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10-4 トオル
俺はあんたを死ぬ目に遭 わせたんやろ。とっくに死んでるはずの男が、ぴんぴんしてる。若返ってる。それの意味するところは一つだけやった。
俺は気づかんふりをしてたけど、藤堂 さんは俺と混ざってもうてたんや。蛇 の仲間にされていた。
そりゃあまあ、考えてみればありそうな話やった。よう効 く薬やということで、この人、俺のアレを飲んでたんやからな。毎日やで。そうでもせんと死にそうやったんや。
それに一回だけやけど、俺はこの人の血を吸ったことがある。そういう点では、俺の支配は薄いやろけど、それでももう人間ではない。そういうことなんやろ。
地下へ行くエレベーターのボタンを押す藤堂 さんの指から、いつもしてた結婚指輪がなくなってるのを、俺はじっと見つめた。もう、指輪の痕 さえなかったわ。
どんだけ外 せと言うても、抜けへんのやとこの人は言うてた。
そんなら指を切れと、俺はキレてた。なんでそんな、無茶な我 が儘 言うてたんやろな。
できっこないわと思うて言うたんや。そして実際無理やった。できるわけがない。そんなこと。
俺はそれに類 する無茶な我 が儘 を、毎日頭から浴びせるように、この人に言うてたわ。
よう我慢 できてたよな。ほんまは我慢 の限界なんか、日に二度三度越えてたやろけど、それでも命が惜 しかったんやろ。大事な奥さんと娘のために?
その人ら、今はどこでどうしてんの、藤堂 さん。
俺のその内心の問いに答えるようなタイミングで、チン、とエレベーターが止まるベルが鳴った。そしてドアが開き、どことなく暗い照明だけの地階 の廊下 が現れた。
そこは元々は倉庫 とか、スタッフ用の更衣室 なんかがあるだけのスペースに見えた。客は通らんところやろう。いかにも工事中みたいやった。
「春先に譲 り受けまして、突貫工事 で内装 を入れ替えたところですので、実は上辺 だけで、まだまだこのあたりは手つかずです」
お恥 ずかしい、と言いつつ、余裕たっぷりの雰囲気 で、藤堂 さんはアキちゃんに説明してやっていた。
藤堂 さんはアキちゃんをエスコートして歩き、礼儀 正しかったけど、それが余計 に怖く思えた。一体、いつ言うつもりやねん。
目的地らしい部屋の扉 を藤堂 さんが開くと、中は普通の支配人室 で、ここも西欧風 の趣味やったけど、地下で窓 がないせいか、どことなく陰鬱 やった。
マホガニーの大きな執務机 と、その前に鈍 い赤のビロードを張った骨董 らしいソファがある。血のしみたような赤やった。
そこにアキちゃんと俺を座らせ、コーヒーテーブルを挟 んだ向かいのソファに、藤堂 さんは神父と並んで座った。
この神父は、少々鈍いんやないかと、俺は思った。
お前が並んで座ってる男は、もう外道 なんかもしれへんで。お前に言わせりゃ悪魔 の一党 やろ。なんで気づかへんのやろ。
邪悪な悪魔 と罵 るどころか、神父はちょっと藤堂 さんが好きなくらいに見えた。淡 い笑 みやけど、とにかく微笑 んで話してる。
そういえば海道 家の居間 で見た俺のことも、こいつは一時、ぼやっと眺 めてた。アキちゃんが俺を見る時みたいな、どことなく、うっとり来てる目で。
もしかして、こいつは区別 がついてないんやないか。自分の目に映 るモノが、悪魔 かどうか。頭で判断してるだけで、感覚的には分かってない。
分かってないどころか、ほんま言うたら魅入 られてる。悪魔 どもの放つ、悪の華 に。
「お飲み物を持たせましょう。何がよろしいですか」
デスクのインターフォンへ行って、藤堂 さんは訊 ねた。
神父はにこやかにそれを制 した。
「せっかくですが、時間が押しているので、すぐに霊振会 の方々との会合に行かないといけません」
「そうですか。では、長話 はまたの機会に」
ソファに戻ってきて、藤堂 さんは座り、向かいにいるアキちゃんを見た。
「本間 先生は画家の卵 でいらっしゃるとか。お迎えできて光栄 です。いつか当ホテルのために一枚お描きいただけたらと思います」
「機会があれば、ぜひ」
社交辞令 やろう。アキちゃんは、アキちゃんにしたらまあまあ上出来 の愛想 のよさで、穏 やかに答えてた。
「最上 のお部屋をご用意しました。お困りのことがありましたら、何なりとお申し付けください」
「ありがとうございます」
そんな話に始まって、藤堂 さんはアキちゃんと、当たり障 りのない世間話 をにこやかにした。
先生は京都の方ですね、私も短い間でしたが、京都に住んでいたことがありますと、藤堂 さんが切り出した時には、俺は内心、脂汗 がだらだら流れた。
どの辺 りですかと聞くアキちゃんに、藤堂 さんは東山 やと答えてた。
確かにそうやった。東山 にあるマンションに部屋を借りてて、そこから仕事に通 ってた。
ホテルと目と鼻の先。歩いてでも行ける距離やったけど、俺はいっぺんも入れてもらったことがない。
奥さんや娘が来るとこに、俺の吐 いた息だけでも残したくないというのが、この人の方針やった。
俺のことは神のように崇 めてたけど、でもほんまは、そんなふうには思ってなかった。きっと俺のこと、汚 らわしいと思ってたんやろ。
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