80 / 928

9-2 アキヒコ

 医者というなら、神楽(かぐら)神父は医者でもあった。  ヴァチカンで霊能力(れいのうりょく)が証明されて、(うそ)つきの(そし)りを(のが)れ、家族との折り合いの悪さからも(のが)れたところ、自分に人の病気や傷を治せる奇跡(きせき)が起こせることが分かった。  精神的に解放されて、能力も目覚めたということらしい。  それやったらついでに医学もやっとこかという事で、神父は医学部にも通った。  つまりこの人、神学部のついでに、近所にあったし医学部に通ったっていうことらしい。  神学(しんがく)が本命で、医学がついで。  そんな人もいてるんやと、俺はなんとなく不思議やった。  医学部ってもっと、それ一本で真面目(まじめ)に通うもんやと思うてた。  とにかく神楽(かぐら)神父は、僧衣(そうい)の上に白衣(はくい)。普段は病院にいて仕事して、悪魔祓い(エクソシスト)が必要になると、白衣を脱いで本性(ほんしょう)を現す男。  今日はその、本性(ほんしょう)のほうで来てる。  黒い僧服(そうふく)に白い(えり)、胸には銀の十字架(じゅうじか)で、海道家(かいどうけ)居間(いま)に現れた騒ぐ蛇(ポルターガイスト)を、悪魔(サタン)やと信じてる目で見てた。  違います、こいつが騒ぐんは、悪いからやない。アホやから。痴話喧嘩(ちわげんか)(きわ)まってもうて、こんな荒事(あらごと)になったんです。  しかしそれを言う訳にはいかず、俺の説得(せっとく)要領(ようりょう)()なかった。  神父は俺らと海道家(かいどうけ)に着いた後、ややあってから携帯電話に呼ばれて、ちょっと失礼と(はな)れのほうに姿を消していて、やっと戻ってきたところに、大暴れしているでっかい白い(へび)を見た。  それは俺を殺そうとしていた。せやから助けなあかんと思うたらしい。  それは神楽(かぐら)神父の職業病やった。悪魔(サタン)に苦しむ本間(ほんま)暁彦(あきひこ)(すく)うべしというのは。  (すじ)が通っている。確かに(とおる)は俺を殺そうとしてた。  せやけどそれは前半戦や。ハーフタイム以降、こいつはそれほど本気やなかった。  なんや知らん、勝手に()れてもうて、もじもじしてただけ。  でもそれも、天井に頭の届くような、部屋いっぱいの巨体(きょたい)やねんから、じたばたしたらあかんねん。蔦子(つたこ)さんのテレビを(こわ)して、ただで済むと思うんか。済むわけあらへん。  それにしても神楽(かぐら)神父は、(とおる)を見てからしばらくの間、一体何をぼけっと突っ立っていたんやろ。まさか怖くてビビってたってことはないと、思うんやけど。 「式神(しきがみ)というのは、何ですか。悪霊(あくりょう)ではないのですか」  また、カッチカチの標準語で、神楽(かぐら)神父は廊下(ろうか)から(さけ)ぶようなストレス声やった。 「悪霊(あくりょう)ではないです……」  俺は自信なく答えた。  ほんまにそうか。実は悪霊(あくりょう)なんとちゃうか。  どう見ても悪霊(あくりょう)やったで、さっきまでの(とおる)は。だって魔闘気(まとうき)出てたもん。  それに俺はこいつに、何をしたんや。  なんや一瞬、気が遠くなるくらい頭に血がのぼって、俺はキレてたんやろ、完全に。  そこまで怒ったことがない。まるで自分が自分でないようで、あんたは何があろうと怒ったらあかんえと俺を(しつ)けてた、おかんの考えが正しかったことが証明された。  俺は(とおる)を殺そうとしてた。実はほんまに()ってもうたんやないか。  自分の手にあるその時の、手応(てごた)えの名残(なごり)をまだ感じて、俺は(なつ)いてる(とおる)を抱きつつ、(かす)かに(ふる)えてきてた。  何でそんなこと、してもうたんやろ。カッとしたんや。俺以外のやつに、こいつが体を許したという話を聞いて、普段の自分が、ふっとどこかに消えたみたいに。  ああもうこの神は、殺すしかない。どうしようもない奴や。殺して食うてまうしかないわって、そう思ってた。  何それ。何なんや。何で俺は、そんなこと思うてたんやろ。  俺は最近時々、(とおる)の血を吸いたい時がある。  どうしようもなく燃えて、こいつを抱いてる時なんか、ほんまにもう辛抱(しんぼう)たまらんようになって、(とおる)の血を吸う。それが物凄(ものすご)心地(ここち)いい。  (とおる)はそれに(よろこ)んでるし、それが普通とは思わんまでも、別にええやろって思ってた。  誰が見てるわけやなし、別にええやん。(とおる)も幸せ、俺も幸せなんやったら、血を吸うぐらいなんでもない。  何かそんなに、異常なことやろか。好きでたまらん、こいつを食いたいと思うのは、どこか何か変なんか、って。  そんなん変やろ。おかしいで俺は。絶対に、頭がおかしい。  (とおる)を自分の手で殺すやなんて、想像するだけでも()えられへんはずやのに、なんでちょっと腹立ったくらいのことで力一杯首締めるなんて、そこまでやってもうたんやろ。  ふとそれに思い(いた)って、かたかた(ふる)えの来てる俺を、腕の中から(とおる)が見上げてきた。 「どしたん……アキちゃん。神父が怖いんか」 「いや、そうやない。自分が理解できへんだけや」  (いま)だに頭の(しん)が痺れてる。そんな気がした。  頭の中に(へび)がいて、怒るとそいつが暴れ出す。その時の俺は鬼、あるいは悪魔(サタン)。そんなようなものやという気がした。  それはずっと昔から、俺の中にいた。ずっと長いこと、どんなもんやら正体(しょうたい)のわからんかったそれが、つい最近になって、形を与えられた。(へび)のような。  それはたぶん、俺が(とおる)と同じ、(へび)眷属(けんぞく)になったという事やった。  俺にとっては、それが単に、自分は永遠に若いまま生きられる、もうずっと、(とおる)と一緒に()れるんやという、それだけの意味しかなかった。  (あま)かったんや。まさに甘々(あまあま)

ともだちにシェアしよう!