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9-7 アキヒコ

「ところで、分からんのやけど、お前って抱きたいほうなん? それとも抱かれたいほう?」  真面目(まじめ)()いてる(とおる)に、神父はもう明らかに怒ってる顔してた。 「(だま)れ」 「お前、顔綺麗(きれい)やし、きっと、(おか)したいやつがいっぱいおるで」  にやにや教える(とおる)の声に、ケツでも()でるような淫猥(いんわい)さがあって、それに(なぶ)られ、神父はどう見ても、ブチッとキレた。  キレるんや、カトリックの聖職者(せいしょくしゃ)でも。  俺は呆然(ぼうぜん)とそれを見た。じりっと一歩()み込んでくる、どう見ても激怒(げきど)してる神楽(かぐら)さんの、男にしとくのは勿体(もったい)ないような綺麗(きれい)な顔を。  怒ってても美人やな。そればっかりはどうしようもない。生まれつきの顔やから。  まあ確かにな、(とおる)の話に同意するわけやないけど、ちょっと(さわ)りたいような人やわ。変な意味ではないです。いや、変な意味か。すんません、言い訳しません。そういう意味でです。  何というか、そういうような(にお)いがする。この人は。  (とおる)が持ってて、鳥さんにもあって、かつて勝呂(すぐろ)が俺を見る時にあったのと同じ、なんか独特(どくとく)の空気が。  せやけど今は怖すぎて、とてもそんな気になる(やつ)はおらんやろ。  神父は何か、ごく希薄(きはく)薄紫(うすむらさき)(もや)のようなもんを発していた。ちょうど水煙(すいえん)が燃えるときに、白い水煙(みずけむり)()くみたいにな。  水煙(すいえん)のそれに()れると、鬼は()けて()かされる。そして水煙(すいえん)に食われるんやけども、神楽(かぐら)神父の発するそれも、似たようなもんではないかと思えた。 「アキちゃん、怖いよう」  どう聞いても甘えてるような声で、(とおる)は俺にひしっと抱きついた。  守ってくれという意味らしい。ほんなら守らなあかんのやけど、どうやって守るんか、実はさっぱり分からへん。  すたすたと、ゆっくり寄ってくる神楽(かぐら)さんに、俺はなんとなくビビり、(とおる)(かば)う抱き方のまま、眉間(みけん)(しわ)寄せた綺麗(きれい)な怒り顔を(だま)って見上げただけやった。 「本間(ほんま)さん。これは悪魔(サタン)そのものです。卑猥(ひわい)な言葉で話し、人間を堕落(だらく)させ、それを喜んでいる。この者にふさわしいところへ、追いやるべきです」  (とおる)にふさわしいところ?  それって。イケメンだらけで、美味(うま)いモンがいっぱい食えて、足舐(あしな)めてもらえるところ?  それはあかんわ。そんなところに行ってほしくないもん。  こいつの思うつぼやないか。俺が可哀想(かわいそう)すぎる。 「せやけど、こいつが()らんようになったら、俺は大した役には立たないですよ」  神楽(かぐら)さんの言う、大事(だいじ)の前の小事(しょうじ)の、大事(だいじ)のほうのこと。そのためにこの人は、俺と話したかったんや。  そうやねん。俺が神父に用があったんやない。その逆やってん。  こんな場面でアレやけど、話は少々、時を(さかのぼ)る。  暴走する鳥さんに事故らされ、その後、神楽(かぐら)さんの理力(フォース)によって、奇跡的に免停(めんてい)から救われた俺は、海道家(かいどうけ)に帰り着いた。  そこで(なまず)にまつわる話を、神楽(かぐら)さんからいくつか聞いた。  それをニ十余年前、阪神大震災の後に(しず)めたのは、秋津登与(あきつとよ)。なんと、うちのおかんやった。  それについての記述が、なんとヴァチカンに送られ残されているという。  まさか俺のおかんが、ヴァチカン進出(デビュー)していたとは、俺には青天(せいてん)霹靂(へきれき)やった。  当時のローマ教皇(きょうこう)は、おかんの働きに()れて、おかんに洗礼(せんれい)を受けさせ、いずれは聖女(せいじょ)(れっ)したいと内密(ないみつ)打診(だしん)したらしいが、おかんは丁重(ていちょう)に断ってきたらしい。  自分は秋津島(あきつしま)の神さんの巫女(みこ)やから、異教(いきょう)の神官にはなられへんと言うて。  そしてその話は立ち消えとなり、おかんは俺を育てつつ、それまで通り京都で、歌ったり(おど)ったりして過ごした。  そしてニ十余年後の今、再び同じ悪魔(サタン)(あば)れ出そうとしているが、肝心(かんじん)のおかんは日本におらん。おとん大明神(だいみょうじん)と世界一周ハネムーン中で、今ブラジルやけど、俺には毎日のように惚気(のろけ)メールを送ってくるあの人と、ヴァチカンは連絡が取れへんのやって。  それでやむなく、その一人息子ということで、俺に白羽(しらは)の矢が立った。跡取(あとと)りやということで、おかんが俺を紹介してあったらしい。  全然憶えてへん。ほんなら俺は神父に会うたことがあったんや。  全く記憶にございませんが。たぶん興味がなかったんやろ。  それともその人は、神父やとは名乗らへんかったんかもしれへん。変な服着た外人やとでも思って、それっきりスルーやったんやろ。  俺は自分ちの家業(かぎょう)のことには、なるべく興味を持たないようにしてた。おかんの客にも、なるべくなら会いとうなかった。  俺は長いこと、おかんが娼婦(しょうふ)なのではないかと(うたが)ってたんや。それで常に、おかんの客には()いていた。  きっと愛想(あいそう)悪い餓鬼(がき)やと思われてたやろな。無愛想(ぶあいそう)(かげ)に、明らかな敵意があったんやからな。  もっと愛想(あいそう)良くしとくべきやった。結局、家業(かぎょう)()ぐわけやから。  将来、おかんの客が俺の客になることもあるやろ。大崎(おおさき)先生なんか、その好例(こうれい)や。  ずっと俺が無愛想(ぶあいそう)で、つんけんした可愛げのない餓鬼(がき)やったせいで、あの(じい)さんも俺には意地(いじ)が悪い。いっつも俺が描けへんような題材の絵ばっかり注文してきはって、困ったなと思わせるのを趣味にしてはる。

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