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10-6 トオル

 気難(きむずか)しいような人やったで。くそ真面目(まじめ)で、仕事の鬼で、いつも必死で働いたし、敬虔(けいけん)なクリスチャンで、奥さんと娘が大事で、夫として父として、善良な信者としての体面(たいめん)が大事で、いつも俺とのことを苦悩(くのう)していた。  会う(たび)いつも苦悩顔(くのうがお)なのを、それは病気のせいやろと、俺は自分に言い聞かせてた。  にこにこ機嫌(きげん)のいい時なんて、数えるほどしか見たことないわ。 「俺はそのとき、お前の名前を呼んだらしい。死ぬときもそうやったと、妻はえらい泣いてな。(わけ)を話せというんで、話してやったら、娘にも愛想(あいそう)()かされて、もう出ていってくれと言われたわ。それきり一度も()うてない」  それが何でもないことのように、藤堂(とうどう)さんは話してた。  あんなに大事にしてたもんを、あんたは全部捨ててきたんか。(ひつぎ)の中に。  かつては人間やった、自分の()(がら)とともに。 「いつ。いつ死んだんや、あんたは」 「二月の終わりごろや。その頃お前は、なにしてた」  じっと見つめてくる藤堂(とうどう)さんと向き()うて、俺は言葉が出えへんかった。  二月か。何もしてへんわ。アキちゃんと、べたべた抱き合うて暮らしてた。  好きで好きでたまらんで、毎日毎晩やりまくってた。  今ごろ藤堂(とうどう)さん死んだかななんて、思いもしてへんかったわ。 「あっけないもんや、人間の一生なんて。手術して、一時(いちじ)は持ち直したんやけどな。信じられへん。療養中(りょうようちゅう)院内感染(いんないかんせん)で、風邪(かぜ)ひいてもうてん。それで肺炎(はいえん)なって、三日四日でご臨終(りんじゅう)やで。びっくりしたわ、自分でも。あんまりあっと言う間に死んだから」 「それは大変やったな……」  いつ()びようかと、俺は内心おろおろしてた。  藤堂(とうどう)さん、俺はあんたに、(ひど)いことをしたかもしれへん。許してくれとは言わへんわ。ただ、済まないとは思うてる。  せやけどお(たが)い様やないか。あんたも俺に(ひど)いことをした。  俺があんたをいくら好きでも、あんたは俺を悪魔(サタン)(あつか)いで、いつも恐れてた。ご奉仕(ほうし)はしてくれても、愛してはくれへんかったやんか。  俺を(けだもの)みたいに(あつか)ってた。  俺にも心があるやろうって、ちょっとでも思ったことあるか。  ないやろ。あるはずない。  せやのになんで、死ぬとき俺のこと呼んだりすんの。  (うそ)や。ぜったい(うそ)に決まってる。そんなこと、あるわけないわ。 「(とおる)」  (なつ)かしく心をくすぐるような、低い美声(びせい)で、藤堂(とうどう)さんは俺を呼んだ。  そして、昔なら絶対に、そんなことはしなかったくせに、俺の腕を(つか)んできて、優しく力を込めて、長身の胸に抱き寄せた。  ああ、やめてくれ。  陶酔(とうすい)のような気分が()いて、俺は藤堂(とうどう)さんの胸を押し返そうとした。  それでも、そんなに、力のない腕やったろうか。  それとも、藤堂(とうどう)さんの腕が、前より強くなってたんか。  俺は抵抗しながらでも、結局、藤堂(とうどう)さんにキスされた。  キューバ産の葉巻(はまき)の香りがしてた。くらっと来るような、大人の男の匂い。  やめてって、俺は何となく震えが来てた。  アキちゃん助けて。助けに来てくれ。  なんでか分からんけど、俺は逃げられへん。  なんでやろ、甘く(くちびる)(むさぼ)ってくる藤堂(とうどう)さんを、(こば)まれへん。(あえ)ぐような息で、俺はされるがままやった。  なんでかなんて、分からんわけない。  俺はずっとこの人が、好きやった。未練(みれん)があったんや。  アキちゃん好きやて言いながら、心のどこかに残ってた。この人への気持ちが。  はっきり決心しないまま、なしくずしに逃げてきてもうた。一緒に()るのが、もう(つら)くて(たま)らんような気がして。アキちゃんに逃げたんや。 「抱いてやろうか、(とおる)」  強く(さそ)う声で、藤堂(とうどう)さんは俺の耳に(ささや)いた。それに甘く(しび)れて、俺は泣きそうやった。 「(いや)や、やめといて」 「まあ、そう言うな。(いや)やって顔はしてへん」  苦笑しながら言うてきて、藤堂(とうどう)さんは俺をソファに連れて行った。  渾身(こんしん)の力で(こば)めば、(こば)めたはずやと思いながら、俺はよろめく足でついていき、素直(すなお)にそこに押し倒されてた。  俺を()()き、(くちびる)に優しいキスをして、藤堂(とうどう)さんは、じっと見下ろしてきた。 「美しいな、お前は。俺はずっと、お前を抱きたかった。(こら)えてたんや。それをやったら、もう後戻りできへん。お前に(しん)から、狂いそうな気がして」  なんでそれが、あかんかったんやろ。  俺は狂って欲しかった。  それでもあんたは、(いや)やったんやろ。俺を(こば)んだ。  それが結局、あんたの選んだ、正しい道やったんや。 「なんで今さら、こんなことすんの。俺にはもう、好きな相手が()るんや。お前なんか()らん」  俺は怒鳴(どな)ったつもりやったのに、それは(ささや)き声やった。  藤堂(とうどう)さんの目が、爛々(らんらん)と光るように見えた。 「あの絵描きの若造(わかぞう)のことか。あれのどこがええんや。俺がもっと、愛してやる」  藤堂(とうどう)さんは確かに、俺が好きらしい目をしてた。  でも結局、それは愛とは違う。執念(しゅうねん)や。  その執念(しゅうねん)(こた)えて、俺がこの人をもしまた受け入れたら、いつかは愛してくれるかも。  愛なんて、そんなもんかもしれへんで。やってるうちに胸の奥から()いてくる。  俺かて最初からアキちゃんのこと愛してたわけやないのかも。  初めはただの欲望で、アキちゃんみたいな力のある(げき)にくらくら夢中になってもうて、アキちゃん欲しいって(むさぼ)るうちに、その気持ちが愛に変わってた。  お前が好きやって愛してもらって、それに(こた)えたくなっただけ。どっちが先かわからへん。

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