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9-9 アキヒコ

 神楽(かぐら)神父はその女の人に()いていた悪霊(あくりょう)聖水(せいすい)浴びせて(いぶ)りだし、いと高き神の御名(みな)において、出て行けと命じた。  神父の力は悪霊(あくりょう)(しの)いでて、そいつは(おそ)れ、苦痛の声をあげて、すごすご地獄(じごく)へと去った。  骸骨(がいこつ)やったらしい。スケルトン。  ずっと昔に、すでに死んだけど、行き場を見つけられずに迷ってて、生きてる女の肉体を、乗っ取ろうとした。  その話を聞いて、俺は複雑な気分やった。俺が(とおる)の前に付き()うてたやつも、そんな感じやったで。  せやけど苦痛の声をあげて地獄(じごく)に落ちはせえへんかった。そうやと思いたい。  どんな女か俺はいまいち分かってなかったんかもしれへんけど、でも、いい()やったで。それが地獄(じごく)()ちたとは、思いたくない。  なんでこの人は、悪魔(サタン)を憎んでるんやろ。  確かに世の中には、どうしようもないような鬼も()るやろ。泣いて()るしかないような、そんな悲しい話もあるわ。  せやけど、そいつにも何か、理由はあったんやないかって、神楽(かぐら)さんは考えへんのやろか。  俺はどうもこの人の、人物が分からない。  そんな人を信用して、仕事を()けてええもんやろか。  第一、()けたところで俺に、(つと)まるような仕事やないような気がする。どえらい大仕事やで。もしも失敗してもうたら、神戸はどうなってしまうんや。  もっと力もあって、経験もあるような別の人に、(たの)みはったほうがええんやないかって、俺は一応、辞退(じたい)はしたんやで。  なんせこっちは学生の身で、それっぽい事件に立ち会ったのは、例の大阪の事件ひとつきりなんやから、未経験も未経験。中一の竜太郎(りゅうたろう)のほうが、まだましなんちゃうかと、本気で思うくらいや。  けどな、予言やというねん。予言やで?  ヴァチカンには、ずっと先の未来までの予言の書みたいなのが、秘蔵(ひぞう)されてるんやって。その内容は極秘(ごくひ)で、教皇(きょうこう)しか知らんらしい。  そこに今回の神戸の厄災(やくさい)も、予言されていた。そしてそれを解決できるのが、俺なんやって。  なんや知らんうちに俺もヴァチカン進出(デビュー)しとったらしいわ。勘弁(かんべん)してくれやで。  それでも、とにかくそうやから、俺にはこの仕事を()ける義務がある。予言は必ず実現する。あなたが断れば、救われるはずだった神戸の運命も、悪い方向へ変わるだろうと、神楽(かぐら)さんは(おど)しめいた口調やった。  それはおかしい。厄災(やくさい)が解決つくって予言されてるんやったら、俺やのうても解決できるんやないか。俺が断ったらアウトやなんて、もしもそうやと仮定したら、その予言は外れるということやろ?  必ず実現するはずの予言が、外れるやなんて、矛盾(むじゅん)してへんか?  神楽(かぐら)さんはそのツッコミにも、(なん)なく答えた。  厄災(やくさい)が解決できなかった場合は、予言の書の内容も書き()わるのだろうと。  つまり、厄災(やくさい)が発生すると知らせる予言の書がある世界へと、この世が移り変わる。  俺の返答いかんによって、時空(じくう)がずれるかネジレるか、そういう事が起きると言うてんのやで、神楽(かぐら)さん。  ちょっとな、ちょっと、SF小説とか読み過ぎちゃいます?  冗談ですよね、って、俺がそんな半笑いの気持ちで()るのに、神楽(かぐら)さんは大真面目(おおまじめ)やった。そういうことは、起こりえますと、真顔(まがお)で言うた。  神は、万物(ばんぶつ)創造主(そうぞうしゅ)で、この宇宙と時間をも、創造(そうぞう)なさったお方です。ですから、時空(じくう)超越(ちょうえつ)した存在なのです、と。  来たで、来た。宇宙系。「スター・トレック」の中の人みたい。本気で言うてる。目がマジやったもん。  実際、それは冗談やのうて、真面目(まじめ)な話やった。神父さんたちの中には、物理学者もいてはって、神とは何か、宇宙とはなにか、神学と科学を(から)めて研究してはる人もいてるらしい。  神の(つく)(たま)いしこの世のことを探求(たんきゅう)し、解明(かいめい)すんのも、なんと神父さんたちの仕事のうちのひとつやった。  ある人は教会で信者のおばあさんの世間話(せけんばなし)を聞いてやり、ある人は悪魔祓(あくまばら)いをし、またある人は時空(じくう)とは何かを探求(たんきゅう)している。  それぞれにとって、もっとも自分に(てき)したところで奉仕(ほうし)する。それが神父の道らしい。  悪魔と戦うのに(てき)してた男は、仲間の神父が解明(かいめい)している時空(じくう)(けん)について、疑いがないふうやった。  幸せやな、神楽(かぐら)さん。思わへんのや、なにそれ、アホかみたいな事は。  受け入れられるんや、自分から見て、はぁ? みたいな、普通ではない話でも。  思えば神楽(かぐら)さんはこの初対面(しょたいめん)の頃から、素直(すなお)でなんでも受け入れられる素養(そよう)を、思いっきり(しめ)してたんかもしれへんわ。  それは子供のころの自分が、聖霊(せいれい)が見えるという話を、家族に(うそ)やと思われて、受け入れてもらえへんかった(つら)さの反動(はんどう)なんかもしれへんかった。  自分には、ありえへんと思えることでも、それを信じることが、人を信じることやというのが、神楽(かぐら)さんの方針(ほうしん)やった。  それで俺の言う、(とおる)悪魔(サタン)やのうて、式神(しきがみ)やからという話も、神楽(かぐら)さんにとっては(わけ)の分からん異教徒(いきょうと)のほざく話やのに、なんとか受け入れようと藻掻(もが)いてた。  そのせいで、何とも言えずつらく、神父としての自分の世界観と、得体(えたい)の知れん日ノ本(ひのもと)の、得体(えたい)の知れん世界観との板挟(いたばさ)みになってもうて、神楽(かぐら)さんは苦しんでいた。

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