくて、訳 がわからんようになっていた。
「わかった。すぐ帰る」
そう言って、電話を切るなり、信太 はほんまにすぐに帰った。
俺を床 に放置 したまま、ものすごい速さで店の階段を駆 け下りていき、中国語で怒鳴 るように何か言って、店のおばちゃんに金を払ってた。
俺は必死で後を追ったわ。追いついてなかったら、絶対にチャイナタウンに置いてけぼりにされてたはずや。
戻る道を運転する間にも、信太 はほとんど口を利 かへんかった。
どしたんや、何があったんやって、何度も叫 ぶ口調で俺が訊 いて、やっと、事故 ったらしいわと信太 は言うてた。
でもお前んとこの先生は無事やから、心配するなと真っ青な顔で言い、まるで自分とこの鳥はもう死んだみたいな目をしてた。
それで俺もそれに呑 まれてテンパってもうてな、顔面蒼白 で海道家 の玄関 をくぐったんやけどな。
ぴんぴんしとるやないか。赤い鳥さん。
見たとこ、寛太 にはかすり傷ひとつ無かった。首の噛 み痕 以外には。
「なあ、兄貴 、俺もっと頑張 るから、怒らんといてくれ……」
何とか機嫌 をとろうという、気弱 な声をして、寛太 はげんなりしている虎 を盗 み見ていた。
「何を頑張 るんや」
「わからへんけど……」
ふにゃふにゃ、みたいな気合 いのない答えで、信太 はますますげんなりしていた。
「わからへんのか。まったく、お前はどうやったらほんまもんのフェニックスに化 けるんや。自分を生んでくれた街 が、愛 しくないんか! まあ、そうやろな。お前はアホで、愛がどんなもんか、耳クソほども分からへんのやもんな」
お前ちょっと、言い過ぎやないですか。皆さんもお聞きになっている前でやな、そこまで罵 ることないやん。俺やったら怒るで、そこまで言われたら。
しかし鳥さんは怒らへんかった。代わりに自信なさそうな真顔 で、とんでもない事を言うた。
「わからへん……だって、愛してもらったことないもん」
ちょっと弱ったなみたいな困 り顔で言う鳥さんに、信太 はゆっくりと、ガーン、ていう顔をした。まったく、お気の毒なほどの悲壮顔 。
ほらな。全然伝わってないやん。すれ違ってんねんて。
その事実に信太 はやっと直面 させられてたが、鳥は気づいてなかった。
こいつには難しいことは、分からんのやろ。信太 が自分をどう思ってきたか、ほんまに気がついてへんかったみたいや。
その証拠 に、寛太 は引き続き、とんでもない話を続行 した。
「確かに、俺が居 るのを誰も知らへん。蔦子 さんも、皆も、ほんまは信じてへんかったんやろ? それなら俺は、ただの鳥かもしれへん。それやと、もう、必要ない……?」
少しは寂 しそうに、それでもにこにこ言いつつ、寛太 はすうっと半透明 になった。
それを見ていた蔦子 さんに信太 、竜太郎 や海道家 の面々 が、うわあって血相 変えて身を乗り出していた。
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