75 / 928
8-8 トオル
アキちゃんはびっくりしたんか、慌 てたように俺の手を握 った。
「き、消えそうなってるで、あいつ」
「己 の存在意義 を見失ってきたんやろ……」
俺はまた許 されたアキちゃんの手の感触 にうっとりしながら、それと指を絡 めた。
ああ、浮気せんで我慢 してて良かった。
え? してる?
してへん、してへん。あんなん浮気したうちに入らへん。バレへんねんから。
それより寛太 や。そっちが一大事 なんやからさ。
ぼんやり透 けて、向こう側が見えている寛太 の体を捕 まえようと、信太 は恐 る恐 る腕 を伸 ばして、それが手には触 れないことに、また真っ青なってた。
「やめろ、寛太 。みんなお前が必要や」
「そうやろか……」
首を傾 げる蜃気楼 のような寛太 の姿 に、そうやそうやって、海道家 の皆さんは慌 てた早口 やった。
えらいことなってきた。
これで消えてもうたら、俺のせい?
どうしよ。それは、寝覚 めが悪い。それに信太 が可哀想 すぎ。
虎 は今にも死にそうという顔やった。
なんでもっと何か言わへんの、お前。ここで何か、ガツンと一発、引き留 めるようなことを、言わなあかんところやないかって焦 れて、俺は口を挟 んだ。
「信太 、なんか言え!」
えっ、なんかって、なんですかみたいな、完全にテンパってる顔をして、信太 は俺を見た。
「ぼけっとすんな。俺にはお前が必要やって言え。鳥でも虫でも何でもええから好きやって言うてやれ」
そんなこと、アキちゃんかて言うてたで、俺が死にかけてた時。
アキちゃんかてやで。アキちゃんですら言えたんやで。それを何でお前みたいな、タラシくさい奴 が言われへんねん。
「なんでもええの……兄貴 ?」
ゆらゆらしながら、寛太 は不思議そうに訊 いた。
何でもええって言えみたいな息詰 まる空気で、皆じっと信太 を見てた。
「なんでも、ええこと、ない……」
暗い顔して、信太 は呆然 と言うた。
アホか虎 ! なんでもええって言わなあかんやないか。
そんな激 しい衝撃 が、居間 を静かに駆 け抜 けた。
そんな中腰 の人々に見守られ、信太 はぐったり猫背 になって座ってた。
そしてぽつりぽつりと話した。自信がないように。
「俺が見つけた時な、お前は鳥の姿やったで。夜明けとともに、山のほうから飛んできて、瓦礫 の中に降 りたって……そしたらな、お前の周りにヒマワリが急にいっぱい咲き乱れてきて、俺がお前は何者やと訊 いたら、不死鳥 やと答えた」
床に頽 れたまま話す信太 は、黒光 りする床板 にうつる鳥の姿を見てた。
ぼんやりと定 かでないその幻影 は、赤い羽毛 をした大きな鳥で、錦 と金色 の飾 り羽根 を尾 に生やしていた。
「なんでお前は憶 えてないんやろ。俺の夢やったんやろか。そうかもしれへん……お前は俺の夢やねん。頼 むから、一緒 に俺の街 を、蘇 らせてくれ。それがお前の仕事やったら嫌 か」
必死 の体 で話す、信太 の口説 き文句 は、愛の話ではなかった。
それでも考えようによっては、愛の話やった。
でもそんな、遠回 しな語り口で、アホな鳥さんに理解してもらえるやろかと、俺は心配やった。
「嫌 やないよ」
それでも、ぼんやり揺 らめきながら、信太 の不死鳥 は淡 く笑って答えた。
もしかしてこいつは、ほんまに信太 が作った幻 の鳥やないかという気がその時して、俺は静かに驚 いてた。
人の願いや夢が結実 して生まれる神や精霊 がいる。神から生まれる神もいてるんや。
そんならこいつが、廃墟 になった神戸の復活 を願 ってた信太 の、その祈 りに喚 ばれて飛来 した鳥でも、おかしくはないんとちがうか。
そういうこともあるかもしれへん。
もしもそうなら、寛太 は信太 のためにいる神の鳥やった。それが運命 の相手でなきゃ、この世のどこを探しても、そんな相手はおらんやろ。
まあステキ。みたいに、世界に浸 ろうかなと思う俺を無視 して、信太 は青い顔のまま、いきなりキレてた。
「嫌 やないんやったらな、ぼやっとすんな!」
がおっと吼 えられて、びくっとしたように激 しく揺 らめき、寛太 はぶれてたカメラのピントが合うみたいに、突然また、かちっと実体のある姿に戻ってた。
よかったよかった。よかったけど、最高にぶち壊し。
あかん虎 や、甲斐性 がない。俺はそんなご感想を抱 いた。
せやけど信太 は戻ってきた赤い鳥を見て、深いため息をつき、焦 ったわ、もう辛抱 たまらんというように、寛太 の背中を引き寄せた。
そしてきつく抱きしめながら、泣 き言 みたいに話した。
「お前、愛してもらったことないて、それはあんまり酷 くないか。俺はどうなんの、俺の立場は。お前を愛してんのに……」
そうや、その路線 !
いいよ虎 、ええ感じになってきたよ。その線を俺は待っていた。
俺はほとんど監督 気分で、声にならない声援 を送ってた。
「そうなん? 知らんかったわあ」
赤毛の返事はあくまでぼやあっとしてた。
ぐっ。でももうこれは、しゃあないんとちゃうか。そういう性格なんやろ。
ものすご二人の世界に入ってる虎 と鳥を、現実には二人でないそれ以外の外野 の人々として、俺らはおろおろ居心地 悪く見守るしかなかった。
ともだちにシェアしよう!