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8-8 トオル

 アキちゃんはびっくりしたんか、(あわ)てたように俺の手を(にぎ)った。 「き、消えそうなってるで、あいつ」 「(おのれ)存在意義(そんざいいぎ)を見失ってきたんやろ……」  俺はまた(ゆる)されたアキちゃんの手の感触(かんしょく)にうっとりしながら、それと指を(から)めた。  ああ、浮気せんで我慢(がまん)してて良かった。  え? してる?  してへん、してへん。あんなん浮気したうちに入らへん。バレへんねんから。  それより寛太(かんた)や。そっちが一大事(いちだいじ)なんやからさ。  ぼんやり()けて、向こう側が見えている寛太(かんた)の体を(つか)まえようと、信太(しんた)(おそ)(おそ)(うで)()ばして、それが手には()れないことに、また真っ青なってた。 「やめろ、寛太(かんた)。みんなお前が必要や」 「そうやろか……」  首を(かし)げる蜃気楼(しんきろう)のような寛太(かんた)姿(すがた)に、そうやそうやって、海道家(かいどうけ)の皆さんは(あわ)てた早口(はやくち)やった。  えらいことなってきた。  これで消えてもうたら、俺のせい?  どうしよ。それは、寝覚(ねざ)めが悪い。それに信太(しんた)可哀想(かわいそう)すぎ。  (とら)は今にも死にそうという顔やった。  なんでもっと何か言わへんの、お前。ここで何か、ガツンと一発、引き()めるようなことを、言わなあかんところやないかって()れて、俺は口を(はさ)んだ。 「信太(しんた)、なんか言え!」  えっ、なんかって、なんですかみたいな、完全にテンパってる顔をして、信太(しんた)は俺を見た。 「ぼけっとすんな。俺にはお前が必要やって言え。鳥でも虫でも何でもええから好きやって言うてやれ」  そんなこと、アキちゃんかて言うてたで、俺が死にかけてた時。  アキちゃんかてやで。アキちゃんですら言えたんやで。それを何でお前みたいな、タラシくさい(やつ)が言われへんねん。 「なんでもええの……兄貴(あにき)?」  ゆらゆらしながら、寛太(かんた)は不思議そうに()いた。  何でもええって言えみたいな息詰(いきづ)まる空気で、皆じっと信太(しんた)を見てた。 「なんでも、ええこと、ない……」  暗い顔して、信太(しんた)呆然(ぼうぜん)と言うた。  アホか(とら)! なんでもええって言わなあかんやないか。  そんな(はげ)しい衝撃(しょうげき)が、居間(いま)を静かに()()けた。  そんな中腰(ちゅうごし)の人々に見守られ、信太(しんた)はぐったり猫背(ねこぜ)になって座ってた。  そしてぽつりぽつりと話した。自信がないように。 「俺が見つけた時な、お前は鳥の姿やったで。夜明けとともに、山のほうから飛んできて、瓦礫(がれき)の中に()りたって……そしたらな、お前の周りにヒマワリが急にいっぱい咲き乱れてきて、俺がお前は何者やと()いたら、不死鳥(ふしちょう)やと答えた」  床に(くずお)れたまま話す信太(しんた)は、黒光(くろびか)りする床板(ゆかいた)にうつる鳥の姿を見てた。  ぼんやりと(さだ)かでないその幻影(げんえい)は、赤い羽毛(うもう)をした大きな鳥で、(にしき)金色(こんじき)(かざ)羽根(ばね)()に生やしていた。 「なんでお前は(おぼ)えてないんやろ。俺の夢やったんやろか。そうかもしれへん……お前は俺の夢やねん。(たの)むから、一緒(いっしょ)に俺の(まち)を、(よみがえ)らせてくれ。それがお前の仕事やったら(いや)か」  必死(ひっし)(てい)で話す、信太(しんた)口説(くど)文句(もんく)は、愛の話ではなかった。  それでも考えようによっては、愛の話やった。  でもそんな、遠回(とおまわ)しな語り口で、アホな鳥さんに理解してもらえるやろかと、俺は心配やった。 「(いや)やないよ」  それでも、ぼんやり()らめきながら、信太(しんた)不死鳥(ふしちょう)(あわ)く笑って答えた。  もしかしてこいつは、ほんまに信太(しんた)が作った(まぼろし)の鳥やないかという気がその時して、俺は静かに(おどろ)いてた。  人の願いや夢が結実(けつじつ)して生まれる神や精霊(せいれい)がいる。神から生まれる神もいてるんや。  そんならこいつが、廃墟(はいきょ)になった神戸の復活(ふっかつ)(ねが)ってた信太(しんた)の、その(いの)りに()ばれて飛来(ひらい)した鳥でも、おかしくはないんとちがうか。  そういうこともあるかもしれへん。  もしもそうなら、寛太(かんた)信太(しんた)のためにいる神の鳥やった。それが運命(うんめい)の相手でなきゃ、この世のどこを探しても、そんな相手はおらんやろ。  まあステキ。みたいに、世界に(ひた)ろうかなと思う俺を無視(むし)して、信太(しんた)は青い顔のまま、いきなりキレてた。 「(いや)やないんやったらな、ぼやっとすんな!」  がおっと()えられて、びくっとしたように(はげ)しく()らめき、寛太(かんた)はぶれてたカメラのピントが合うみたいに、突然また、かちっと実体のある姿に戻ってた。  よかったよかった。よかったけど、最高にぶち壊し。  あかん(とら)や、甲斐性(かいしょう)がない。俺はそんなご感想を(いだ)いた。  せやけど信太(しんた)は戻ってきた赤い鳥を見て、深いため息をつき、(あせ)ったわ、もう辛抱(しんぼう)たまらんというように、寛太(かんた)の背中を引き寄せた。  そしてきつく抱きしめながら、()(ごと)みたいに話した。 「お前、愛してもらったことないて、それはあんまり(ひど)くないか。俺はどうなんの、俺の立場は。お前を愛してんのに……」  そうや、その路線(ろせん)!  いいよ(とら)、ええ感じになってきたよ。その線を俺は待っていた。  俺はほとんど監督(かんとく)気分で、声にならない声援(せいえん)を送ってた。 「そうなん? 知らんかったわあ」  赤毛の返事はあくまでぼやあっとしてた。  ぐっ。でももうこれは、しゃあないんとちゃうか。そういう性格なんやろ。  ものすご二人の世界に入ってる(とら)と鳥を、現実には二人でないそれ以外の外野(がいや)の人々として、俺らはおろおろ居心地(いごこち)悪く見守るしかなかった。

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