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9-2 アキヒコ
医者というなら、神楽 神父は医者でもあった。
ヴァチカンで霊能力 が証明されて、嘘 つきの誹 りを逃 れ、家族との折り合いの悪さからも逃 れたところ、自分に人の病気や傷を治せる奇跡 が起こせることが分かった。
精神的に解放されて、能力も目覚めたということらしい。
それやったらついでに医学もやっとこかという事で、神父は医学部にも通った。
つまりこの人、神学部のついでに、近所にあったし医学部に通ったっていうことらしい。
神学 が本命で、医学がついで。
そんな人もいてるんやと、俺はなんとなく不思議やった。
医学部ってもっと、それ一本で真面目 に通うもんやと思うてた。
とにかく神楽 神父は、僧衣 の上に白衣 。普段は病院にいて仕事して、悪魔祓い が必要になると、白衣を脱いで本性 を現す男。
今日はその、本性 のほうで来てる。
黒い僧服 に白い襟 、胸には銀の十字架 で、海道家 の居間 に現れた騒ぐ蛇 を、悪魔 やと信じてる目で見てた。
違います、こいつが騒ぐんは、悪いからやない。アホやから。痴話喧嘩 が極 まってもうて、こんな荒事 になったんです。
しかしそれを言う訳にはいかず、俺の説得 は要領 を得 なかった。
神父は俺らと海道家 に着いた後、ややあってから携帯電話に呼ばれて、ちょっと失礼と離 れのほうに姿を消していて、やっと戻ってきたところに、大暴れしているでっかい白い蛇 を見た。
それは俺を殺そうとしていた。せやから助けなあかんと思うたらしい。
それは神楽 神父の職業病やった。悪魔 に苦しむ本間 暁彦 を救 うべしというのは。
筋 が通っている。確かに亨 は俺を殺そうとしてた。
せやけどそれは前半戦や。ハーフタイム以降、こいつはそれほど本気やなかった。
なんや知らん、勝手に照 れてもうて、もじもじしてただけ。
でもそれも、天井に頭の届くような、部屋いっぱいの巨体 やねんから、じたばたしたらあかんねん。蔦子 さんのテレビを壊 して、ただで済むと思うんか。済むわけあらへん。
それにしても神楽 神父は、亨 を見てからしばらくの間、一体何をぼけっと突っ立っていたんやろ。まさか怖くてビビってたってことはないと、思うんやけど。
「式神 というのは、何ですか。悪霊 ではないのですか」
また、カッチカチの標準語で、神楽 神父は廊下 から叫 ぶようなストレス声やった。
「悪霊 ではないです……」
俺は自信なく答えた。
ほんまにそうか。実は悪霊 なんとちゃうか。
どう見ても悪霊 やったで、さっきまでの亨 は。だって魔闘気 出てたもん。
それに俺はこいつに、何をしたんや。
なんや一瞬、気が遠くなるくらい頭に血がのぼって、俺はキレてたんやろ、完全に。
そこまで怒ったことがない。まるで自分が自分でないようで、あんたは何があろうと怒ったらあかんえと俺を躾 けてた、おかんの考えが正しかったことが証明された。
俺は亨 を殺そうとしてた。実はほんまに殺 ってもうたんやないか。
自分の手にあるその時の、手応 えの名残 をまだ感じて、俺は懐 いてる亨 を抱きつつ、微 かに震 えてきてた。
何でそんなこと、してもうたんやろ。カッとしたんや。俺以外のやつに、こいつが体を許したという話を聞いて、普段の自分が、ふっとどこかに消えたみたいに。
ああもうこの神は、殺すしかない。どうしようもない奴や。殺して食うてまうしかないわって、そう思ってた。
何それ。何なんや。何で俺は、そんなこと思うてたんやろ。
俺は最近時々、亨 の血を吸いたい時がある。
どうしようもなく燃えて、こいつを抱いてる時なんか、ほんまにもう辛抱 たまらんようになって、亨 の血を吸う。それが物凄 く心地 いい。
亨 はそれに悦 んでるし、それが普通とは思わんまでも、別にええやろって思ってた。
誰が見てるわけやなし、別にええやん。亨 も幸せ、俺も幸せなんやったら、血を吸うぐらいなんでもない。
何かそんなに、異常なことやろか。好きでたまらん、こいつを食いたいと思うのは、どこか何か変なんか、って。
そんなん変やろ。おかしいで俺は。絶対に、頭がおかしい。
亨 を自分の手で殺すやなんて、想像するだけでも耐 えられへんはずやのに、なんでちょっと腹立ったくらいのことで力一杯首締めるなんて、そこまでやってもうたんやろ。
ふとそれに思い至 って、かたかた震 えの来てる俺を、腕の中から亨 が見上げてきた。
「どしたん……アキちゃん。神父が怖いんか」
「いや、そうやない。自分が理解できへんだけや」
未 だに頭の芯 が痺れてる。そんな気がした。
頭の中に蛇 がいて、怒るとそいつが暴れ出す。その時の俺は鬼、あるいは悪魔 。そんなようなものやという気がした。
それはずっと昔から、俺の中にいた。ずっと長いこと、どんなもんやら正体 のわからんかったそれが、つい最近になって、形を与えられた。蛇 のような。
それはたぶん、俺が亨 と同じ、蛇 の眷属 になったという事やった。
俺にとっては、それが単に、自分は永遠に若いまま生きられる、もうずっと、亨 と一緒に居 れるんやという、それだけの意味しかなかった。
甘 かったんや。まさに甘々 。
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