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9-8 アキヒコ

 なんでもええから描けたら持ってこい、()うてやるからって、そう言うてくれはるんは()(がた)いけど、でもやっぱムカつくんで、(じい)さんとこには持っていかへん。  画商(がしょう)西森(にしもり)さんとこに行く。  それでまた(じい)さんには、秋津(あきつ)(ぼん)愛想(あいそう)無しやて(ののし)られ、それをわざわざ留守電(るすでん)みたいに一言一句(いちごんいっく)()らさず伝えさせられる式神(しきがみ)秋尾(あきお)さんに、ほんま(かな)いませんわ、(ぼん)ももうちょっと先生に愛想(あいそう)よくしたってくださいと、やんわり説教(せっきょう)される。  俺も一応、絵で食おうという人間なんやから、絵を()うてくれる客に、愛想(あいそう)なしじゃまずいわな。  それもまだまだ俺の未熟(みじゅく)なところやねん。  いつかは、おかんみたいに、にこにこ満面の(あや)しい笑みで、お客様にいらっしゃいませて言えるようになるやろか。全く想像つかへんけどな、そんな本間(ほんま)暁彦(あきひこ)は。  仕事を依頼(いらい)してきた神楽(かぐら)神父にかて、俺は渋面(じゅうめん)やった。その仕事が、途方(とほう)もないもんに思えたからやった。  神楽(かぐら)さんはヴァチカンに()るローマ教皇(きょうこう)直々(じきじき)使節(しせつ)という立場で、かつて俺のおかんがやったような奇跡(きせき)の再実行を()り行うように依頼(いらい)してきた。  つまり、神戸の地下におる悪魔(サタン)、こちらでいう(なまず)のことやで、これが(あば)れ出すのを(しず)めて戻し、厄災(やくさい)を最小限に(とど)めてほしい、できれば向こう何百年も眠り続けてくれるようにしてほしいと、そういう事やった。  ただし成果(せいか)は教会がとる、お前には金をやる、そういう話やねん。  おかしいと、蔦子(つたこ)さんは言うてた。  おかんはそつなく仕事をし、(なまず)はきちんと眠った。十分に腹を満たしたはずやった。  せやからあれで、向こう何百年眠れるはずで、たったの十年そこらで起きてくるのは変やと、神楽(かぐら)神父に話したけども、神父はなにか(かく)したような顔をして、押し(だま)るばかり。  とにかく(なまず)(まか)せたと、そればっかりや。  まるで他にも悪魔(サタン)()るような口ぶりやった。  まさか(とおる)のことではないやろと思う。何かもっと、でかいモンや。  それが天使の格好(かっこう)で現れた、勝呂(すぐろ)の言うてたお告げに関係あるように思われて、俺はそれについて()いた。  神の戸の、岩戸(いわと)より、死の舞踏(ぶとう)が現れると、あいつは言うてた。  死の舞踏(ぶとう)って、なんですやろか。神楽(かぐら)さんは神父なんやし、あいつは天使の格好(かっこう)してたんやから、何か関係のある話として、上のほうから聞いてないですかと、俺は腹を探る気分で(たず)ねたが、神父は(だんま)りやった。  どうも神楽(かぐら)さんには、俺が天使を見たという話が、気に食わんようやった。  俺だけやない。鳥さんも天使を見たで。  俺はあのとき勝呂(すぐろ)がなんて話したか、実は正確には憶えてへんかった。あまりの出来事(できごと)動転(どうてん)してたんや。  それで仕方なく、鳥の寛太(かんた)補足(ほそく)を求めた。  寛太(かんた)はアホなくせに、人の話はよく聞いていた。それで勝呂(すぐろ)の言うてたことも、一言一句(いちごんいっく)きっちり憶えていた。  神の戸の、岩戸(いわと)より、死の舞踏(ぶとう)(おとず)れる。力ある者は(そな)えよ。万軍(ばんぐん)の神なる(しゅ)栄光(えいこう)。天のいと高きところにホザンナ。アーメン。と、意味はわかってない、のんびりした口調で寛太(かんた)()り返すのを見て、神楽(かぐら)神父はやっと、鳥さんと口を()いた。  神父が言うには、それは聖なる言葉である。後半の、何やかんやがな、神さんを(たた)える言葉なんやって。  せやからそれを平気で口にできるということは、寛太(かんた)が神聖な存在やということを意味するらしい。少なくとも、悪魔(サタン)ではない。神とキリストに逆らうような邪悪な存在ではないと、確信が持てたらしい。  しかしその神聖やったはずの鳥さんが、(とら)とやってることが判明(はんめい)したわけで、神楽(かぐら)さんとしては頭がくらくらしてくる訳やな。  わかるよ、その目眩(めまい)。俺も時々感じてた。春先ぐらいまではな。  まあそんな同情めいた余談はさておき、本格的な仕事の話を詰めようかという時になって、神楽(かぐら)さんは電話で呼ばれた。奇怪(きかい)現象(げんしょう)が起きたとか、教会のほうから電話がかかってきて。  なんでも、奇怪(きかい)出来事(できごと)なるもんは、その時期あちこちで、頻繁(ひんぱん)に起きていた。  まず第一は、天使の出現やった。  力ある者たちに、(そな)えよと告げ知らせる天使のようなものの出現が、次々に起きていたんや。俺はいずれそれを、例の霊振会(れいしんかい)通信なるメルマガで知ることになる。  そして第二は、悪魔(サタン)の出現やった。  神楽(かぐら)さんは近頃、白衣を着る間もないぐらい、悪魔祓(あくまばら)いに奔走(ほんそう)していた。それで俺らが教会に行った時も、とつぜん留守(るす)やったんや。  とある女の人のところに、悪霊が現れてとり()き、激しく(おど)り狂わせた。  飲まず食わずで、死ぬほど(おど)るらしい。まるで童話の赤い(くつ)のお話やけども、その女の人は裸足(はだし)やった。それどころか、服も着てへん。明らかに異常や。  いちばん異常なのは、(おど)ってる本人も、それを異常と認識(にんしき)してることやった。何かに()かれてやってることやねん。  本人の意志やない。肉体を乗っ取られてて、自分ではどうすることもできへんのやって。

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