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10-2 トオル

 ええなあ。俺なんか妖怪ホテルに缶詰(かんづめ)にされんのに。  アキちゃん一緒やから我慢(がまん)するけど、でも行きたかったなあ、甲子園(こうしえん)球場(きゅうじょう)。  阪神、どうなってまうんやろ。もしも日本一逃したら、アキちゃんのせいやで。  蔦子(つたこ)さんへの挨拶(あいさつ)を終えたアキちゃんが車に戻ってきて、乗れよと俺に言い、そして自分も運転席に座った。  ばたんと車のドアを閉じると、それっきりで海道(かいどうけ)家とはお別れやった。  何日()ることになるんやと、来たとき思ったもんやったのに、結局いたのはたったの二泊だけ。えらい目にも()うたけど、案外居心地(いごこち)のええ家やったのにな。  あぁあ、どんなとこなんやろ、妖怪ホテル。  アキちゃんから聞いた話では、そこにはアキちゃんみたいな巫覡(ふげき)(たぐい)がいっぱい泊まってて、その式神もうようよいてるらしい。  俺はそれに、めちゃめちゃ暗い気分やったで。  まさか全員が美形(びけい)ってことはないやろな。いくら俺が根性ある言うても、そんな無数の恋敵(こいがたき)を、一度に相手にはできへんで。  アキちゃん好みのナヨい美形(びけい)がいませんように。また浮気されたら(かな)わんわ。  俺はこの時はまだ、そんなことをのんびり心配してた。  アキちゃんはエンジンをかけ、神楽(かぐら)とかいう童貞(どうてい)の神父に教えられてた住所の場所に、カーナビを設定してた。  初めて走る神戸の道やけど、行き先はそうややこしい場所ではないらしかった。  鳥さんが事故った例の道をずっと行き、右に曲がってちょっと行ったら山のほうにあるらしい。俺は運転せえへんから道なんかどうでもええねん。カーナビに()いてくれ。  妖怪ホテルていうのは、もちろん正式名ではない。アキちゃんがつけた渾名(あだな)や。アキちゃんて時々、鬼みたいなネーミングすると思うわ。  正式名は、ヴィラ北野(きたの)という、なんや、あんまやる気なさそうなネーミングの、聞いたことないホテルやった。  それもそのはずで、この夏オープンしたらしい。元々あったホテルのオーナーが変わって、新装開店(しんそうかいてん)なんやって。  そんなところやから、ほぼ全室借り切りみたいな霊振会(れいしんかい)一行様(いっこうさま)にでも、皆にもれなく部屋があったわけ。  せやけど到着してみたら、そんな大きいホテルやないねん。別荘(ヴィラ)という名前にふさわしく、個人の邸宅(ていたく)みたいな造りになってて、三階建てやし、部屋数もそんなに沢山あるようには見えへんかった。  ヨーロッパ風の黒い鉄を編んだ門扉(もんぴ)があるゲートをくぐると、レンガ()きの車寄せがあり、エントランスもくつろいだ優雅(ゆうが)な雰囲気やった。  趣味のいいホテルやなあと、俺は思った。  なんか、あんまり商売っけがなくて、ほんまに西欧(せいおう)のお貴族様の、バカンス用のお屋敷にでも泊まりに来たみたいや。  それは、いかにも神戸風に俺には思えた。神戸の人らは西欧趣味(せいおうしゅみ)やねん。  ずっと昔から貿易港(ぼうえきこう)で、いろんな国の人が住んでるし、そういうふうになったんやろな。三都(さんと)の中でもここは、大阪とも京都とも違う。なんとなく異国情緒(いこくじょうちょ)のある街やねん。  そんな神戸にふさわしい、趣味のいい西欧アンティークの家具と、どことなくゴシックな感じのする蝋燭(ろうそく)ふうのライトがいっぱいついた、重たげな鉄のシャンデリアが目を引くロビーに入ると、神楽(かぐら)神父が俺らを待ち受けていた。  乳白色(にゅうはくしょく)大理石(だいりせき)()んでやってくる、真っ黒い僧衣(そうい)着た金髪碧眼(きんぱつへきがん)美形(びけい)は、いかにもこのホテルの備品(びひん)みたいやった。  よう似合(にお)うてるわ。教会なんかより、ここで働いたらええのにと、俺はちょっと思った。こんな美形がロビーで出迎えたら、このホテルにも、さらに(はく)がつくやろ。  せやけど神父はよっぽど俺が気に食わんらしく、にこりともしない難しい顔やった。  アキちゃんには挨拶(あいさつ)をしたけど、俺は無視した。(よこしま)なる(へび)など、そんなもんは、ここには()らんて、そういう(かま)えで行くつもりらしい。  上等(じょうとう)やないか。俺かてお前と口利(くちき)きとうないわ。  俺とアキちゃんを引き離そうやなんて。誰ともやったことない童貞(バージン)のくせして生意気(なまいき)やねん。あんまり、しつこいようなら、こいつもやっつけたらなあかん。  フロントの綺麗(きれい)なお姉ちゃんに車のキーと荷物を(あず)けてチェックインして、大理石(だいりせき)のロビーを抜けると、ぐるりを客室のある建物に囲まれたレンガ()きの中庭があり、植えられた庭木の木陰(こかげ)がほどほどあって、オープンテラスのレストランでもやってるんか、屋外用のテーブルと椅子がたくさん置かれていた。  黒いアイアンワークの鉄の(あし)に、オフホワイトのモザイクタイルで、まばゆいような食卓に、暗い赤のテーブルクロスが掛けられ、これもいかにも西欧風(せいおうふう)の趣味やった。  その時点で俺は、なんとはなしに嫌な予感がしてた。どこかで見たことある景色のような気がして。  既視感(デジャヴュ)というやつか。俺はここに来たのは初めてではないという気が、その時はしたんや。  なぜ自分がそう感じたか、それはこの後、すぐに分かった。 「オーナーにご紹介しますが、雑誌の取材が来ているようなので、少し待ちましょう」  いけ好かん感じに(ひび)く標準語で、神父はアキちゃんに話した。

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