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8-10 トオル

 それでもアキちゃんの腕の力が抜けるのが、俺にはわかった。  なんや結局おかんかと、俺は思った。  おかんのためなら我慢(がまん)できるんか。俺よりおかんか。  お前は結局そういう男なんやな。 「なんで怒るんや、先生」  ぽかんと聞いてきた寛太(かんた)のほうを、アキちゃんはきっと(にら)んだ。  まともなやつなら(ひる)んだやろけど、寛太(かんた)は引き続き、信太(しんた)に抱かれてぐちゃぐちゃなった赤毛の頭で、ぽかんとしてた。 「先生かて、天使(てんし)とキスしてたやんか。お(たが)(さま)やろ?」  なんやと。  俺は、ばちっと目を開いてた。  今、なんて言うた赤毛。 「天使って、勝呂(すぐろ)なんやろ……アキちゃん」  めちゃめちゃ(かす)れた声で、俺は話してた。  めちゃめちゃ首絞(くびし)められたんやから、生身(なまみ)やったら死体かもしれへんで。とにかく(つね)美声(びせい)ではない、(われ)ながら壮絶(そうぜつ)な声やった。  アキちゃん真顔(まがお)のまま、ものすごショック受けてる目をしてた。  たぶん俺が、死体のような顔色やったんやろ。  いっぺん死んでるわ、お前に殺されたんや。  俺が不死系(アンデッド)やということが、お前にもこれで分かったやろ。  やってもうたと青ざめたかて、普通やったら手遅(ておく)れなんや。俺が普通でないツレで良かったな。 「とうとうやりおったな……勝呂(すぐろ)瑞希(みずき)と……」  ゆらりと起きて、俺はアキちゃんを()めた。 「してへん……されそうになっただけで。そいつに()けばわかる」  (とら)に抱っこされてる鳥を(ゆび)さして、アキちゃんは俺に言い訳をしてた。  寛太(かんた)はきょとんと俺を見た。そして、何か答えなあかんと思ったんやろ。  奴はよく考えたようやった。それから爛々(らんらん)と金の目の光る俺を見て、寛太(かんた)は教えた。 「してへん。あと二ミリぐらいのとこで、俺が止めといた」  貴重(きちょう)証言(しょうげん)、ありがとうございます。  したも同然(どうぜん)ということが、俺の中で瞬時(しゅんじ)裁決(さいけつ)された。  死刑(しけい)。 「アキちゃん……お前もいっぺん死んでみる?」  それとも、今度こそ、べろんごっくんしてやろか。  勝呂(すぐろ)瑞希(みずき)てな。俺はあいつにだけは負けたくないんや。  ぽっと出の犬に、この夏、心底(しんそこ)ビビらさせられた。死ぬ目に()わされ、俺にはあいつはトラウマやねん。  それと知ってて、俺を裏切(うらぎ)ろうなどと。おのれアキちゃん。(うら)めしや。 「(とおる)……魔闘気(まとうき)みたいなの出てるぞ」  アキちゃんは目を見開く蒼白(そうはく)の顔で、ちょっとばかし後ずさっていた。  俺はそれに、にやりと口の(はし)で笑いかけた。 「そら出るやろ、それくらい出る。俺の怨念(おんねん)レベルはいま最大や。やるならやるで、相打(あいう)(ねら)いでお前と心中(しんじゅう)したる」  俺も若干(じゃっかん)キレていたかな。  ん? 若干(じゃっかん)ではない?  まあまあ、そういうふうに見えるかもしれへんけどな、外道(げどう)VS外道(げどう)痴話(ちわ)ゲンカやないか。核爆発(かくばくはつ)とかせんだけマシやで。  とにかくな、これがアキちゃんと俺の、痴情(ちじょう)がもつれた死闘(しとう)の、記念すべき一回目やった。  言うても長い一生や。そしてお(たが)い浮気性と来てるもんやから、デスマッチの一度や二度や、三度や四度はあるわ。ほんまはもっとあるけども、もう数えてない。  俺はよっぽど本気に見えたらしく、アキちゃんは、得物(えもの)はないかと水煙(すいえん)を探す目やった。  素手(すで)で来い素手(すで)で。俺を殺す気か。  サシの勝負にまで浮気相手を利用しようとするんやない。  それがあまりにムカついて、気付くと俺は白い大蛇(おろち)変転(へんてん)してた。  まるごとひと()み。それで俺の勝ち。そういう作戦やったけど、アキちゃんは、食われてたまるかという(にら)む目やった。  そうか。あくまで俺が悪いと言うんやな。許せへん。なんもしてへん言うてるやんか。  信太(しんた)が俺を(おそ)ったんやで。健気(けなげ)にも俺はそれに必死で抵抗し、貞操(ていそう)を守ったんやないか。  それをやなんやねんお前は、俺を留守番(るすばん)させといて、その(すき)勝呂(すぐろ)瑞希(みずき)とチューしようとは。  しかもそれを、赤毛が言わんかったら秘密にしておくつもりやったな。絶対そうやろ。ギクッとしてたもん。  その根性(こんじょう)が許せへん。たとえ俺がそういう根性(こんじょう)でも、お前は俺に一途(いちず)でいろ。そんなん基本やないか。当然や。  (ゆる)しまへんえ、このマザコン野郎(やろう)。  おかんより誰より俺が好きと言え。この皆さんの前で言うてみろ。  それが(いや)やて言うんやったら、今すぐ号泣(ごうきゅう)して(あば)れまくって、ご近所の武庫川(むこがわ)増水(ぞうすい)させて水浸(みずびた)しにしてやるで。  こんなとこでいきなり豆知識(まめちしき)やけどな、(へび)古来(こらい)、川の流れの象徴(しょうちょう)で、水の神でもあるんや。  せやから水流(すいりゅう)影響(えいきょう)(あた)える力があるわけ。  アキちゃんはどうも、子供のころから無意識に、水モノと(えん)の深い子らしい。  実家の近所の桂川(かつらがわ)(あば)れさせかけたとか、そんな話をおかんがしてた。  まあ、今ここで言うのも何やけど、俺も毎晩(まいばん)アキちゃんには、さんざん(あば)れさせられてるしな。  うふっ。川やのうて、ベッドの中でやで。もう大洪水(だいこうずい)。  おっと、そんなん言うてる場合やない。  殺す、本間(ほんま)(あきひこ)。  とことん俺を虚仮(こけ)にしてからに。  もっと愛して(まつ)れ。俺はお前んちの守り神なんやぞ。  おとん大明神(だいみょうじん)の教えを忘れたか。この未熟者(みじゅくもの)。  日頃は温厚(おんこう)な神様でも、きちんと(まつ)って敬意(けいい)(はら)っていないと、(あら)ぶる神となって(たた)ることがある。  まして俺のような、日頃(ひごろ)から温厚(おんこう)でない神様が、(たた)らないわけがないやろ。  俺は悪魔(サタン)紙一重(かみひとえ)なんやぞ。俺の(げき)であるお前がしっかりしとかんかったら、俺は(たた)る神になってまうんや。それがお前の国の世界観(せかいかん)やろ。

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