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10-7 トオル
それでも今はアキちゃんのこと愛してる。アキちゃんが俺のこと愛してくれなくなっても、それでも愛してると思う。もう無理やねん。離れられへん。
藤堂 さんのこと好きや。今でも実はぜんぜん変わらず好きかもしれへん。
それでもアキちゃんのことがもっと好き。もっと比 べようがないくらい好きやねん。
だってアキちゃんは俺が誰だか知らない時も、俺が人ではないと分かった後も、俺がアキちゃんを人でなしに堕 とした時でも、ぜんぜん変わらず俺のこと好きやって言うてくれてたで。
いつも好きやって言うてくれる。俺のために何もかも捨てて、俺と一緒にどこまででも行ってくれる。そういう子やねん。
俺に溺 れて、俺に狂ってくれる。藤堂 さんとは違う。アキちゃんは、俺を悪魔 にはせえへん男。
俺はそういうアキちゃんが、誰より好きでたまらへん。
「無理や、藤堂 さん。俺が寂 しくてつらいとき、あんたはどこにいた。俺が抱いてって頼 んだ時、あんたはどうした。買った男に俺を抱かせて、それで我慢 せえて言うたやろ。そんなもんまでルームサービスか、ほんまにムカつく!」
俺の喉 はやっと、どうやって怒鳴 るか思い出したらしかった。
藤堂 さんは罵 る俺を、どこか懐 かしそうに見下ろしていた。
悲しそうなような苦い笑みをした顔を、俺は見つめた。
「あんたがそんな風 やった時に、アキちゃんは自分で飯 作って俺に食わせてくれたし、毎日いくらでも抱いてくれたわ。俺が蛇 でもかまへんて、笑って許してくれたんやで。そんな若造 がな、お前より愛 しくないわけあるか!」
俺は泣いてた。泣いてたと思う。藤堂 さんが笑って俺を見てるのが、ぼんやり潤 んで見えてたからな。
「そうか。あの絵は、ほんまに良く描けてるな。お前もあんな顔できるんやって、俺はびっくりした。あれは才能あるわ。きっと名のある絵描きになるやろ」
頬 を優 しく撫 でてきて、藤堂 さんは俺を見ていた。でもいくら眺 めたところで、俺は苦悶 の顔やった。
アキちゃんが描 いてくれた、あの絵にいたような、お前が好きでたまらんて、そんな顔して俺が藤堂 さんを見る、そんなこともあったかもしれへん。そうなるような未来もあった。
俺は何度もあんたを口説 いたやんか。それでもそれを全部無視して、我慢 しろって言うてたやんか。
「亨 、ひとつだけ憶 えといてくれ。俺もお前を愛してた。それは本当や」
「藤堂 さん。それを言うのは、あんたがもう死んだからや。もう蛇 の眷属 に堕 ちてもうた。奥さんとも別れたし、それなら言おかって、それだけのことやねん。それのどこに愛があんの。ただの残りモンやないか」
分かってへんらしいおっさんに、俺はそれを教えてやった。
けど、そんなこと、俺に言われなくても藤堂 さんは、分かってたらしいわ。言われて笑う顔は、自嘲 する苦痛の表情やった。
「そうやなあ。お前の言うとおりや……」
俺を組 み敷 いたまま、藤堂 さんは疲れたようにうな垂 れた。
「俺はお前を愛してた。それでも勇気がなかったな。お前とどこまでも堕 ちるほどには」
もう指輪のない手で、俺の首筋を愛しげに撫 でてきて、藤堂 さんは低く呻 くような声やった。
「俺にはもう機会はない。それは分かってる。あの絵を見ればそれは分かった。せやけど亨 、今は俺を哀 れんでくれ。俺はお前の……血が欲しい」
間近 に俺の顔を覗 き込む、欲情 した藤堂 さんの顔が、俺の知らない形相 やったのに、俺の呼吸は止まってた。
爛々 と銀色に光る蛇 の目を、俺は見た。飢 えて鋭 い一対 の牙 を。
それは俺の知る、余裕の笑みの大人の男の顔やなかった。
怪物みたい。まさに悪魔 や。
変成 に、失敗しかけてるんやないか。
そうや、アキちゃんみたいに、誰も彼もが上手 くいくわけがない。
もう止 めとこう、藤堂 さん。急激にやりすぎた。
それでもあんたは死にかかってたんやから、仕方なかったけど、でも無茶 したら、後戻りできんような狂った化けモンになってしまうんやで。
それでも藤堂 さんは怪力やった。今度は本気で抵抗してる俺を押さえ込み、暴 れる蒸 れた首筋に、その貪欲 な牙 を突き立てた。
「ああ……っ」
めちゃめちゃ痛くて、俺は悲鳴のような声で喘 いだ。
吸い取られる感覚がして、ふっと気が遠くなるようやった。
痛いよう、藤堂 さん。もっと優しくやってくれ。
俺は辛 くてたまらへん。そんなに一杯吸わんといてくれ。
ああもう俺は、死にそうや、って、くらくら来てる揺 れる気分の中で、助けを求めた。
誰にかわからへん。たぶん、アキちゃんに。
でも、こんなとこ見られたら、俺はもう終わりやないか。アキちゃんは今度こそ、俺を許してはくれへんやろ。
ああ、でも、信じて。お願いやから。俺が愛してるのは、アキちゃんだけやで。アキちゃんに抱かれてる時が、いちばん幸せ。血を吸われるのだって、ふらつくぐらい気持ちいい。
誰にやられても同じやないかって、ちらりとそんな不安もあった。
もしも藤堂 さんが俺を抱いてくれてたら、もしかして、俺はアキちゃんよりも、藤堂 さんのほうが好きやったんやないかって、それがすごく未練 で不安。
結局それが心配やってん。自分のことが、信用できなくて。
でも、もう、わかった。吸血 されて、幸せな気分。そんな、ふわふわ漂 うようなのは、相手がアキちゃんやったからやねん。
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